土曜日, 12月 20, 2025
ホーム土浦《霞月楼コレクション》6 門井掬水 日本の情緒や風雅を体現する美人画

《霞月楼コレクション》6 門井掬水 日本の情緒や風雅を体現する美人画

芝居の一場面を描いたような屏風

【池田充雄】霞月楼にある門井掬水(かどい・きくすい)の屏風(びょうぶ)は謎の多い作品だ。右扇では若侍が花吹雪の中を歩み、左扇には女性が宴を楽しんでいるが、図柄は続いていない。また、本来は1隻に1つだけの落款が、左右2カ所に入っている。これらの点から、別々の屏風から人物だけを継ぎ合わせ、仕立て直したかと推察される。当初の形では、花見の場の出会いの景を描いていたのかもしれない。

題・制作年不詳 二曲一隻屏風 185×200cm 霞月楼所蔵

名実とも揺るがぬ清方の一番弟子

門井掬水は1886(明治19)年、鹿島郡札村(現鉾田市札)に生まれた。本名英。戸籍上の父は門井源左衛門だが実際は祖父にあたる。生家は「銭屋」の屋号で両替商や河岸問屋を営み、源左衛門は1889(明治22)年の町村制施行の際に白鳥村の初代村長も務めた。

門井掬水(大洋村史より転載)

幼くして実父母と共に上京し、1897(明治30)年頃、湯島天神前の切通坂に住む鏑木清方に入門。当時掬水は11歳で湯島小学校に在学中、清方は19歳だがすでに挿絵画家として父の経営する「やまと新聞」ほか数紙で活躍していた。後に「築地明石町」などの美人画で名を馳せる清方の、最初の弟子が掬水であった。

1900(明治33)年の連合絵画共進会に「燈下読書」で初入選し、1911(明治44)年の第11回巽画会展に「むろの花」で一等褒状。ほかに清方が挿絵画家仲間と結成した烏合会展や、清方の塾展である郷土会展などにも精力的に作品を発表した。

掬水は1906年(明治39)から数年間、日本橋浜町に転居した清方の玄関番を務めるが、この頃から清方の下には川瀬巴水、伊東深水、山川秀峰ら多くの門弟が集まるようになった。1915(大正4)年には「それぞれ巣立ちしたのちまでもふる里を忘れまい」との思いから郷土会が結成され、掬水が中心となって会の運営にも力を尽くした。

美人画のほかに新傾向の作品群も

帝展では1921(大正10)年の第3回展に「芽生」で初入選、以後第7回展の「黒胡蝶」、第9回展の「傀儡子」、第10回展の「七夕」と、いずれも師譲りの清麗な美人画で入選を重ねた。茨展では1923(大正12)年の第1回から出品し、第3回から無鑑査となった。

「黒胡蝶」1926年頃 絹本彩色 同名の帝展出品作とは姉妹作にあたる 坂東郷土館ミューズ(坂東市立資料館)所蔵

掬水の本道は伝統的な美人画だが、それ以外に、各地の情景や風俗などに材を得た作品も発表していた。特に異彩を放つのが伊豆諸島のシリーズだ。1937(昭和12)年に郷土会一行は大島へ写生旅行に出掛けた。1928(昭和3)年に野口雨情作詞の「波浮の港」が流行するなど、当時は大島ブームが到来していた。

旅行から戻った掬水は、同年の茨展で「島の娘」、郷土会の島巡遊絵画展で「椿の島」を発表。さらに勢いは続き、1940(昭和15)年の紀元二千六百年奉祝美術展に「夕浜」で、その翌年の第4回新文展に「神津島の女」で入選。島特有のあんこ姿の女性像には南方のユートピア的な雰囲気も漂う。

「夕浜」1940年 絹本彩色額装 185×226cm 紀元2600年奉祝美術展 茨城県近代美術館所蔵

続いて第5回新文展では「和具の海女」、第6回新文展では「船越の盂蘭盆」で入選を果たすが、これらは題からして三重県伊勢志摩地方の民俗文化を描いたものと思われる。

目黒雅叙園に今も残る掬水作品

1931(昭和6)年に目黒行人坂に創業した目黒雅叙園(現ホテル雅叙園東京)は、当時の一流画家らによる天井画、壁画、襖絵などが全室を埋め尽くし、その絢爛豪華たるさまは「昭和の竜宮城」と称された。また、昭和初期の帝展や文展などに出品された日本画作品を数多く買い集め、これらも館内の随所を飾った。

雅叙園の建設は1943(昭和18)年までの長期に及んだ。掬水も清方の指名により、1937年ごろ盛んに同園の依頼を受けて制作にあたっている。ほかに、展覧会に出品した中から買い上げられた作品も多かった。

当時の建物は後に老朽化が進み、1991(平成3)年の目黒川の拡張に伴う全面改装の際、ほとんどが取り壊された。旧館を彩った天井画や壁画などは、新館に移築復元した以外は額装保存され、収集品と共に目黒雅叙園美術館へ移された。だが2002(平成14)年の経営破綻で美術館は閉鎖され、作品群は散逸し、今では所在が不明になったものも多い。

旧館のうち1935(昭和10)年に建設された3号館だけは、「百段階段」の名で2009(平成21)年に東京都の有形文化財に指定され、「清方の間」「十畝の間」など7部屋が当時の姿のまま残された。また、ホテル雅叙園東京内の料亭・渡風亭には「掬水」の名を冠した一室があり、天井に彼の手による扇面型の美人画を見ることができる。

出展から退き一筆を楽しむ日々

掬水は1945(昭和20)年、空襲により牛込払方町の自宅を焼失し、静岡県の御殿場へ疎開した。1952(昭和27)年に葛飾区亀有五丁目に移ると、1976(昭和51)年に89歳で亡くなるまで、ここを終生の住まいとした。

戦後の活動は、1953(昭和28)の第9回日展に「朝涼」で入選、1957(昭和32)年に永田春水や浦田正夫らと茨城日展会を結成するが、その後は出品から遠ざかり、県展や県芸術祭の委嘱に応じる程度になった。当時の様子を清方は「昔の画人がそうであったように一筆を楽しむかに見える」と評している。

一方で私的な依頼には快く応じており、特に深川木場の木材問屋「長谷萬」の創業者・長谷川萬治とは懇意になり、しばしば制作依頼を受けたという。また亀有五丁目に近い長門町(現足立区中川)の旧家の人々は、掬水を囲む会を催し、その縁で彼の作品を多く残した。生家のあった鉾田市札でも、複数の個人宅に作品が伝わっている。

掬水の描く人物は表情が乏しくポーズも類型的と言われ、同門の深水が美人画を人物画へ高めようとしたのとは対照的だ。だが掬水は人物の個性や内面を描くよりも、古きよき日本の情緒や風雅を体現させる方を重視したのではないか。それは芸術家的な表現への欲求よりも、職人的な美への奉仕者たることを選んだであろう本人の姿とも重なる。

2016(平成28)年、江戸東京博物館の「大妖怪展」に掬水の「牡丹燈籠」が展示された。幽霊寺として知られる金性寺(福島県南相馬市)所蔵の一幅だが、美しすぎる幽霊画として観覧者の評判を呼んだ。

●取材協力・参考資料 茨城県近代美術館▽坂東郷土館ミューズ(坂東市立資料館)▽雑誌「萌春」275号(1978年4月、日本美術新報社発行)▽雑誌「常陽藝文」348号(2012年5月、常陽藝文センター発行)▽「茨城新聞」2012年6月18日付・6月21日付・6月25日付▽「足立史談」568号(2015年6月、足立区教育委員会発行)▽ホテル雅叙園東京ウェブサイト

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