木曜日, 6月 25, 2026
ホームスポーツ【高校野球代替大会】日大 小菅監督に聞く㊤ 練習する姿、泣けてきた

【高校野球代替大会】日大 小菅監督に聞く㊤ 練習する姿、泣けてきた

【伊達康】茨城県の高校野球代替大会が11日開幕した。出場を間近に控えた有力校の監督インタビュー第2編は、2017年と18年の夏に茨城を連覇した土浦日大の小菅勲監督に話を聞いた。

春季大会中止に落胆

—春季大会の中止を聞かされた時はどのようなお気持ちだったでしょうか。

小菅 本校は東京、千葉、神奈川など緊急事態宣言が先に出たところの出身者がいますもので、寮で選手を預かるという判断をしました。

勉強はオンライン授業で、練習は集まって自主練習で行いました。フィジカル的なことはつらいことなのでみんなでやろうということで、1日2時間程度は練習できていたんですね。ですから春はまだやれるという気持ちでいたしチーム状態も非常に良かったんですよ。

3年生を中心に練習への取り組みもよく、心技体ともにすごく良い状態で調子が上がってきていたんですね。それで3月下旬に春季大会がないという判断が発表されたときは本当に落ち込みました。

—3月中に全体練習はできていたのでしょうか。

小菅 全体練習ではなく個人練習や学年練習ですね。チームとして組織立って練習はできていませんが練習を欠かすことはありませんでした。随分良い状態でしたから私も選手も春季大会をやりたかったし、本当に春の関東大会に行きたかったという思いです。

春先の土浦日大桜グラウンド。この時にはまだ紅白戦が行えた

—3月上旬に取材にお邪魔した時にエースの中川竜哉投手の体つきが見違えるように分厚くなっていてびっくりしました。

小菅 昨秋から努力を重ねました。2学年上でエースだった富田卓を見習って自分も体を大きくしたいという思いで食トレと筋トレを継続しました。彼はパワーピッチャーではありません。持ち味であるボールのキレも増し、非常に良い状態で冬を越せたと思います。

エースの中川竜哉投手。冬トレの成果で最速142キロに到達した

オンライン授業と自主練

—4月16日に全国が緊急事態宣言の対象地になりました。その後はどのように過ごしましたか。

小菅 このまま寮で生活するのか、それとも自宅に戻って過ごすのか、選手本人と保護者に判断してもらいました。保護者の方で戻ってほしいとか、この際怪我を完治させるために自宅近くの病院に通いながら生活したいという選手がいて8人程度が自宅に戻りました。

残りの選手は寮で平日は午後3時30分頃まではオンライン授業を受け、終わったら自主練をして過ごす。緊急事態宣言が解除されるまではこのように過ごしていました。

オンライン授業を受けた後に気持ちを切り替えて「さあやるぞ」という気持ちに持っていくのはなかなか難しかったみたいですね。選手同士でモチベーションを維持するように話し合っていたようです。

—オンライン授業はいつから始まったのですか。

小菅 本校は緊急事態宣言が出た後、1週間以内にオンライン授業が始まりました。課題なども提出しないといけなくて、生徒たちもなかなか大変だったようです。

代替大会やっぱり「複雑」

—5月20日に夏の甲子園と地方大会の中止が決まりました。この日、監督はどのような言葉を選手にかけましたか。

小菅 5月20日よりも前に甲子園中止というリーク記事みたいなのが出ましたよね。あのタイミングでまず生徒にはフォローの声をかけて、5月20日には「これで仕方ないということではない。やりたかった大会だし、出たかった甲子園だし、1週間でも2週間でも落ち込んで悔やんでも良いから、悔みきれたらもう一度集まって次に向かって出発しよう」という話をしました。

—その後、茨城県の代替大会開催が決まりました。

小菅 やっぱり複雑ですよね。「やったぞ」というふうにはならないですよね。甲子園につながらない大会なんですから。選手のモチベーションは今でもアップしている訳ではありません。「とりあえず頑張れ」とか「最後に3年生らしくやれ」というのは押し付けになってしまいますよね。

私から無理やり言葉を弄(ろう)することは避けています。甲子園があっての高校野球なので、だから頑張れるというのがありますし、甲子園出場という志を同じくするからこそ指導者と選手という関係が築けているわけで、今まで味わったことのない不思議な数カ月を過ごしています。

これはどのチームもそうだと思いますよ。そこでやっぱり一番武器になるのが言葉だし、一番邪魔になるのも言葉だと思っています。不思議な空気感を感じながら今に至っています。

—3年生の士気は上がってきているのでしょうか。

小菅 確かに甲子園中止、地方大会中止と聞かされた頃よりは上がってきてはいますが、いつもの年のようにはいきません。このコロナ禍にあって野球を諦めた子もいますし、手伝いに回って受験勉強を一生懸命やっている子もいます。本当に一体感のない、モザイクがかかったような感じになっていますね。

例年ならモチベーションが下がった子がいたら「頑張ろうぜ。しっかりやろうぜ」とモチベーションを引き上げることができたんですが、今年はモチベーションの低い子には低いなりの言い分があるしそれが理解できる。強要することはできません。

—例年のように厳しく指導をしていない、できないということでしょうか。

小菅 例年も厳しくないとは思いますが(笑)。ここ数年は生徒の自主性を尊重した指導が大事なのではないかと思っていますし、今年はそれをより痛感していますね。またこれが興味深い臨床例というか、研究対象となって我々の腕も磨かれたと思います。コロナ禍が再来するのは望まないことですが、再来した場合は今回のことが生かせるのかなと思います。

3年生も精神的に大人になりましたね。彼らは「甲子園がない。君たちに夏はない」と叩きつけられたわけです。自分が高校生だったら間違いなくグレていたと思いますよ(笑)。けど、彼らはやっぱり野球が好きだっていう気持ちだけで甲子園がなくてもやっている。彼らが練習をやっているのを見るだけで感動して涙が出てくる時期もありました。本当に泣けてきましたよ。

常に空気を読みながらの毎日です(笑)。現代の高校野球は。部員たちの機微を察しながら、時代の風を感じながら、ですね。そうしていかないと、生徒たちからの信頼は得られません。

(続く)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

公立学校も「経営」の視点を持つ時代へ《よぎさんの眼》2

【コラム・よぎ(P.ヨゲンドラ)】日本の公立学校は今、大きな転換点を迎えている。少子化による生徒数減少、教員不足、教育ニーズの多様化、さらには地域間格差の拡大により、従来型の学校運営では立ち行かなくなりつつある。これからの学校には、単なる「運営」ではなく、学校運営や教育活動に関する情報を数値化したデータとしてフォローする「経営」の視点が必要である。 これまで公立学校では、「前年通り」が重視される傾向が強かった。予算、教育活動、組織体制など、多くが慣例ベースで維持されてきた。しかし、人口減少時代に入り、学校は自然に生徒が集まる存在ではなくなった。特に地方では、学校の魅力そのものが地域の存続に直結する時代になっている。 社会ニーズに応える学びの企業 私は、公立学校も「学びの企業」として再定義する必要があると考えている。もちろん、利益追求を意味するものではない。ここでいう経営とは、「生徒ファースト」を掲げ、「限られた人材・予算・時間を最大限活用し、生徒の成長という成果を高めること」である。あらゆる教育活動を連携し、その効果を最大化するデザイン・シンキングが必要である。 例えば、民間企業では、顧客ニーズを分析し、組織改善を繰り返しながら価値向上を図る。一方、多くの学校では、生徒や保護者が何を求めているのかを十分分析できていない場合も少なくない。大学進学だけでなく、国際教育、探究活動、デジタル教育、キャリア教育など、社会が求める力は大きく変化している。それにもかかわらず、教育内容や学校組織が変化できなければ、生徒の学びと社会との間にズレが生じてしまう。 人材育成こそが教育現場改革の鍵 また、学校経営において重要なのは「教員育成」である。優れた校舎や設備があっても、教員組織が疲弊していては教育の質は向上しない。現在の学校現場では、長時間労働や過剰な事務作業により、教員が本来注力すべき「生徒と向き合う時間」が奪われている。 多くの教育委員会は立派な研修センターを持っていても、教員や管理職育成のための実践的な講座をデザインしていない。教員が必要とする授業のアイディアや道具を研修センターでトコトン研究すべきである。教員の内外研修、業務改善やDX化を進め、教員が創造的な教育活動に力を注げる環境づくりが必要である。 さらに、校長の役割も変わるべきである。従来の管理型ではなく、学校の方向性を示し、人材を育て、外部と連携しながら組織を動かす「経営者型リーダー」が求められる。企業、大学、自治体、海外機関などとの連携を進め、学校を地域と世界につなぐ存在にしていく必要がある。学校の予算は事務長任せではなく、新規調達、維持管理費の妥当性を自ら確認し、業者を増やすことで癒着を解消していくべきである。 「選ばれる学校」への変革 これからの学校は、「ただ存在する学校」ではなく、「選ばれる学校」へと変わっていく。そのために入学希望者のニーズを理解する必要がある。教育改革とは、単なる制度変更ではない。学校という組織そのものの在り方を問い直すことなのである。人口減少社会の日本において、学校経営の改革は避けて通れない課題であり、日本再生の重要な鍵の一つになるだろう。(元県立土浦一高・付属中学校長)

武蔵美卒業生28人 個性あふれる作品117点展示 つくば美術館

武蔵野美術大学(東京都小平市)を卒業した県内在住者及び県出身者で構成する同大校友会第23回茨城支部展が23日から、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれ、油彩、日本画、水彩、工芸、和製本など28人による117点の個性あふれる作品が展示されている。28日まで。 県在住者及び出身者は約1000人が該当するが、同県支部は約30人が会員となっている。支部展は毎年開催され今年で23回目。 支部長の冨澤和男さんは(67)は10点を展示。会期中、日本の伝統的な製本様式である和装本のワークショップが開かれることから、今回初めて和装本を出展した。ほかに、明治時代から続く土浦の老舗「保立(ほたて)食堂」を、色鉛筆デザインと油絵とで書き分けた作品を展示した。「現在の保立食堂は看板が壊れており、15年前に撮った写真のものと現在のものを再構成した。今回は色鉛筆と油絵という二つの手法で描いてみた。見る人によって好みが分かれており興味深い」と語る。 数年ぶりに出展した清野光男さんは、福島の原発事故などメッセージ色の強い作品を描いてきた。今回はウクライナ戦争をテーマにした「分断と破壊」と題した作品を基本に、さらに複数の素材や技法を組み合わせて制作するミクストメディアの手法を使って描き、「境界と分断」「地景と分断」「地景 地と空」など計4点を展示した。 NEWSつくばコラムニストでイラストレーターの川浪せつ子さんも出展。NEWSつくばで連載してきた「ご飯は世界を救う(おいしい時間)」で描いた水彩画のほか、「つくば良いトコ」「古民家の夜景」(いずれも水彩画)などを展示している。川浪さんは「スケッチはその場でほぼ完成するものもあれば、後からきちんと描くものもある。つくばのまだ知られていない楽しいところや癒されるところをさらに絵にして紹介していきたい」と語る。 ほかに中村茂子さんの皮革工芸作品「時空花」などの展示もある。 冨澤支部長は「昨年よりも作品数は多くなったが。会員は増えていない。若い人が入ってくればもっとバリエーションに富んだ面白いものになる。まだまだ卒業生はたくさんいるので、仲間になってもらいたい」と話す。(榎田智司) ◆武蔵野美術大学校友会第23回茨城支部展は、6月23日(火)~28日(日)、つくば市吾妻2-8、県つくば美術館で開催。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。会期中▽ワークショップ「折本を作ろう!」を27日(土)午後1時30分~3時30分に開催。定員15人、参加費500円▽作家が自身の作品を解説する「ギャラリートーク」を28日(日)午後1時~2時30分に開催。定員無し・参加費無料。問い合わせは電話090-2669-9206(坂本さん)へ。

風鈴の音《短いおはなし》52

【ノベル・伊東葎花】 田舎のおじいちゃんが突然訪ねてきた。東京見物のついでに寄ったそうだ。「健太にお土産だよ」と渡された包みを開けて、お菓子じゃなかったことにガッカリした。 「これ、何?」 「南部鉄の風鈴だよ」 南部鉄は、おじいちゃんが暮らす盛岡の名産らしい。 「懐かしいな」と父が言った。「まあ、結構な物を」と母が言った。 おじいちゃんは、スカイツリーに行くからと早々に家を後にした。母は社交辞令的に引きとめたけど、帰った後はほっとしたように見えた。僕たちが住む部屋は、高層マンションの最上階。洋風な部屋に南部鉄の風鈴はまるで似合わず、それは箱に入ったまま棚の中に納まった。 おじいちゃんは、その1カ月後に亡くなった。心臓が悪かったそうだ。 「まさかあの日が最後になるなんて」 父が、悲しそうにつぶやいた。 家族3人で盛岡へ行った。山しかない田舎で、年の近い従兄弟(いとこ)もいない。父と母は忙しそうだし、僕はつまらなくて帰ることばかり考えていた。 葬式の後、縁側でゲームをしていたら伯母さんがスイカを持って来てくれた。 「健ちゃん、何にもなくて退屈でしょう」 スイカを目の前に出されて、「あのう、スプーンは?」と言ったら笑われた。 「スプーンなんか使わないよ。種はこうやって庭に飛ばすの」 伯母さんは豪快に種を飛ばした。放物線を描いた種は、面白いほど遠くに飛んだ。僕もまねをした。「そうそう」と伯母さんが手を叩いて笑った。 「健ちゃんのお父さんは、おじいちゃんの自慢だったよ。大きな会社に勤めて、すごいマンションに住んでるって、みんなに自慢してた」 「ふうん」 「うちには女の子しかいないから、健ちゃんは特にかわいい孫だったのよ」 「そうなんだ」 「小学生になってから、ちっとも来なくなっちゃったでしょう。だから最期に、何だかんだ理由をつけて会いに行ったのよ。お気に入りの風鈴を持ってね」 「え…?」 心地よい風が吹いて、軒下の風鈴が鳴った。ちりんとか、そんな音じゃなかった。心に響くような澄んだ音色は、耳の奥にいつまでも余韻を残した。 「南部鉄よ」 「ああ」 僕はうなだれた。澄んだ音で風鈴が鳴るたびに切なくなった。どうしておじいちゃんの死を、ちゃんと悲しめなかったのか。 東京に帰ってすぐに、おじいちゃんがくれた風鈴を出した。ずしりと重く、冷たい感触が手のひらに心地よい。窓辺に下げて、少しだけ風を入れると、盛岡の家と同じ音で風鈴が鳴った。 「きれいな音ね」。母が目を細めた。「そりゃそうだろう。南部鉄だもん」。父が自慢げに言った。 「あの日、泊めて差し上げたらよかった」 「そうだな」 父と母が、あの日よりずっと優しい顔をしている。僕たちは、優しく澄んだ音色をいつまでも聞いていた。 (作家)

腹話術全国大会で準優勝 つくば市在住の小学校教員 渡邊隼人さん【ひと】

つくば市在住の小学校教員で、現在つくばみらい市立陽光台小2年生を担任する渡邊隼人さん(40)が、大阪府吹田市で4月に開かれたアマチュア腹話術師の全国大会「F-1腹話術グランプリ」で準優勝を果たした。併せて、過去4回の大会でいずれも決勝まで勝ち残った出場者に贈られるレジェンド賞を受賞した。ステージネームは「香之鳥(こうのとり)」という。 アマチュア腹話術師として全国ナンバー2の実力だ。4月の大会では「腹話術の王道を突っ走っている」「さわやかで引きつけられる」「歌を歌いながらの人形との掛け合いがすばらしい」などと評価された。 つくば市立作岡小(現在は秀峰筑波義務教育学校)教員だった2015年、一つ上の先輩教員に「一緒に習い事をしよう」と誘われ、市内の商業施設「イーアスつくば」のカルチャーセンターで腹話術を習い始めたのがきっかけ。月1回通い、かすみがうら市の腹話術師、田谷京子さんから技を学んだ。めきめき上達し、4年後の2019年、田谷さんの教え子として最高位の1級を取得した。「(ステージで)お客さんとコミュニケーションをとる際、自分だけでなく、人形もお客さんと目線を合わせることができるようになるまでがなかなか難しかった」と振り返る。F-1腹話術グランプリには、大会がスタートした2022年から連続出場する。 東京都出身。大学では生物学を専攻した。卒業後、都内で幼稚園教諭や学童保育指導員などを務めた経歴がある。当時の幼稚園教諭、保育士、教員仲間と2017年に、お話会ボランティア「おはなしらぼ」を設立し、現在も仲間とつくば市や埼玉県内各地で月1回程度、未就学児や小学校低学年を対象に、腹話術とパネルシアターや絵本の読み聞かせ、歌などを組み合わせたステージを披露している。 前任のつくばみらい市立板橋小(現在の伊奈東小)では特別支援学級の担任だった。授業に腹話術を取り入れ、子供たちが腹話術の人形と対話しながら自分と向き合う取り組みに挑戦した。授業で、「自分のせっかちな性格が好きじゃない」と話し出す子供に、渡辺さんが操る腹話術の人形が「それは、先回りして計画的にできるということでしょう」と切り返す。短所だと思っていた自分の性格を、別の視点から見せることで長所に変え、前向きな感情を引き出し、子供たちが自分自身と向き合う試みの一環だ。この試みを2023年の腹話術グランプリで発表し、「映像部門・仕事に使える腹話術部門」で優勝した。腹話術は現在も学級運営や特別な授業の際などに取り入れている。 相棒の人形は現在、オレンジ色のモンスター人形「たっくん」、おばあさんの「菊さん」、サルの「モンちゃん」、豚の「トン吉くん」、男の子の「ケンちゃん」など。6月14日、つくば市竹園の書店「えほんやなずな」で開いた「おはなしらぼ」のステージでは、モンスター人形「たっくん」と登場し、ほかのメンバ―との掛け合いで笑いをとり、子供たちを大喜びさせた。18日には陽光台小2年生全員約150人を対象に交通安全教室を開催。男の子の人形「ケンちゃん」と、横断歩道の渡り方などを笑いを交えながら教え、子供たちの目を輝かせた。 練習は、朝夕の通勤時、車を運転しながら、一人車内で大きな声を出したり歌ったりするのが日課という。「お客さんとやり取りし、拍手をいただくことは幸せな時間」「今は人形が手になじんできて、勝手にしゃべり出す。人形に助けてもらっている」と語る。 学校では、今後も学級運営などに腹話術を生かしていくほか、「おはなしらぼ」の活動を続けたいと話す。新たに都内の小劇場の舞台に立ち、お笑いの世界に挑戦するなど芸の幅を広げることも視野に入れる。(鈴木宏子)