木曜日, 1月 28, 2021
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【語り継ぐ 戦後75年】① 6日から土浦で「2020原爆と人間展」

【田中めぐみ】広島市の高校生が描いた原爆の絵30点や写真パネルを展示し、戦争の悲惨さや核兵器根絶を訴える「2020原爆と人間展」が6日から、土浦市大和町の茨城県県南生涯学習センターで開かれる。9日まで、入場無料。

同展は被爆から60年の2005年から始まり、今年で16回目。主催する土浦平和の会の事務局長で、県平和委員会常任理事の近藤輝男さん(79)は、「展示を通し、核兵器の問題についてもっと多くの人に関心を持ってほしい」と話す。近藤さんに平和活動への思いを聞いた。

土浦平和の会の事務局長近藤輝男さん

戦中・戦後、ひもじかった原体験

近藤さんは1941年、長野県飯綱町で生まれた。叔父は戦争で亡くなったという。親からも戦時中苦労した話を聞いていた。物心ついた頃は食べる物が少なく、ひもじい思いをした。田舎だったので、都会の人が着物を食べ物と交換しにくる様子もよく見たという。よく食べていたのはじゃがいもとご飯を混ぜた芋めしや、麦の割合が多い麦めし。

「肉が食べられるのは盆か正月だけ。飼っていた鶏や兎をつぶして食べた。かわいそうで殺せないので、人に頼んでやってもらっていた」

甘いものもなく、貴重品だった砂糖を母親が隠していたが、幼い近藤さんはそれを見つけては盗みなめしていたという。母は近藤さんに、赤ん坊だった近藤さんをヤギのミルクで育てた話をよくした。食べ物がないせいでお乳が出なかったという。大きくなってからもヤギのミルクを時々飲んだそうで「甘くておいしかった」と振り返る。

1964年、埼玉県川口市にあった資源技術試験所(現在の産業技術総合研究所)に入った。石油資源に関する研究に従事し、インドネシアやアメリカなど様々な国を訪ねた。オランダのアムステルダムに行った際にはアンネ・フランクの家を見学し、ナチスから身を隠すための隠れ家に通じる入り口を見て戦争の悲惨さを感じたという。

2001年から2005年はブラジルに滞在し、海底油田から採れる石油の質をよくするための研究に携わった。ブラジルにも日系ブラジル人の被爆者がいて平和活動を行っていることを知り、当時から平和活動に関心を持っていたという。ブラジルからの帰国後、仕事を引退し「土浦平和の会」で活動を始めた。

歴史から学び、社会構造の見直しを

国連は2017年、核兵器禁止条約を採択した。核兵器の全面廃止と根絶を目的にしている。50カ国が批准すれば効力を発揮するが、条約を批准した国は今40カ国であと10カ国。

「核を多く持つロシアやアメリカ、フランスといった大国が反対しているし、被爆国で賛成すべきはずの日本も反対している。戦争を体験している世代は年々少なくなり、後世に語りつぐ人も少なくなってきた。歴史を学び、戦争について知り、想像力を養わなければなけない。新型コロナウイルスの感染拡大、地球温暖化など、今までのやり方では人類が存続できない状況に差し掛かってきた。一人ひとりの行動変容が求められている。核兵器についても同じ。これから運動が広がり、これまでの社会構造を考え直すきっかけになるのではないかと期待している」

  • 終戦から75年もの時が流れ、戦争を直接体験した人たちから記憶を聞くのが難しくなった。遺品や証言に接しながら昭和・平成と戦争体験を語り継いできた人たちも高齢になった今、世代を超えて戦争をどう伝えるべきなのか。NEWSつくばが8月に問いかけるシリーズを随時掲載する。

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