火曜日, 2月 17, 2026
ホーム土浦《霞月楼コレクション》5 小林巣居人 田園と水郷を生涯描いた自然画人

《霞月楼コレクション》5 小林巣居人 田園と水郷を生涯描いた自然画人

芋銭・百穂の二師に鍛えられる

【池田充雄】小林巣居人(そうきょじん)は1897(明治30)年、稲敷郡長戸村(現龍ケ崎市半田町)の農家に生まれた。本名は善。長戸尋常小学校(現長戸小学校)を経て、1911(明治44)年に長戸農業補修学校を卒業、地元の青年学校で農業指導助手を務めた。

作品名・制作年不詳 紙本彩色額装 71×48cm 霞月楼所蔵

1917(大正6)年に画家を志し、牛久の小川芋銭を訪ねる。芋銭の勧めで翌年春に上京し、平福百穂の画塾に入門。後に巣居人は「第一の師・芋銭より発想の自由を教えられ、第二の師・百穂からは厳しい写生を叩きこまれた」と語っている。

1921(大正10)年の第2回中央美術展に初入選。茨展には1923(大正12)年の第1回から出品、2~5回に県賞を連続受賞し、その後無鑑査。院展では1928(昭和3)年の第15回展に「竹林」で初入選、1931(昭和6)年には院友に推挙され、画壇の評価を高めていく。

1929(昭和4)年に帝国美術学校(後の武蔵野美術学校、現武蔵野美術大学)が開校すると、日本画科長の百穂の下で助手として勤務。芋銭との交流も続き、1935(昭和10)年には銚子市海鹿島の潮光庵で数カ月にわたり起居を共にして制作を助けた。余談だが海鹿島は竹久夢二の詩「宵待草」の誕生の地でもある。

院展を出て新興展を設立・再興

1937(昭和12)年、同志11人と共に日本美術院を脱退し「自由拘束なき新興清新なる芸術」を目指して新興美術院を結成。だが1943(昭和18)年の第6回新興展に出品した「土機光象」を巡り意見が対立、巣居人ら3人が同院を脱退する。

小林巣居人

戦時疎開を経て1946(昭和21)年、新治郡高浜町(現石岡市高浜)の篠目(笹目)八郎兵衛の下に移住。八郎兵衛は霞ケ浦に蒸気船を導入した水運業の大立者で、土浦の色川三郎兵衛らと共に日本鉄道土浦線(現JR常磐線)の開通にも尽力した。芋銭の支援者でもあり、潮光庵も篠目家の別荘だった。

この頃の巣居人の活躍は多岐にわたる。1947(昭和22)年の土浦市美術協会設立に協力、1949(昭和24)年の県南美術協会展で審査員。1948(昭和23)年に武蔵野美術学校教授に就任。1950(昭和25)年には戦時中の混乱で途絶していた新興美術院を再興。県展では1952(昭和27)年から審査員を務めた。後の県芸術祭にも晩年まで出品を続け、没後の1979(昭和54)年に「小林巣居人賞」が創設された。

故郷の土と水に生きる小さな命

巣居人は故郷の身近な自然を生涯描き続けた。当初、師2人から得た「枝上人」「巣居」の雅号はいずれも、その人の心の置き所を示すかのようだ。幼少期より育まれた土への親しみは「土機光象」で結実した。上巻では地上の花や鳥や虫などが、下巻では地中の球根やドジョウやタニシなどが、それぞれに生を謳歌する作品だ。自然界の小さな命を愛おしむ心は、宮沢賢治の世界観とも共鳴し「やまなし」「よだかの星」などの作品を生み出した。

「よだかの星」(部分)1951年 紙本彩色屏風二曲一双 第1回再興新興美術院展 茨城県近代美術館所蔵

戦後は高浜を拠点に、水面の移ろいや風に揺れる芦原など、霞ケ浦の風物を主な題材とした。1957(昭和32)年の東京転居後もこの傾向は続く一方、湖面の波立ちや雲の流れをリズミカルに描くなど、表現の様式化・抽象化が進んだ。1958(昭和33)年から約10年間、日本橋の三越本店で個展を開くが、この頃には画面構成はより装飾的になり、色彩もより鮮やかさを増していった。冒頭に掲げた霞月楼所蔵の作品にも同時期の特徴がよく出ている。

老境にたどり着いた清澄な世界

巣居人は1975(昭和50)年、妻の療養のため高浜へ戻った。最晩年の作品では穏やかな色彩と柔らかなタッチで清澄な世界を作り上げた。「春雪」では静かに舞い落ちる淡雪を小鳥たちが見上げ、春の到来を予感する様子を、優しい眼差しで描いている。1978(昭和53)年、81歳で他界。その遺風は三男の小林恒岳が受け継ぎ、高浜や八郷の自然を慈しむ作品を描いていたが、彼もまた2017(平成29)年に鬼籍に入った。

「春雪」1977年 紙本彩色額装 72.5×99.5cm 秋季新興展 茨城県近代美術館所蔵
  • 取材協力・参考資料 茨城県近代美術館▽図録「小林巣居人遺作展」(1980年、茨城県立美術博物館)▽図録「小林巣居人の世界」(2010年、茨城県天心記念五浦美術館)▽図録「小林巣居人・恒岳展-故郷への思い」(2013年、茨城県天心記念五浦美術館)▽図録「故郷を愛した作家たち」(2014年、とりでアートギャラリーきらり)▽画集「田園の詩」(1982年、京都書院発行)▽雑誌「常陽藝文」1999年3月号(常陽藝文センター発行)

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

12本中半数に空洞 ソメイヨシノ6本を伐採 つくば 桜の名所 農林さくら通り

森林総合研究所第2樹木園 つくば市の桜の名所、同市観音台、農林さくら通りで16、17日の2日間、森林総合研究所第2樹木園の敷地内に植栽されているソメイヨシノ12本のうち6本の伐採作業が実施されている。12本の幹の内部などを調べたところ、空洞があり、倒伏の恐れがあることが分かったためだ。 伐採後は土壌改良し、早くて来春、八重咲きのサクラ「はるか」と野生種の新種「クマノザクラ」を植栽する。はるかは同研究所が開発し、俳優の綾瀬はるかさんが命名した。クマノザクラは同研究所などが紀伊半島で発見し2018年に命名された。 50年前に植栽 農林さくら通りは、農林関係の国立系研究機関が集積する通り約1.5キロの通り。通り沿いに約500本の桜が植栽され、各研究所が管理している。戦時中、谷田部海軍航空隊の飛行場跡だったところで、戦後、開拓地となり、その後、筑波研究学園都市の一角として農林研究団地が造成された。桜は約50年前の1975年ごろに植栽されたと見られている。同研究所第2樹木園は、筑波学園病院から常磐車道に架かる橋を渡ってすぐの、さくら通り入り口に位置する。 同研究所の佐藤保企画部長によると、さくら通り沿いの第2樹木園にはもともと13本のソメイヨシノが植えられていた。桜が散った後の昨年4月、そのうちの1本が2車線のうち片側1車線をふさぐように道路側に倒伏した。朝、出勤した職員が発見、倒伏した時刻は深夜か早朝だったとみられ、幸いけが人はなかった。 同研究所は、残りの12本に倒伏の恐れがないか調査。森林微生物が専門の研究者が目視と特別な機器で樹木の健全性を調査した結果、12本中6本に空洞があることが分かり伐採を決めた。近年、全国各地で落枝や倒木による人身事故が多発しているほか、ソメイヨシノは樹齢50年ほどを過ぎると枯れ枝が目立つようになるという。一方、昨年4月に倒伏した1本は、幹の空洞が原因ではなく根の一部が腐っていた。当日吹いた強風により根が地上部を支えられなくなったと考えられるという。 伐採する6本はいずれも幹の直径が70センチ程度、高さは10~12メートル程度で、歩道を覆うように桜の枝が伸び、桜の名所の一角を形成していた。 来春以降、植栽する桜は現在、同研究所の多摩森林科学園で育てられており、現在は高さ1メートルほどだという。佐藤部長によると、花を咲かせるのは植栽してから3~4年後、桜並木を形成する大きさに成長するのは10~20年先になるという。(鈴木宏子)

思いやりのデザイン《デザインを考える》29

【コラム・三橋俊雄】昨年の春のことです。UR住宅で一人暮らしをされている97歳のMさんが、ビルの出入口前にある2段の階段でつまずき、仰向けに倒れて頭を少し打ってしまいました。ちょうど近くの遊び場にいた女の子たちがその様子に気づき、そのうちの1人がスマートフォンで救急車を呼んでくれたそうです。ところが、Mさんが「救急車を呼んじゃったの!」と言ったためか、その子は姿を消してしまったとのことでした。幸い、Mさんは病院で手当てを受け、その日のうちに無事に帰宅することができました。 翌日、この話をMさんから伺った私は、救急車を呼んでくれた子どもたちの気持ちがどうだったのか、心にひっかかりました。善意から行動してくれた子どもたちが、Mさんの一言によって「迷惑だったのかもしれない」と感じ取ってしまったのではないかと思うと、そのときの出来事が子どもたちの心に残ってしまいそうで気がかりだったのです。 そこで私はMさんと相談し、「救急車を呼んでくれてありがとう。私が階段で倒れていたところを、みなさんが心配して救急車を呼んでくれました。おかげさまで、病院で頭の傷の手当てを受け、その日のうちに退院できました。みなさんのおかげです。ありがとう! 97歳のおばあちゃんより」と書いた手紙を作り、遊び場にある滑り台の脇に貼りました。 次の朝に見に行くと、その手紙の下に「無事退院できてよかったです。お体に気をつけてください! by 中1の7人より」という小さな書き込みが添えられていました(上の写真)。それを目にしたとき、私は、子どもたちの善意とMさんの気持ちが、ようやくひとつにつながったように感じました。それは、小さな「思いやり」が確かに行き交った瞬間でした。 「お礼」でなく「手立て」 この出来事を振り返ると、親切心から行動した子どもたちでしたが、Mさんの一言によって、かえって不安を抱くことになったと感じたとき、私たちはどうしたらよいのか。ここでは、こどもたちが誰なのかも分からない状況のなかで、子どもたちとMさんの気持ちがもう一度寄り添えるようにと、手紙というかたちで「ありがとう」を伝えることにしたのです。 子どもたちへの手紙は単なる「お礼」ではなく、状況をより良い方向へ導くための小さな「手立て」だったと思います。途切れかけた人と人との関係を、もう一度そっとつなぎ合わせるための「きっかけ」でありました。 こうした行動こそ、小さな問題に気づき、状況を読み取り、より良い関係へとつなぎ直していく、そして素敵なコミュニティにしていくための「思いやりのデザイン」だったと感じています。(ソーシャルデザイナー)

筑波大ラグビー部の歴代ジャージを再生 福祉と結び「つくベア」誕生

筑波大学ラグビー部などを強化支援する社会貢献団体「つくばスクラム」(廣瀬重之代表)=25年4月15日付=が、部内に保管されてきた歴代の試合用ジャージを再利用し、応援グッズとしてクマのぬいぐるみを制作するプロジェクト「つくベア〜Future Blue〜(つくベア フューチャーブルー)」を開始した。 制作にあたるのは、同市竹園の就労継続支援A型事業所「CWらぼ つくば」。同事業所の林佑一郎さんは「スポーツと福祉のこういった形の連携は今までにない経験。ラグビーというスポーツの枠を拡張したところに、障害のある利用者の方々もプレーヤーの一人として参加していければ」と、「ラグビーの町つくば」で始まった新しい企画へ思いを込める。 1枚のジャージから、約22cmのぬいぐるみが2体作成でき、試合会場などで取り扱う。一体あたり税込4500円。 闘いの証を縫い込む 「こことここを見てください」。そう言って、手にしたクマのぬいぐるみを示すのは「CWらぼ つくば」で利用者に縫製を指導する職員の柏木ひとみさんだ。擦れた傷と薄い緑色のシミが残る生地を指さしながらこう語る。「普通はこういった生地は製品には使いませんよね。でもここでは『ダメ』じゃない。ここに物語がある」 同事業所では、障害や病気のある人たちによる伝統工芸「こぎん刺し」を施した雑貨を製作し、製品は、市内の雑貨店や都内の百貨店などで販売されている。 今回のぬいぐるみの素材となるのは、同市筑波大ラグビー部が保管してきた公式戦用に使われてきた歴代ユニフォーム。節目ごとに新調したりモデルチェンジを重ねながら使われてきたもので、部員にとっては誇りの象徴でもある。簡単に処分できず、少なくとも数十年前から倉庫で大切に保管されてきた。 「つくばスクラム」は2023年に発足。ラグビー部員主体で活動し、ラグビーを通じて地域とのつながりを広げたいという思いから、眠っていたユニフォームの再活用を模索していた。市に相談したところ、紹介されたのが市内で民芸品制作や販売を通じて障害のある人たちの社会復帰を支援する「CWらぼ つくば」だった。 世界に一つだけ 服飾学校で学んだという柏木さんは「生地のシミや傷を見ていると、トライしてついた芝生や土の跡なのかな、と背景を想像できる。汚れは決してダメなものではないんです」と話す。 ラグビージャージは特殊な素材だ。部位によって伸縮性が大きく異なる。「ここはすごく伸びるけど、ここは全く伸びない。引っ張られても切れないようにできている。通常ぬいぐるみには使わない素材だが、逆にそこを活かしたい」と言う。 特性の異なる生地を縫い合わせるために、複数の糸を使い分ける。縫製時には紙を挟んで伸びを抑えるなど工夫を重ねる。立体感を出すためにダーツを入れるなど、洋裁の専門知識も活かされている。背番号や色の切り替え部分をどこに使うか考える。1体ずつ表情が異なる「世界に一つだけのぬいぐるみ」だ。 制作に携わる利用者からは「難しさもあるが、やりがいを感じている」「選手が残した闘いの証。完成させると本当にうれしい」と声が上がる。 同事業所でサービス管理責任者を務める林さんは「学生に私たちの活動を知ってもらうチャンスはなかなかない。すごくいい機会だと思った」と、つくばスクラムからユニフォーム再活用の相談を受けた当時を振り返る。 個性尊重し合うラグビー精神 つくばスクラムでスポンサーなど企業とのやり取りを担っているのが、ラグビー部2年の田島汰一さんだ。スクラムハーフとして、試合では攻撃の起点を担う。「ジャージには、誇りを持って戦った先輩たちの証が残っている。その特性を失わずに活かしてもらえたのは、本当に意味があると思った」と話す。公式戦に出られるのは23人。部員約60人のうち、半数近くは憧れの公式戦用ユニフォームである「ファーストジャージ」を着られずに卒業する。だからこそ、そのジャージには特別な思いが込められると話す。 田島さんは、ラグビーの魅力を「能力の違いを超えて、それぞれの個性を尊重し合うところ」だと話す。地域貢献活動については、「日本一になるためにもグランド内外でしっかりと活動しないといけないと思っている。つくばにはラグビーの大きなコミュニティがある。筑波大はその柱として活動していく使命がある。地域の方々に私たちの活動を見てもらい、共感してくれる仲間が増えたり、応援してくれる方々が増えることで、より高みへと目指したい」とし、「この活動が、ラグビーを知ってもらうきっかけになれば」と想いを込める。 ぬいぐるみのお披露目は、12月に秩父宮競技場で行われた全国大学ラグビーフットボール選手権大会準々決勝。試合会場で取り扱った10体は、設置直後に完売した。今後も試合会場などで取り扱っていくという。会場に立ち会った同大1年でマネージャーの西村柊さんは、「『また作ってほしい』という声がたくさんあった」と振り返る。西村さんは、「仲間として助け合うのがラグビー。見てる側の感情に訴えかけられるし、人間っていいなぁって思える」とし、「ぬいぐるみを通じて色々な人がつながり、手にした人たちが『私もつくばファミリーの一員』だと感じてもらえたらうれしいです」と笑顔を浮かべる。(柴田大輔) ➡就労継続支援A型は、利用者と雇用契約を結び、従業員として働いてもらう福祉サービス。「CWらぼ つくば」の利用者は身体障害、軽度の知的障害のほか、うつ病などの中途障害者も多い。

衆院選に見たポピュリズムの蔓延《吾妻カガミ》216

【コラム・坂本栄】先の衆院選で各党が掲げた消費税の公約には強い違和感を覚えました。その範囲と程度に濃淡はあったものの、一様に消費税の縮小や廃止を訴えていたからです。減税や廃税を歓迎することはあっても反対する国民は少ないでしょう。選挙での消費税改廃合戦は、国民大衆に迎合して票の取り込みを図るポピュリズムの極みです。 消費税減税と廃税を競う 各政党が目玉公約に設定した消費税政策は以下のようなものでした。飲食品に限り2年間ゼロ(自民、維新)、同ずっとゼロ(中道改革)、全商品5%にカット(国民民主)、同5%にカット+いずれゼロ(共産)、消費税全廃(れいわ、参政、減税日本、日本保守、社民)、消費税でなく社会保険料をカット(チームみらい)。 飲食品限定か全商品が対象か、期間限定か恒久的か、一部廃止か全部廃止か、消費税でなく社会保険料を下げるか―各政党の政権への距離によって差はありますが、生活に身近な消費税をいじくり回し、票をかき集めたいという思惑が見え見えでした。 来年度予算122兆円の4分の1を国債発行(借金)で賄うというのが日本財政の現状です。この構造を直視せず、各党は減税あるいは廃税を競い、有権者に選択を迫りました。政府の借金がすでに巨額に上っていることを考えると、国民も随分バカに(愚民視)されたものです。 いま必要なのは「増税党」 消費税公約を読んでいて、元財務省次官だった矢野康治・神奈川大学教授の講演(2025年秋、ホテル日航つくば)を思い出しました。21年10月発行の月刊「文藝春秋」に「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」とのタイトルで寄稿、大きな話題になった方です。講演では財政赤字拡大を憂慮、借金財政が経済を活性化、それが税収増につながるといった考え方には強い疑問を呈していました。 講演のあと、「講演行脚だけでなく、『増税党』を立ち上げ、財政再建を国民に直接訴えたらどうか」と、新党立ち上げを促してみました。笑ってかわされましたが、今思うと、「増税党」議員数は財政ポピュリズムへの「懸念指数」になるのではないでしょうか。 外国人奪い合いが現出する? 排外主義を目玉にする参政党にあおられたのか、外国人政策でもポピュリズムが蔓延(まんえん)、永住者と日本国籍取得の審査を適正化(自民)、外国人比率の上限設定を検討(維新)、観光公害対策として外国人の入国に徴税(国民民主)、低賃金労働力導入が目的の移民政策に反対(れいわ)、外国人の受け入れ総量と運用を厳格化(参政)―といった公約が並びました。 外国人規制が「受ける」のは、言葉や習慣が違う人たちは嫌いだ、自分たちの仕事が奪われる―といった気分や心配があるからでしょう。しかし、人口が減っていく日本の経済や社会は、外国人に手伝ってもらわないと成り立ちません。外国人問題は、ヒューマニズム(人道)やダイバーシティ(多様性)の問題だけでなく、プラグマティック(実利的)な問題でもあるのです。 懇意にしている高齢者施設の経営者が「施設を造っても、それに必要な介護職員を集められず、部屋が埋まらない。近い将来、人口が減っていく先進諸国の間で外国人労働力の奪い合いが起きるだろう」と話していました。 長期視野と構造対策が欠如 外国人問題は気分や心配に振り回されることなく、将来の人口減を展望して取り組む必要があります。また、物価高に消費税で対処するのは場当たり策であり、為替円高や市場機能を活用する抜本策が必要でしょう。先の衆院選では、こういった長期視野と構造対策の欠如が目立ちました。政治の劣化です。(経済ジャーナリスト)