月曜日, 12月 23, 2024
ホームつくば障害者に感染が迫った時… 必要な支援受けられず不安 つくばの男性

障害者に感染が迫った時… 必要な支援受けられず不安 つくばの男性

【川端舞】新型コロナウイルス感染の危険性が身近に迫った時、障害者は公的な支援を受けられるのだろうか。つくば市在住の30代男性は、同居家族の職場で感染者が出た影響で、一時、介助サービスや訪問看護を中断されてしまった。

訪問看護とヘルパー派遣が中断

男性は全身の筋肉が次第に弱くなる難病があり、車いすで生活し、24時間呼吸器を使用している。現在、2つのヘルパー派遣事業所から週に平均22時間ヘルパーを派遣してもらい、トイレ介助や車いすへの移乗、痰(たん)の吸引、お腹に開けた穴から直接栄養を入れる経管栄養の介助などを受けながら、家族と同居している。また血中酸素濃度などの体調確認やマッサージのための訪問看護も、週1回受けている。

3月末、同居している母親の職場で新型コロナの感染者が出た。男性の母親は感染者と直接接触したことはなかったが、男性も感染する危険性があるとして、訪問看護が一時中断されてしまった。さらに訪問看護の中断を理由に、2つのうち1つのヘルパー事業所からの派遣も中断されてしまった。そのため、ヘルパーの介助を受けられる時間が普段の半分になり、その分、母親に介助の負担がいつも以上にかかってしまい、その影響で母親は2週間仕事を休まざるを得なかった。

職場での感染発覚の4日後に男性の母親はPCR検査を受け、同日陰性が確認されたが、訪問看護とヘルパー派遣は約3週間、中断された。

訪問看護が中断された間、往診の医師は普段通り来てくれたこともあり、問題はほとんど起きなかった。しかし、新しいヘルパーが男性の介助に入る時は、訪問看護の看護師に痰の吸引や経管栄養の方法を教えてもらう必要があるため、元通りに訪問看護を受けられるようになるのか心配だったと男性は語る。

「ヘルパー派遣だけでなく、体調維持に不可欠な訪問介護まで中断されてしまって不安だった」とAさんは振り返る。訪問看護の中断がもとで、ヘルパーの訪問も中断されてしまったこともあり、訪問看護に疑問を抱いてしまったという。

未曽有のコロナ禍で、訪問看護やヘルパー派遣の現場も対応に苦慮しているはずだ。日常的な支援が必要な重度障害者に新型コロナの感染が疑われた時、どうすれば支援者も利用者も安心して、支援を継続できるのか。今後、第2波の危険性がある中で喫緊の課題である。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

自然災害と農協の役割を考える《邑から日本を見る》174

【コラム・先﨑千尋】元日の能登半島地震で始まった2024年はまもなく終わる。「異常」気象が当たり前となり、酷暑の夏だった今年。そして、いつどこで起きるのかが分からない地震と豪雨。まるで昨今の世情をあざ笑うように思える。能登半島では9月に記録的な豪雨となり、河川が氾濫し、豪雨による土石流災害が各地で発生し、仮設住宅も床上浸水。2次被害を被った。 豪雨被害地・秋田を訪問 私は能登半島には足を運んでいないが、今月初めに豪雨災害を受けた「秋田しんせい農協」管内を歩いた。7月末に秋田、山形両県を襲った記録的大雨により、秋田県での農林水産関係の被害額は185億円を超え、犠牲者も出ている。 同農協管内では2000ヘクタールの農地が冠水、浸水して土砂・流木が流入し、全耕地面積の26%になった。被害額は78億円に達し、その他に農協のカントリーエレベーターが稼働できなくなるなどの被害も出ている。 私が住んでいる旧瓜連町の面積は1466ヘクタールだから、それよりもはるかに広い。水害発生時は水稲の出穂時期。水路が崩落し、冠水しない水田でも水が入らなくなった。農協では水田に入水するためのポンプ・発動機を手配し、いもち病防除のために、ドローンによる農薬散布を実施した。 農協ではさらに、国や県、国会議員などあらゆる方面に支援を要請し、激甚災害指定を受けた。復旧工事には95~97%の補助を受けられるというが、いつ始まるのか、いくらかかるのか、見通しが立っていないと、同農協の佐藤茂良組合長は話している。 被災地に入り、被害を受けた山間部の農家の話も聞いた。「土石が水田に入り、農道や水路も寸断され、修復は個人ではできない。被害箇所が多すぎて、由利本荘市役所は何もしていない。復旧には数年かかるだろうが、その間、収入は絶たれる。個人負担もあるが、出せない。土地は本体国のものなので、修復は国がやるべきだ」などの話が聞けた。 農産物自給運動の発祥の地 今年は夏から米価が高騰し、民間業者がコメを買いあさり、農協への出荷が大幅に減っているという。しかし、同農協管内では秋の集落座談会で「困った時こそ助け合いの精神。今こそ協同組合の真価を発揮する時だ。コメを1俵でも多く農協に出荷してくれ」と訴えた。そのため、管内からの流出は出荷契約数量の2%程度にとどまったという。 同農協は合併して28年たつ。その間、米価は半分に下落した。それに合わせるように、管内の農地、農家戸数、組合員が減り続け、農協の販売取扱高も半減した(コメは6割減)。そこで農協では、組合員のために農協をなくしてはならないと考え、支店の統廃合など様々な効率化を図った。その結果、赤字だった営農経済部門を黒字化し、出資配当だけでなく利用高配当もできるようになった。 効率化戦略が一段落したので、農協では成長戦略に舵を切り、地域農業ビジョンを打ち立て、そのための体制も整えた。そうした中での今回の大災害。私はコメの販売戦略、有機農業と学校給食への取り組み、地域の消費者と結びつく直売所の拡充、自給運動など、生活視点での活動の展開を組合長に提案した。ここはかつての農産物自給運動の発祥の地─合併前の「仁賀保町農協」なのだから。(元瓜連町長)

主力 長谷川の穴埋められず ロボッツ、長崎に敗退

男子プロバスケットボールBリーグ1部(B1)の茨城ロボッツは21日、水戸市緑町のアダストリアみとアリーナで長崎ヴェルカと対戦し75-91で敗れた。茨城は2026年開幕の最上位リーグ「Bプレミア」への参入を決めたばかりだった。長崎も参入が決まっている。今季の茨城の通算成績は7勝16敗で東地区6位。22日は同会場で再び長崎と対戦する。 2024-25 B1リーグ戦(12月21日、アダストリアみとアリーナ)茨城ロボッツ 75-91 長崎ヴェルカ茨城|20|25|15|15|=75長崎|23|25|13|30|=91 茨城は第3クオーター(Q)までは長崎と互角の戦いをしていたが最後に突き放された。60-61で迎えた第4Q、長崎はマーク・スミスやジャレル・ブランドリー、馬場雄大らが得点力を発揮し前半5分間で16点を挙げ、この間に茨城はわずか2点しか奪えなかった。その後は遠藤善の3点シュートやジェハイヴ・フロイドのバスケットカウントなどで追い上げるがなかなか点差は縮まらず、最後は5ファウルに追い込まれた。 「4Qの頭から相手が守備の強度を上げてきて、自分たちはそのプレッシャーで攻撃のリズムが悪くなり、守備も崩れてしまった」と茨城、中村功平の談。クリス・ホルムヘッドコーチ(HC)は、相手の得点源であり28点を奪われたスミスへの守備を例に挙げ「彼に対しては選手全員が責任を持って守らなければならないと話していたが、マークを受け渡す場面で得点を許してしまった。特に4Qは、全員がそこに集中してプレーすることができていなかった」と評した。長崎が古巣のフロイドは「相手がフィジカルに戦ってくることは分かっていて準備していたが、それを40分続けられなかった。明日は意識を集中して試合に勝ちきりたい」と話した。 茨城はチームの要である長谷川暢がアキレス腱断裂の重傷で前節からチームを離脱しており、代わりを務めるポイントガードが課題だった。この日は今季新加入の駒沢颯が前節に続いてスターターを務め、約20分間コートに立ち、3点シュート5本を含む17得点と4アシストの活躍。「前節の北海道戦ではガード陣の得点が少なかったので、今日はオープニングから積極的にシュートを打っていった。明日も常に前を向いてアタックしていきたい」と意気込んだ。後は駒沢がベンチに下がった時間帯をどうするかだが、平尾充庸はまだ本調子ではなく、久岡幸太郎もこの試合ではミスが多かった。 「長谷川とエリック・ジェイコブセンという主力2人が長期離脱中。いままではこういう場面で選手が下を向きがちだったが、今は不利な場面でも戦うことを止めないチームになってきた。ただ、成長はしているがまだ完璧ではない。全員が共通認識のもと責任を持って戦い、ロボッツがBプレミアの舞台にふさわしいチームであることを証明したい」とクリスHCは先を見据える。(池田充雄)

野山に消えた子たち 「ひきこもり」その5《看取り医者は見た!》32

【コラム・平野国美】今風に言えば「ひきこもり」とか「不登校」と呼ばれるであろう子供たち。通学路から外れ野山に消えていった子供たち(12月6日掲載)。元気であれば齢90前後になる彼らの人生はその後どうなったのか? 就職はできたのか? 社会からドロップアウトした状態で過ごしたのか? 私の患者さんの話は意外でした。「当時、貧しさが理由で学校に通えなかった子が多くいました。そうでなく、勉強が嫌いなのか、みんなと群れるのが苦手なのか、野山に消えて行く子が、私の周りに3名ほどいました。3人とも普通に大人になり、うち2人は社長になりました」 私には「不登校」「ひきこもり」と「社長」に違和感がありましたが、この患者さんの話には驚きました。 「社長と言っても、株式を上場するような一流会社じゃないですよ。家族経営の土木や建築会社を立ち上げ、自分も現場に出て朝から晩まで働き、いつの間にか仲間を増やし、会社の看板を掲げていた。あの2人は頑張ったんだ」 なりふり構わず働く姿は想像できました。しかし疑問も湧きました。「小さい会社でも帳簿付けなどの能力が必要と思うのですが、学校に行かないことで読み書きや計算にハンディがあるのに、独学で何とかしたのでしょうか」 私の患者さんは笑いながら、「いや、2人とも読み書きはできなかったな。親戚の人や妻が事務的なところはやっていた。彼らは肉体的に働いていた。見ていてすがすがしかった」 みんな、呼んでくれてありがとう 患者さんは話を続けます。「70歳のとき同窓会を開いたんです。1人は欠席でしたが、もう1人は黒塗りの運転手付きの高級車でやって来ました。会の中で、1人ずつ近況を報告する時間がありました。彼は決して偉ぶる感じもなく、子供のころの表情で、みんなの前で話そうとするのですが、うまく話せないんですよ。口下手でね」 「やっと出た言葉、『オレ、学校にほとんど行ってないのに、みんな、呼んでくれてありがとう』と言うのが精一杯なんですよ。恥ずかしそうにしているから、そばに行って、お前、頑張ったなって肩をたたいてやったら、泣いて喜んでいた」 私の友人でも、彼らのその後を聞くと、意外な活躍をしている人がいます。バランスよく規格にはめようとすると、外れてしまう子供もいるのです。患者さんから聞いた規格外の人たちの生き方を見ていると、興味深いものがあります。(訪問診療医師)

墳丘の輪郭を探る 土浦 常名天神山古墳から大量の埴輪片

土浦市常名(ひたな)の市指定史跡、常名天神山古墳で21日、発掘調査に当たった筑波大学考古学研究室の滝沢誠教授らによる現地説明会が行われた。壺型埴輪(つぼがたはにわ)の破片とみられる土器(須恵器)が大量に出土、前期古墳としての築造年代をより詳しく検討できることとなった。 前方後円墳の姿変わって再測量から 調査は同研究室と同市上高津貝塚ふるさと歴史の広場の共同で、2023年度から行われた。 墳丘の長さが70メートルから75メートルの前方後円墳。古墳時代前期、4世紀ごろの前方後円墳と見られていたが、後世になって墳丘の上に土砂が堆積し、地元常名神社の神域として手が加えられたりしたため、元来の輪郭が不明確になっていた。 西側「前方」部には宝篋(ほうきょう)印塔が据えられ、市指定工芸品にもなっているが、東側「後円」部の墳丘上に鎮座していた神社本殿は23年5月の火災で焼失した。 23年度の調査は古墳周りにトレンチ(溝)を数本掘っての再測量からスタートした。24年度は新たに6本のトレンチを掘って、地層や土砂の地質から墳丘の輪郭や傾斜を割り出す発掘作業が行われた。 考古学研究室の学生らが実習の一環として取り組んだ。トレンチは幅1メートル、長さが4~6.5メートル。在来の関東ローム層や常総粘土の地層が出てくるまで垂直に掘り進める作業だ。 その結果、地質の違いから、墳丘の大半は元々あった丘を削ってならす「地山削り出し」の手法で築造されたことが明らかになった。 前期古墳に特徴づける壺型埴輪 前方後円墳はお椀を2つ伏せたように並んでいる見た目だが、西の前方部は後世の盛り土で、高さが数メートルせり上がっていることが今回初めて突き止められた。 これらのトレンチからは大量の土器片がみつかった。古墳時代の前期、特に東日本での副葬品を特徴づける壺型埴輪の破片だ。いわゆる人型や馬型の埴輪が出てくるのは古墳時代の後半5世紀以降になってからだそうだ。 今回は「コンテナ3箱分」(滝沢教授)もの土器片が見つかった。前方と後円の中間部、「くびれ」部のトレンチからは長さが40センチほど「底の部分だけ欠けた」ものが見つかったという。 現地説明会には同市内外の古代史、郷土史ファンら68人が集まった。滝沢教授の総括的な解説の後、各トレンチで研究室の学生による説明が聞けた。展示された壺型埴輪片の周囲には人だかりが出来た。 同市上高津貝塚ふるさと歴史の広場の比毛君男副館長は「これで調査は完了。トレンチは埋め戻して報告書にまとめる作業に移る。出土品を展示する機会はぜひ持ちたい」としている。(相澤冬樹)