日曜日, 2月 8, 2026
ホーム土浦《霞月楼コレクション》10 山本五十六 真珠湾攻撃直前に届いた手紙

《霞月楼コレクション》10 山本五十六 真珠湾攻撃直前に届いた手紙

【池田充雄】霞月楼2代目の堀越正雄・満寿子夫妻は、山本五十六の土浦での親代わりのような存在で、日頃から親身に世話し、転出後も交流が続いたという。

ある日2人の下に山本から手紙が届く。正雄が贈った成田山のお札への礼状だ。日付は昭和16年(1941年)12月5日。太平洋戦争開戦となる真珠湾攻撃の3日前で、北方航路では真珠湾に向けて機動部隊が進軍、山本が座乗する旗艦「長門」以下主力部隊は、退却支援のため山口県岩国市の柱島泊地に待機していた。

手紙にある「最後の御奉公に精進致し居り候」の文言が暗示的だ。もはや生きては帰らぬ覚悟を示したか。海外経験が豊富で彼我の国力の差を知る山本は、対米戦争にはもとより反対の立場だったとされる。1940(昭和15)年9月の近衛文麿首相との会談では「是非やれと言われれば半年や1年は随分暴れて御覧に入れるが、2年3年となれば全く確信は持てぬ」と答えていた。

霞月楼にある山本の手紙

航空軍備の重要性を認識

山本は1884(明治17)年、新潟県長岡市坂之上町に旧長岡藩士・高野貞吉の六男として誕生、当時の父親の年齢から五十六と命名された。日露戦争中の1904(明治37)年、海軍兵学校を卒業。翌年、装甲巡洋艦「日進」に配属され、5月27日の日本海海戦に参加した。砲弾の炸裂により左手の指2本を失い、左大腿部に重傷を負った。

その後は乗艦勤務を経て、海軍砲術学校教官や海軍省軍務局員などを務める。1916(大正5)年、旧長岡藩城代家老職の山本家を相続。1619(大正7)年、旧会津藩士の娘・三好礼子と結婚した。

1919(大正8)年4月から約2年間米国に駐在し、ハーバード大学で学ぶ。1923(大正12)年6月から9カ月間、ワシントン軍縮条約下の欧米各国の情勢を視察し、日本海軍の将来には航空戦力の充実が不可欠との信念を抱く。

断髪令で隊の風紀を刷新

1924(大正13)年9月1日、自らの強い希望により霞ケ浦海軍航空隊に赴任。12月1日に教頭兼副長(後に副長兼教頭)に就くと、初日の朝礼で号令台から総員を見渡し「下士官兵にして頭の毛を伸ばしている者は皆切れ。一週間の余裕を与える。終わり」と宣告した。

霞ケ浦航空隊は1922(大正11)年11月の創隊で、隊員の間では英国教官団の影響から長髪の者が多く、腕一本で空を駆ける職人気質と、命知らずのやくざ気質が表裏を成し、遅刻や脱営も日常茶飯事だったという。そこでまずは軍紀風紀の刷新に着手し、勘や名人芸に頼らぬ合理的な飛行技術の確立を目指した。

土浦在勤中の山本の住居は、「山本五十六伝」(朝日新聞社)によると長岡中学の後輩・大崎教信少佐が建てた家だそうだ。神龍寺(土浦市文京町)の参道右手、今は墓地がある辺りにあった。なお当時の参道は桜並木が覆っていたが、1938(昭和13)年の大洪水で枯死している。

神龍寺の秋元梅峯住職とは意気投合し、1925(大正14)年9月に土浦で最初の花火大会を2人の私費で開催した。目的は海軍航空殉難者の慰霊、2年前の関東大震災の犠牲者の追悼、不況にあえぐ土浦の商業振興、農業収穫への感謝など。これが現在の土浦全国花火競技大会の基礎となった。

ブーゲンビルの空に散る

連合艦隊司令長官になった頃の山本五十六

山本の霞ケ浦在任は1年3カ月で終わり、1926年(大正15年)1月から2年間、駐米大使館付武官を拝命。帰国後は空母「赤城」艦長などを経て、1929年(昭和4年)11月少将に進み、以後は海軍航空本部長や海軍次官などの要職を歴任。1939(昭和14)年に連合艦隊司令長官、1940(昭和15)年に大将となる。

1941年(昭和16年)10月に成立した東條英機内閣は、米英蘭3国に対する開戦方針を推し進め、11月26日に対米交渉が決裂すると、12月8日の真珠湾攻撃で戦端を開いた。山本率いる連合艦隊は、初期の南方作戦では良好な戦果を挙げたものの、翌年6月のミッドウェー海戦で大敗を喫し、以後戦況は悪化の一途をたどる。

1943(昭和18)年4月18日、東部ニューギニア・ソロモン群島での戦いの最中、山本は前線視察のためラバウル基地を飛び立つが、ブーゲンビル島上空で米軍機の待ち伏せに遭い撃墜された。享年59歳。

下半身像を56年ぶりに発見

山本には元帥の称号が遺贈され、同年6月5日に日比谷公園で国葬が執り行われた。また12月8日には土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊武器学校、阿見町青宿)第1練兵場の号令台横に、コンクリート製の立像が建てられた。像の高さは3.6メートル、台座を含めると6.3メートルに達した。

1945(昭和20)年8月に終戦を迎えると、進駐軍の狼藉を恐れて、山本の像は胴から半分に切断され、霞ケ浦に沈められた。上半身は1948(昭和23)年に湖底から引き揚げて神龍寺に安置され、1952(昭和27)年に菊池朝三元少将らが海軍殉職者のための慰霊祭を開いた。菊池は山本の部下で終戦時の海軍総隊参謀副長。梅峯の長女と結婚し、1959(昭和34)年から12年間土浦市議を務めている。

1952年に神龍寺で慰霊祭が催されたときの記念写真

上半身像は1958(昭和33)年に生家跡の山本記念公園に移されたが、風雨による傷みから1970(昭和45)年に青銅の複製像に置き換えられた。原像はいま海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校、広島県江田島市)の教育参考館にある。

下半身像も湖底にあるものと考えられてきたが、2002(平成14)年の調査で台座近くの地中に埋まっていると判明。56年ぶりに掘り出され、雄翔館前に新しく建てられた山本像の台座下部に収められた。号令台横の古い台座には今、山本の揮毫による「常在戦場」の碑が置かれている。

予科練記念館「雄翔館」は1968年、陸上自衛隊武器学校内に開館した。正面の山本像は2004年の建立

●取材協力・参考資料
陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽神龍寺▽阿川弘之「山本五十六」(1994年新装版、新潮社)▽三和多美「海軍の家族」(2011年、文芸春秋)▽阿見町歴史調査委員「海軍航空隊ものがたり」(2014年、阿見町予科練平和祈念館)▽「霞月楼百年」(1988年、霞月楼)▽「阿見と予科練」(2002年、阿見町)▽阿見町民話調査班「爺さんの立ち話」(2003年、阿見町)▽「花火と土浦」(2018年、土浦市立博物館)▽常陽新聞2002年6月11日付▽長岡市山本五十六記念館ウェブサイト▽土浦商工会議所ウェブサイト▽ウィキペディア

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

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堀越麻紀氏 最後の訴え 全文文字起こし 茨城6区 衆院選’26

➡音声はこちら。 こんばんは。寒い中お集まりをいただきましてありがとうございます。茨城6区、衆議院選挙に立候補しました堀越麻紀と申します。よろしくお願い致します。私は、政治の道に進むなどとは、1ミリたりとも思っていませんでしたが、この日本の姿を前にして、どうにかしなければ、どんどんどんどん日本が壊れていってしまうと思いこの場に立っています。そしてこの選挙が始まるときにですね、選挙カー、選挙カーは借りられなかったんですよ。選挙カーを借りられなかったから、小さい車で闘っています。そして、Xのアカウントまで一時は凍結されました。この時に本当に大きな勢力と戦っているんだなと思いました。 失われた日本経済、30年と言いますが、もうすぐ35年経とうとしています。私は生まれも育ちも、つくばみらい市です。つくばみらい市は、かつては、5月になると田植えが始まって、カエルの鳴き声が聞こえる町でした。そして夏になれば青い空に白い雲、そして、緑の絨毯のような稲が風になびく美しい田園風景の景色だったんです。そんな町でした。ですが今は、減反、減反と言われ、荒野が広がりつつあります。そして、いつの間にかメガソーラーが広がってきています。失われた日本経済30年と言われますが、こうした美しい日本の景色までも壊れてきてしまったんです。私はこの美しい日本をどうしても今の子どもたち、守ってきたい、子どもたちに残したいと思い、参政党に入ってこの選挙を闘っています。 そして皆さん覚えていますか。日本は戦争に敗れましたが、たった20年、たった20年で日本経済はアジアでトップ、世界でトップクラスの日本になれたのに、35年間も、35年間もですよ、日本経済が停滞して、35年間も給料が上がっていないって、明らかに間違った政治が行われてきた結果なんです。日本人は真面目で辛抱強いですよね。いつか良くなる、いつか良くなると、毎日コツコツコツコツ働いて待ってたと思うんです。 私はこの選挙活動をして、農家のおじいさんにも会いました。息子に農業を継がせたが、本当に悪いことをしてしまったと。政府は減反、減反政策をしたから収入が減ってしまったと。息子に農家を継がせなければよかったと、本当につらそうな、悲しそうな顔をしていたおじいさんでした。そしてまた88歳のおばあさんも、いつかよくなるとずっと待ってたらしいです。選挙にも投票してたらしいですよ。ですが、全く良くなってない。もう88歳になってしまった。今回の選挙にはもう行かないよ、もう良くならないからと私に訴えてきたんですよ。でも私はもう、今回の選挙で必ず政治を、日本人を大切にする、日本を大切にする政治を取り戻し、いい日本を築いていくから、もうちょっと、お母さん、頑張って楽しい暮らしをしていきましょうよって言ったんです。希望ある日本を必ず築いていくからと、頑張って一緒に生きていこうよと言いました。なので、私はこの選挙、全身全霊で闘って参りました。必ずいい日本をつくっていきたいからです。 我々参政党には宗教団体からの献金、宗教団体からお金や企業からのお金、一切いただいておりません。いただいてないから組織票や団体票などないんです。国民一人一人の一票が大事な一票となります。そしてその一票が、政治を変える一票となるんです。どうか我々参政党とともに声を上げ、この政治を変えていってください。この選挙が日本の政治を変えるターニングポイントとなっているんです。我々参政党の代表もこの選挙がターニングポイントといって、190人、190人の候補者を挙げてこの選挙を闘っているんですよ。失われた日本経済30年が40年になって、増税増税増税ばかりになり、増税大国となって、働いても働いても報われない社会にしたくないから。そして、移民大国にしたくないから闘ってます。私は、今の子どもたち、孫たち、未来の子どもたちのために、この日本をどうしても命をかけて守っていきたいんです。80年前、命をかけてこの日本を守ってきた英霊たちがいるからです。次は私たち大人がこの日本を守るべきではないでしょうか。 そしてこの茨城県にはですね、不法労働の外国人の労働者がたくさんいるんですよ。数を優先して、経団連の言いなりになって、安い賃金の外国人の労働者をこのままどんどんどんどん入れ始めると、茨城県の不法労働の数がどんどんどんどん増すだけではなく、日本人の賃金が上がっていきません。そして今のヨーロッパ見てください。移民が10%を超えた国は明らかに治安が悪くなっているんです。先ほど池田(悠紀)議員がお伝えした通り、レイプの件数が恐ろしく多いんですよ。日本の外国人の犯罪件数も毎年毎年上がってきてますよね。それはなぜか、東南アジアにある国には犯罪歴抹消法というのがあります。犯罪を犯しても1年後、3年後、5年後には犯罪歴が消えてしまうんです。そういった人たちが日本に普通に労働者として入ってこれてしまっているのが今の制度なんです。我々参政党は外国人を差別しているわけではありません。日本が大好きで、日本の文化や伝統、ルールをきっちり守ってくれる外国人なら歓迎すべきでしょう。ですが、数を優先してこのまま外国人を受け入れ続けると、日本の治安が明らかに悪くなってしまうんですよ。そして、35年間、日本経済が停滞したことによって、ここ日本には180万人の失業者がいるんです。去年1年間だけでも7万人増えました。去年1年間だけでも倒産件数が1万件増えたんですよ。我々参政党はまずここにいる日本人の雇用支援をすべきだろうと言っているんです。本来政治とは国益を守り、誰もが豊かに過ごせる国をつくるものではないでしょうか。 財源がない財源がないと国は言ってますが、5年連続国の税収は最高値を達してます。毎年毎年最高なんですよ。ですが国民一人一人の暮らしは良くなりましたか。良くなってませんよね。ですが今の政権与党は、外国人を雇うと企業に最高72万円の助成金を渡してるんです。そして年金もですよ。日本人の年金は10年間払わないと65歳から受け取りができませんよね。ですが外国人は5年間年金を払った分、100%近い返金がされるんです。一時帰国をすると100%近い年金5年分払った年金が返金できるんですよ。そしてまた1、2カ月したら日本に入国して新しい年金番号をもらって、また年金に加入します。また5年間払ったら帰国をして5年分の年金をもらっているんです。だだ漏れじゃないですか。なぜ日本人、それって日本人の税金ですよね。そして年金制度とは付加制度なんです。今の高齢者を支えるために我々日本人が払ってるんじゃないでしょうか。私はこういった外国人に優遇されている制度を直したいと思っています。日本の子どもたちのためにも、孫たちのためにも、未来ある、未来の子どもたちにも、どうか今の日本の社会、そしてこの外国人の受け入れ制度を、我々参政党と一緒に、堀越麻紀と一緒に見直しをお願い致します。 そして我々参政党には企業からの献金、宗教団体からの献金、一切ございません。なので、組織票はないです。団体票がないです。一人一人の票が大事な一票となります。どうか参政党と一緒に未来ある国づくり、希望ある国づくり、働いたら報われる社会を作っていきましょう。今回の選挙が最後のチャンスなんです。失われた30年を40年にしたくないんですよ。働いたら報われる社会をどうしても作っていきたい。今の子どもたちのために安心安全な社会、安心安全な国、希望が溢れる日本を作っていきたいです。どうか思い出してください。初めて抱いた、子どもを抱いた瞬間を、そして守りたいと思った気持ちを。お願いです。日本を守っていきましょうよ。今回の選挙がラストチャンスなんです。日本が変われるかどうかの選挙です。一人一人の一票が日本の未来となります。どうか力をお貸しください。参政党、堀越麻紀に力を貸してください。未来あふれる日本をつくって参ります。ご清聴ありがとうございました。