【伊達康】高校野球代替大会出場を控えた有力校の監督インタビュー。第3編は昨年夏、茨城を制した霞ケ浦高校の髙橋祐二監督に話を聞いた。
課題と向き合う春が中止に
—3月11日にセンバツ甲子園の中止が決まり、3月30日に県の春季大会の中止が決まりました。中止を聞かされた時のお気持ちはいかがだったでしょうか。
高橋 うちは春の大会を経験して課題が見えて、その課題と向き合いながら5月、6月を過ごして夏の大会を迎えるという一連の流れがあります。春の大会はチームを強化していく上で大切な意味を持つものですので、中止は非常に残念でした。
—4月16日には全国が緊急事態宣言の対象地となりました。緊急事態宣言が出されてから宣言が開けるまでの期間、チームとしてどのようにモチベーションを維持し、練習をされていたでしょうか。
高橋 夏の大会はあると信じてやるしかないと子どもたちには伝えてありました。寮生以外はグラウンドでの練習をしないようにして、通いの子は、トレーナーからのLINEを使った課題動画などを見て自宅で自主練習を行いました。50人の寮生は解散しないでそのまま残して、2時間から3時間程度の自主練習を行っていました。
—新しく1年生が入寮したと思いますが、入寮のタイミングが遅れたりしましたか。
高橋 本来であれば3月25日の練習解禁に合わせて3月23日のクラス編成テストのタイミングで入寮します。しかし今年はクラス編成テストが中止になりましたので、3月29日の新入生ガイダンスのタイミングで前日の28日に入寮しました。本当にぎりぎりのタイミングだったと思います。
ずっと閉じこもりきり
—5月20日には夏の甲子園大会の79年ぶりの中止が決まりました。中止が決まった日、髙橋監督は選手にどのような言葉を掛けたでしょうか。
高橋 他の部活動の各大会が全て中止になっていて、いくら高校野球が別組織であるとはいえ、今年ばかりはちょっとできないだろうなとは考えていました。5月15日にリーク記事のようなものが出ましたが、子どもたちにもこの日から徐々に中止になりそうだということを伝えていました。
中止の発表があった5月20日には寮生50人しかいなかったので、けじめを付けるという意味で翌日に通い組も含めて全部員を集め、「中止が決定した」「残念だ」という話をしました。
寮生も本来は1カ月に1回は自宅に帰したいところだったのですが、移動を制限されていてそれもできずにずっと閉じこもっていましたし、この間ずっと自主練をしてきて疲弊していました。選手本人も相当ショックだったと思いますが、保護者の方も相当ショックだったと思うし、心の整理がつかないと思います。
分散登校が始まってある程度落ち着いてきたタイミングでしたし、学校が始まってから次の登校までの間、寮生を1回帰宅させ3日から4日の間、親と心の切り替えをしてきなさいということで、練習を休ませました。その時点では代替大会があるかどうかは決まってなかったのですが、必ず代替大会はあるからと伝えて、気持ちを切り替えてやろうということで全体での活動をスタートしました。
先輩の戦いっぷり感じて学習する
—御自身のお気持ちはいかがだったでしょうか。
高橋 3年生にとっても残念だし私自身も残念ですけど、1年生や2年生の下級生にとっても、4月から6月は3年生の先輩が甲子園に向かう戦いをするまでの合宿や練習、メンバーに入れるかどうかといった追い込まれる状態や、生き様というか、戦いっぷりみたいなものを下級生が感じて夏の開幕を迎えます。
ベンチの中やスタンドを下級生は見ながら、こうやって戦っていくんだということを学習する。下級生にとってもそういう大きな意味を持つ夏までの期間や大会そのものを失ったので、この先も大変だなという気持ちになりました。
指導者としては来年も再来年もあるかもしれませんが、在学生は3年間のチャンスしかないうちの、センバツと夏がなくなったわけですからね。そこに関しては誰も責めることはできないので、もう切り替えるしかないかなと思います。
—髙橋監督の言葉に選手からどのような反応がありましたか。
高橋 うちは前もっていろいろなことを伝えていましたので、がっかりはしていたでしょうけど、取り乱すようなことありませんでした。昨年優勝していたというのもあり、中止決定の日は報道陣が来ていて中止を伝える様子を撮影されていたからかもしれませんが、子どもたちは淡々と聞いていました。
(続く)