土曜日, 4月 11, 2026
ホーム土浦《霞月楼コレクション》10 山本五十六 真珠湾攻撃直前に届いた手紙

《霞月楼コレクション》10 山本五十六 真珠湾攻撃直前に届いた手紙

【池田充雄】霞月楼2代目の堀越正雄・満寿子夫妻は、山本五十六の土浦での親代わりのような存在で、日頃から親身に世話し、転出後も交流が続いたという。

ある日2人の下に山本から手紙が届く。正雄が贈った成田山のお札への礼状だ。日付は昭和16年(1941年)12月5日。太平洋戦争開戦となる真珠湾攻撃の3日前で、北方航路では真珠湾に向けて機動部隊が進軍、山本が座乗する旗艦「長門」以下主力部隊は、退却支援のため山口県岩国市の柱島泊地に待機していた。

手紙にある「最後の御奉公に精進致し居り候」の文言が暗示的だ。もはや生きては帰らぬ覚悟を示したか。海外経験が豊富で彼我の国力の差を知る山本は、対米戦争にはもとより反対の立場だったとされる。1940(昭和15)年9月の近衛文麿首相との会談では「是非やれと言われれば半年や1年は随分暴れて御覧に入れるが、2年3年となれば全く確信は持てぬ」と答えていた。

霞月楼にある山本の手紙

航空軍備の重要性を認識

山本は1884(明治17)年、新潟県長岡市坂之上町に旧長岡藩士・高野貞吉の六男として誕生、当時の父親の年齢から五十六と命名された。日露戦争中の1904(明治37)年、海軍兵学校を卒業。翌年、装甲巡洋艦「日進」に配属され、5月27日の日本海海戦に参加した。砲弾の炸裂により左手の指2本を失い、左大腿部に重傷を負った。

その後は乗艦勤務を経て、海軍砲術学校教官や海軍省軍務局員などを務める。1916(大正5)年、旧長岡藩城代家老職の山本家を相続。1619(大正7)年、旧会津藩士の娘・三好礼子と結婚した。

1919(大正8)年4月から約2年間米国に駐在し、ハーバード大学で学ぶ。1923(大正12)年6月から9カ月間、ワシントン軍縮条約下の欧米各国の情勢を視察し、日本海軍の将来には航空戦力の充実が不可欠との信念を抱く。

断髪令で隊の風紀を刷新

1924(大正13)年9月1日、自らの強い希望により霞ケ浦海軍航空隊に赴任。12月1日に教頭兼副長(後に副長兼教頭)に就くと、初日の朝礼で号令台から総員を見渡し「下士官兵にして頭の毛を伸ばしている者は皆切れ。一週間の余裕を与える。終わり」と宣告した。

霞ケ浦航空隊は1922(大正11)年11月の創隊で、隊員の間では英国教官団の影響から長髪の者が多く、腕一本で空を駆ける職人気質と、命知らずのやくざ気質が表裏を成し、遅刻や脱営も日常茶飯事だったという。そこでまずは軍紀風紀の刷新に着手し、勘や名人芸に頼らぬ合理的な飛行技術の確立を目指した。

土浦在勤中の山本の住居は、「山本五十六伝」(朝日新聞社)によると長岡中学の後輩・大崎教信少佐が建てた家だそうだ。神龍寺(土浦市文京町)の参道右手、今は墓地がある辺りにあった。なお当時の参道は桜並木が覆っていたが、1938(昭和13)年の大洪水で枯死している。

神龍寺の秋元梅峯住職とは意気投合し、1925(大正14)年9月に土浦で最初の花火大会を2人の私費で開催した。目的は海軍航空殉難者の慰霊、2年前の関東大震災の犠牲者の追悼、不況にあえぐ土浦の商業振興、農業収穫への感謝など。これが現在の土浦全国花火競技大会の基礎となった。

ブーゲンビルの空に散る

連合艦隊司令長官になった頃の山本五十六

山本の霞ケ浦在任は1年3カ月で終わり、1926年(大正15年)1月から2年間、駐米大使館付武官を拝命。帰国後は空母「赤城」艦長などを経て、1929年(昭和4年)11月少将に進み、以後は海軍航空本部長や海軍次官などの要職を歴任。1939(昭和14)年に連合艦隊司令長官、1940(昭和15)年に大将となる。

1941年(昭和16年)10月に成立した東條英機内閣は、米英蘭3国に対する開戦方針を推し進め、11月26日に対米交渉が決裂すると、12月8日の真珠湾攻撃で戦端を開いた。山本率いる連合艦隊は、初期の南方作戦では良好な戦果を挙げたものの、翌年6月のミッドウェー海戦で大敗を喫し、以後戦況は悪化の一途をたどる。

1943(昭和18)年4月18日、東部ニューギニア・ソロモン群島での戦いの最中、山本は前線視察のためラバウル基地を飛び立つが、ブーゲンビル島上空で米軍機の待ち伏せに遭い撃墜された。享年59歳。

下半身像を56年ぶりに発見

山本には元帥の称号が遺贈され、同年6月5日に日比谷公園で国葬が執り行われた。また12月8日には土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊武器学校、阿見町青宿)第1練兵場の号令台横に、コンクリート製の立像が建てられた。像の高さは3.6メートル、台座を含めると6.3メートルに達した。

1945(昭和20)年8月に終戦を迎えると、進駐軍の狼藉を恐れて、山本の像は胴から半分に切断され、霞ケ浦に沈められた。上半身は1948(昭和23)年に湖底から引き揚げて神龍寺に安置され、1952(昭和27)年に菊池朝三元少将らが海軍殉職者のための慰霊祭を開いた。菊池は山本の部下で終戦時の海軍総隊参謀副長。梅峯の長女と結婚し、1959(昭和34)年から12年間土浦市議を務めている。

1952年に神龍寺で慰霊祭が催されたときの記念写真

上半身像は1958(昭和33)年に生家跡の山本記念公園に移されたが、風雨による傷みから1970(昭和45)年に青銅の複製像に置き換えられた。原像はいま海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校、広島県江田島市)の教育参考館にある。

下半身像も湖底にあるものと考えられてきたが、2002(平成14)年の調査で台座近くの地中に埋まっていると判明。56年ぶりに掘り出され、雄翔館前に新しく建てられた山本像の台座下部に収められた。号令台横の古い台座には今、山本の揮毫による「常在戦場」の碑が置かれている。

予科練記念館「雄翔館」は1968年、陸上自衛隊武器学校内に開館した。正面の山本像は2004年の建立

●取材協力・参考資料
陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽神龍寺▽阿川弘之「山本五十六」(1994年新装版、新潮社)▽三和多美「海軍の家族」(2011年、文芸春秋)▽阿見町歴史調査委員「海軍航空隊ものがたり」(2014年、阿見町予科練平和祈念館)▽「霞月楼百年」(1988年、霞月楼)▽「阿見と予科練」(2002年、阿見町)▽阿見町民話調査班「爺さんの立ち話」(2003年、阿見町)▽「花火と土浦」(2018年、土浦市立博物館)▽常陽新聞2002年6月11日付▽長岡市山本五十六記念館ウェブサイト▽土浦商工会議所ウェブサイト▽ウィキペディア

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

2 コメント

2 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

「どう学ぶか、常に意識を」つくば国際ペット専門学校で入学式

愛玩動物看護師やドッグトリマーなどの人材を育成するつくば国際ペット専門学校(つくば市沼田、東郷治久理事長)の入学式が11日、つくば国際会議場で催され、ペットビジネス学科の愛玩動物看護師・動物衛生看護、ドッグトリマー、、ドッグトレーナー、ペットケア総合の四つのコースに全国各地から179人が入学した。同校は動物分野で国内有数の専門学校。 高橋仁校長は「専門学校は専門知識と専門技能を習得する場。どう学ぶか、どう身に着けるかを常に意識することが大事。未来は今まで経験したことよりも美しい場所があり、素晴らしい仲間がいて、もっと面白いことがある」と式辞を述べた。 東郷理事長は「動物に関する技能は教科書を読むだけでは決して身につかない。実際の動物たちに触れて感じて、初めて身に付く。これから動物たちと日々触れあっていく中で、必ず育まれると信じている」などと祝辞を述べた。 新入生を代表してドッグトレーナーコースの塚田海璃さんが「私たちが思い描く夢の実現に向け、これから始まる学生生活を通し、動物について学び求め、皆と支え合いながら成長していきたい」と決意を述べた。 在校生代表を代表し、ドッグトリマーコースの池田麻優さんが歓迎の言葉を述べ「入学後に決定した(1人が1匹とずっと一緒に過ごす)パートナードッグは生活を大きく変える存在だった。それまで動物を飼ったことがなく、毎日試行錯誤だった。しかし日々のお世話やトレーニングを通じて、授業では学べない学びを経験することが出来た。皆さんも様々な経験をして、自分自身の将来を切り開いてください」とエールを送った。 式典の最後に教職員全員が壇上に立ち、一人一人が新入生に歓迎の言葉を述べた。。 式典に参加した土浦市出身の新入生は「犬より猫が好きだが、入学後は犬にも慣れていき、楽しく学園生活を送りたい」と話していた。(榎田智司)

今年の県立中・高入試問題を分析《竹林亭日乗》39

【コラム・片岡英明】桜の花のもとで入学式を迎えた小中学生のために、今年の県立中学・高校の入試問題分析で学びを応援したい。 県立中の入試問題 中学入試は、まず正確で早い計算力や文章の読解力を見ると言われているが、今年の問題では小学生の知識を持っていても取り組めない問題があることに気づいた。その典型が試験中に訂正があった適性検査Ⅰの算数2の問題である。これは6年生までの小学生の知識に加えて、与えられた条件を順序よく考え、それを重ね合わせる思考力をみている。 この思考力は、〇☓や読んですぐ正解を見つける学習では身につかない。あせらず、じっくり時間をかけて、試行錯誤を繰り返しながら思考を重ねる必要がある。つまり、練習はゆっくり、試験では素早くの構えが必要である。この種の問題で、逆に練習時に素早さを求めると消化不良を起こし、学習嫌いが発生する。 理科にも特徴がある。実験の結果を予想し対話するスタイルは、板倉聖宣氏が提唱した仮説実験授業を想起させる。また、国語と社会は読解というより、資料の「情報読み」中心である。国語で最も大事な主人公の心情を読み取り自分を耕す—そんな文学の授業は想定していないのか。 最大の特徴は問題文が対話調である点で、そのため、問題文から答えを導く論理を引き出しにくいものになっている。重ねる思考力を求めているのだから、大学受験参考書の「実況中継」シリーズでは論理力が身につかないという指摘を思い出してほしい。 以上をヒントに、小学生には、焦らずじっくり考える学習スタイルを期待したい。 高校の入試問題 最近の高校入試の特徴は国語と英語の問題文が長いことだ。国語の問題は2段組みで15ページ。英語もリスニング3ページ、筆記が7ページと、たっぷりある。短時間で、この長い問題文にどう取り組むかが高校受験の肝である。 試験問題を解くとは、問題文を読解して、問題作成者の意図を読み取り、自分の回答を採点者に分かりやすく書くという行為である。長い文を正確に早く読むには、まず英文や国語の段落や接続詞や強調構文に注目し、著者の主張を捉え、文章の型を押さえ、展開を予想することだ。 この文章の型について、渡邉雅子氏が「論理的思考とは何か」(岩波新書、2024年)で、日本、アメリカ、フランス、イランの4カ国の文章の型を分析した。この本は作文指導の参考になると、現在好評を博している。これが今年の国語の問題三で出題された。良問とは設問を読みながら知の世界が広がるもので、これは解く価値のある問題である。 英語の問題4の長文は茨城の伝統的な問題で、毎年ある体験をした主人公の変化を述べる典型的な感想文型である。英語の読解にも、渡邉氏の日本独特の感想文型の説明が参考になる。一読をお勧めしたい。 中学生には、今回の分析を参考に英語・国語の読解力をつけ、学校での学習を通して自分が豊かになる大河の学びを体験してほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

野口雨情の未発表詩に曲を付け初披露 つくば出身の若手作曲家

12日 ノバホール 「シャボン玉」「赤い靴」などで知られる北茨城市出身の童謡詩人、野口雨情(1882-1945)の未発表作品に曲を付けて、初披露するコンサート「野口雨情の『四季』」(同制作委員会主催)が12日、つくば駅前の同市吾妻、ノバホールで催される。つくば市出身の若手作曲家、門田和峻さん(35)が曲を付け、メゾソプラノ歌手の金子美香さんが歌う。タイアップ企画として同日、約百人が着物で集う「百人きもの」が野口雨情をテーマにつくば駅前のホテルで催される。 未発表作品は、四季の情景をつづった詩で、もともと歌をつくるために書かれたものではなかった。題名も付けられてなかったことから、雨情の孫で、雨情研究家でもある野口不二子さんが「雨情の四季」と名付けた。 企画したのは、つくば市在住の万葉集研究家、布浦万代(ふうら・まよ)さん。不二子さんの承諾を得て、布浦さんが作曲家の門田さんに作曲を依頼した。 コンサートでは、「雨情の『四季』」が初演されるほか、雨情の童謡「雨降りお月さん」「シャボン玉」が門田さんの編曲で演奏される。不二子さんも登壇し、雨情の詩について解説する。 さらに筑波山ゆかりの万葉集に門田さんが曲を付けた組曲「万葉集による歌曲集」が完成したことからお披露目される。万葉集の組曲は4年前の2022年、布浦さんが監修し門田さんが一部に曲を付けて、筑波山で開かれたイベント「百人きもの」で披露している。 門田さんは大阪生まれ、つくば育ち。県立竹園高校を出て、東京音楽大学で作曲を専攻、東京学芸大学大学院を修了した。2017年、作曲家久石譲が主催するコンペで室内オーケストラのための作品「きれぎれ」が選出され、演奏された。ピアニスト、作曲家、編曲家として活躍し、ふるさと茨城の伝統音楽と文化を研究し、音楽と結びつける活動も行っている。現在は東京都大田区在住。 声楽家の金子美香さんは、東京音楽大学を首席で卒業。同大学院、ザルツブルクモーツァルテウム音楽院マスタークラスを修了後、新国立劇場やびわ湖ホールなどで公演、2018年夏にはバイロイト音楽祭「ワルキューレ」に出演した。 門田さんは「野口雨情というと童謡をイメージされると思うが、今回は趣向をこらしたアレンジでいろいろなものが聴けると思う。普通に良い音楽を聴くということで捉えてもらえるとうれしい」と語る。 布浦さんは「四季の曲を作るために、門田さんと一緒に北茨城市まで行き、子孫でもある野口不二子さんとも会った。海岸線から海を眺めながら曲のイメージもつくられ良い作品になったと思う」と話す。 「百人きもの」がタイアップ 同日タイアップ企画としてホテル日航つくばで特別開催される「百人きもの」(筑波山華やぎプロジェクト実行委員会主催)は毎年、筑波山神社で開催されているイベントだ。4年前の「百人きもの」で、門田さんが万葉集の一部に曲を付け、披露したことが今回タイアップのきっかけとなった。 12日はつくば市在住の脚本家、冠木新市さんが筑波山と雨情のつながりなどを話すほか、日本舞踊の正派美作流「こと耶の会」が雨情の世界を舞踊で表現する。 同実行委員の山本美和さんは「今回は市の中心地で開催しようということになった。やはり筑波山まで行くと1日がかりのイベントになって参加できないという声もあって、今回は(筑波山と詩中心部を)繋げる意味でもやってみようということになった」と話す。。 ◆コンサート「野口雨情の『四季』」は12日(日)午後2時から、つくば市吾妻1-10-1、ノバホール大ホールで開催。開場は午後1時30分。入場料は大人4000円、22歳以下2000円。チケットはノバホール窓口やオンラインで購入できる。問い合わせは電話090-3217-4449(野口雨情の「四季」制作委員会担当者) ◆百人きもの「KAGAI(かがい)~響」は12日(日)午前11時から、つくば市吾妻1-1364-1、ホテル日航つくばで開催。受付開始は午前10時30分。現在、参加申込は終了している。問い合わせはメール298hanayagi@gmail.com(筑波山華やぎプロジェクト実行委員会)へ。

「おひたじ」のまち土浦《くずかごの唄》156

【コラム・奥井登美子】 「土浦は『おひたじ(醤油=しょうゆ)のまち』と聞いていたけれど…」 「うちの隣りのあの大きな倉も、昔、醤油を作っていたらしいわ」 「おひたじ、使い過ぎですよ。漬物にまでかけるのね」 私の母は明治時代、京橋で生まれて育った人。醤油のことを「おひたじ」と言っていた。常陸の国の「ひたち」が下町風になまって、「おひたじ」になったらしい。 私が3人目の女の子を出産したときだった。奥井家の親戚の男の人から「女っぱら…」と言われ、私は何のことやら、さっぱりわからなかった。家が重んじられた江戸時代、女の子ばかり産んでいる母親を「差別用語」でそう呼んだらしい。 まだそのような差別用語が、土浦には残っていたのかと、びっくりした。 醤油ジャブジャブの夫 私の夫、奥井清は94歳まで日本山岳会に入っていて、山登りを楽しみながら、明るく、たくましく生きて、天国にみまかった。 彼は76歳のとき、東京のお茶の水で大動脈解離を起こし、救急車で当時の東京医科歯科大学病院に運ばれた。大動脈の中膜が脳へ行く1センチ下からの解離で、脳味噌も何とか機能を保持しながら退院ができた。 3人の娘たちは、子育てしながら仕事をしていたが、介護の私を実に細かくサポートしてくれた。「女っぱら…なんて言われたけれど、女の子が3人いて本当によかった」。彼はしみじみとそう言って、3人の娘たちに感謝していた。 退院のときに医者から強く言われたのは、食事の塩分制限だった。お醤油をジャブジャブ使う夫の舌を、どうやって改造し、塩分を減らしていけばいいのか、私は途方にくれてしまっていた。 千葉大学病院で胃がんの手術をしていた外科医だった兄も、「大動脈解離の後、いつ何が起こるか分からない状態だから、2人とも覚悟して生活を変えなさい」と、心配してくれた。 医者の言うことは聞いてくれるが、私が言えば反発するに違いない。当時、霞ケ浦医療センターに栄養指導の部門があったので、そこへ2人で通院することにした。(随筆家、薬剤師)