金曜日, 3月 6, 2026
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《遊民通信》4 中心なき世界 アフター・コロナを生きる

【コラム・田口哲郎】
前略
コロナ禍は現実社会をI Tネットワークの中に呑(の)み込みました。網の目に中心はありません。社会は「中心なき世界」の到来に直面しています。しかし、人間の歴史は中心をめぐる物語です。集中と集積が人類の進歩の証でした。例えば、首都という中枢都市は古代からあり、徐々に拡大し、近代になって大都市になりました。

我々が当たり前だと思っている大都市は、19世紀に出現した比較的新しい社会機構です。産業革命で飛躍的に工業化が進み、農村人口が都市に流入しました。工業は富を生み、巨大都市の住人の食い扶持(ぶち)をまかなえるまでになったのです。近代国家にとって巨大都市は自国の勢力を誇示する格好の装置でした。しかし、大都市の特権的地位もコロナ禍の前には無力かもしれません。

古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、誤った思いこみである「ドクサ」に気をつけるよう人々に教えました。何でも中心に集めることが便利で効率的だという考えはドクサだったのではないでしょうか? 中心の周辺が肥大化し、中心に至るまでの過程と中心内の移動にムダやロスが多くなりすぎたのです。

それでも、私たちはついつい中心を求めました。ドクサが現実をつくり、その紛れもない現実が人々を真綿で締めつけていました。

自由ゆえの苦悩

中心が無ければ、ひとつのモードに縛られませんから、自由です。社会にゆとりが生まれるでしょう。良いことです。しかし、自由はただ気楽なものでしょうか? 自由には責任が伴い、往々にして不安を生みます。新しい生活様式では、ひとりひとりが中心にならざるを得ません。群衆のひとりだった私が中心になります。主役というものがどれほどの重責を担い、ストレスにさらされるか、私たちは知っています。

さらに、かつての中心は形を変えて人々を支配しようとするでしょう。ネットワークの隅々にまで入り込んで。支配というよりも管理と言った方がよいかもしれません。効率化されたICT(情報通信技術)管理社会で、各々は小さな中心として数々の選択を迫られるようになります。

こんな社会を予言していた人がいます。ニーチェです。「神は死んだ」で知られる哲学者は、神という中心がなくなった大衆資本主義社会に呼びかけました。人生はいわば一期一会なので、とにかく強い人間になろう、と。永劫回帰(えいごうかいき)と超人の思想です。

強くなることは頑張ることではありません。群衆のうちのひとりなら「頑張っています!」と言えば見逃されたものも、全員自らが中心になるのですから自己満足ではダメなのです。超人は自分の選択に揺るぎない確信を持ち、現実を創らねばなりません。過去でも未来でもなく今の創造です。

そんなの無理!と即答したくなりますね。でも、強くなる秘訣があります。新様式社会を生き抜くヒントです。紙幅がありませんので、それは次の便で。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

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半世紀の集大成 光を描く水彩画家 中野瑞枝さん回顧展 つくば美術館

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