土曜日, 11月 15, 2025
ホームつくば《婚姻件数、戦後最低ーいばらきの結婚事情》㊤ 「後継ぎ」と「墓守」は自分の役目

《婚姻件数、戦後最低ーいばらきの結婚事情》㊤ 「後継ぎ」と「墓守」は自分の役目

県によると、2016年の県内の婚姻件数は戦後最低の1万3201件。1971年の2万件をピークに下降線をたどっている。若者の雇用や収入をめぐる経済環境の悪化が要因とされるが、「イエ」重視の県民性も一因ではないか。独身男女の婚活を応援するNPO法人と、農業後継者に「出会いの場」を提供する官製お見合いの現状など、いばらきの結婚事情を3回に分けてまとめた。

親世代の価値観が壁に

2005年5月に設立したNPO法人「ベル・サポート」(菊地長吉理事長・境町)は県南、県西の未婚者や再婚者を対象に結婚相手の紹介、相談活動、出会いパーティーを開催している。営利を目的としない組織で県内外を問わず入会でき、パーティーは会員でなくても参加可。今年10月31日現在、男性会員は920人、女性は520人。出会いパーティー開催は12年間で819回に及び、成婚者累計は433組に上る。

9人のスタッフが運営を担当。つくば市ケーブルテレビのプロデューサーやアナウンサーの経験を買われた小野史子副理事長は、出会いパーティーの司会進行役を務める他、会員からの相談にも応じている。

小野さんは「433組のカップル誕生は、これまでの会員計約2万3000人の中のわずかな数に過ぎません」と話す。そして「親世代が良いと思っている結婚観を受け継ぎ、それが成婚の壁になっている」とも。地元生まれの長男と長女の多くが「後継ぎ」と「墓守」は自分の役目だと思っているそうだ。結婚は家に縛られず個人の自由と捉える人とは大きく隔たる。

両家の中間に家庭築く

ベル・サポートが相談に乗ったことで、後継ぎ同士ながら結婚に至った事例がある。男性(43)は10年間会員間のお見合いや出会いパーティーに参加したが、親と同居して家を存続する考えに共鳴してくれる女性はいなかった。婚活を諦めかけた頃、菊地理事長から言われた「少子化の影響で(これからは)夫婦2人が互いの両親4人の面倒を見る時代」という言葉にハッとした。

条件を優先して相手を探すより、「この人」と思える相手と出会いたいと思った。その後、守谷で行われた出会いパーティーで知り合った妻(42)も、婿になってくれる男性を条件にしたため相手は見つからなかった。互いにひかれ合い、デートを重ねるごとに人生の良き伴侶の思いを強くした2人は結婚を勇断。双方の両親に「親と家を大切にする」と伝えて話し合いを重ねた。最終的にどちらの親も「子どもの幸せが一番」と承諾してくれたという。

3年前に結婚。両家の中間に家庭を築いた。子どもに恵まれ、4人の親に子育てを応援してもらっている。

小野さんは「かつては男女の仲を取り持つ仲人がいたが、恋愛結婚が一般的になってほとんどいなくなった。子どもの結婚を経験した私たちスタッフが現代の仲人役。人生経験を生かして幸せなカップル誕生を応援していきたい」と語る。(橋立多美)(つづく)

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3S政策とマリリン・モンロー《映画探偵団》94

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緊急消防援助隊が合同訓練 1都9県の隊員ら1400人が集結 

県内で20年ぶり 大規模災害発生時に全国各地に駆け付ける緊急消防援助隊 関東ブロックの合同訓練が12日、土浦市小高にある採石場、塚田陶管柳沢工場の敷地内で実施された。1都9県(東京、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、山梨、長野、静岡、福島)の緊急消防援助隊による合同訓練の一環で、県内での開催は20年ぶりとなる。 12日と13日の2日間、土浦市のほか、ひたちなか、神栖、鉾田、鹿嶋、水戸市の13会場で、1都9県の緊急消防援助隊員や関連機関など約1400人が参加し、倒壊建物救助訓練、多数負傷者救助訓練、石油コンビナート火災対応訓練などのほか、宿営地設置・運営など後方支援訓練や、指揮本部運営訓練なども実施されている。 土浦の集落が孤立したと想定 訓練は、連日の大雨により河川氾濫や土砂災害が発生している中で、茨城県沖を震源とする震度6強の地震が発生したという想定で行われた。津波や大規模火災などが県内各地で発生し、多数の負傷者や孤立者が出た複合災害の状況を想定した。 土浦市の会場では、東京、埼玉、栃木の3都県の緊急消防援助隊210人と、茨城県内の消防広域応援隊14部隊60人が参加。同市東城寺地区の集落が土砂崩れにより孤立したと想定し、消防隊員らが専用重機で道路の障害物を除去したり、崩れた土砂に埋もれた車両や倒壊した家屋の中からの救助、ヘリコプターによる上空からの救助などの訓練が実施され、部隊同士や関係機関との連携、指揮系統の確認などが行われた。 ほかに自衛隊、国土交通省、茨城DMAT(災害派遣医療チーム)なども加わり、がれきが散乱して通行が困難な場所でも走行できる救助車両や消防ヘリコプター、照明車など約80台が救助訓練に当たった。 鬼怒川水害では支援受け入れ 緊急消防援助隊は、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに創設され、大規模災害時に消防庁長官の要請などにより、他の都道府県から派遣される。2011年の東日本大震災や24年の能登半島地震でも活躍した。県内では、15年の関東・東北豪雨による鬼怒川水害の際に支援を受けている。 緊急消防援助隊ブロック合同訓練は、1996年から全国を6ブロック(北海道・東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州)に分け、各ブロック内の都道府県が持ち回りで実施してきた。茨城での開催は2005年以来となる。 茨城県消防安全課は今回の訓練について「県内での大規模災害の発生を想定し、近隣都県の緊急消防援助隊の応援を受け入れ、多くの関係機関とともに実施する今回の訓練は、受援体制の強化に大きく寄与する大変意義深いもの。本訓練を通じて、本県の受援体制の見直しを図り、茨城県緊急消防援助隊受援計画へ反映させていきたい」と話している。(柴田大輔) https://youtu.be/OkVy1R0cUdQ