水曜日, 1月 15, 2025
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生と死を見つめる現代美術家たち 23日までつくば市民ギャラリー

【田中めぐみ】主に県内在住の写真愛好家や美術家たちによる作品を集めた「フォトMAX美術展」が18日、つくば市吾妻の市民ギャラリーで始まった。2015年から毎年開催されており、今年で5回目となる。31人が写真や絵画などで死生観や人生観を表現した現代アート作品43点を展示している。

主催者の佐々木元彦さん(アース808ギャラリー代表、牛久市)は、「命を救う手(心臓外科S執刀医)」と題した作品を出展。今年3月に心臓の手術を受けた際に自ら撮影、加工して作品にしたという。外科医の手や、病床からの視点、胸の手術痕がモチーフになっている。手術で自身の生死を見つめたという佐々木さんは、「芸術家はいつも向こう側、つまり死を見ている。芸術はいつも自分の中にあり、アートとは自分自身。手術はなかなか無いことなのでぜひ撮影したいと考え、病院に頼んで許可をもらった」と話す。

水戸市在住の岩崎雅美さんは「俺ハ死ンデイル」と題する作品を出展。文字と写真を組み合わせた垂れ幕形の作品だ。岩崎さんは1999年の東海村臨界事故の衝撃や、2003年に父を亡くした体験から「死」をテーマにした作品を作り始め、表現の模索を続けているそう。「写真の枠を打ち破るような作品を作りたいと思っている。このような作品を受け入れてくれる展覧会はフォトMAX美術展以外にない。展示された作品には遊び心があり、作っている側が心から楽しんでいるのが見る人に伝わるのでは」と話す。

市内から訪れた72歳の男性は「自分も写真が趣味で、毎年欠かさず見に来ている。作家さんたちそれぞれが独自の考えを持って作品を作っているのが面白く、毎回開催を楽しみにしている」と話した。

◆ フォトMAX美術展Vol.5「過去~現在~未来の自伝」 会期は23日(月)まで。開館は午前9時半~午後5時(最終日は3時まで)。会場はつくば市市民ギャラリー(つくば市吾妻2-7-5)エキスポセンター入り口中央公園レストハウス内入場無料。展示作品の販売も行っており、売上金は国際NGO「国境なき医師団」に寄付される。問い合わせ:佐々木元彦さん(080-1210-1695)

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門出祝い「二十歳のつどい」 つくば、土浦 

成人の日を前に12日、つくば市と土浦市でそれぞれ20歳の門出を祝う「二十歳のつどい」が開かれた。つくば市はコロナ禍以来続く、式典参加を出身中学ごとに分けた午前・午後の2部制で催した。土浦市は市内のダンスチーム「モアナテア」がフラダンスやタヒチダンスを披露し、亀城太鼓保存会の和太鼓に合わせた共演も行われた。今年度20歳を迎えたのは、つくば市が昨年より135人多い2927人(男1595人、女1332人)、土浦市は7人少ない1348人(男女各674人)だった。 夢に向かって挑戦し続ける 「うわー!久しぶり!」「変わんないね!」 肌寒い曇り空の下、つくば市竹園、つくばカピオの屋外で式典の始まりを待つ新成人たちから、旧友との再会を喜ぶ明るい声が響く。 家族と会場を訪れた大学生の沢畠侑奈さん(20)は、朝7時から晴れ着の着付けに向かい式に臨んだ。現在は水戸市の大学で教員を目指して勉強に励んでいる。「将来はいろいろな人に寄り添える先生になりたい」と目標を語った。専門学生の森田創太さん(20)は市内の専門店ではかまを着付け、中学時代の部活の仲間と会場に足を運んだ。「やんちゃをしていた時期もあった。専門学校では機械設計を学んだ。就職も決まり、将来はいい家庭を築きたい」と思いを語った。 式典では参加者を代表し齊藤言葉さんが「一人ひとりが持つ夢に向かって挑戦し続け、困難にぶつかっても決して諦めずに前を向いて歩いていきたい」と思いを述べた。 あいさつした五十嵐立青市長は、昨年宇宙飛行士に認定されたつくば市出身の諏訪誠さんによる「きのうの夢は今日の希望となり、明日の現実となる」という言葉を引きながら、「諏訪さんは落選を経験しながら46歳で夢を現実にした。自分を信じて進み続けることの可能性を身をもって示してくれた」とし、「皆さんが活躍する中で、いろんなことを言う人、アドバイスする人がいると思う。基本的にそんなものは聞かない方がいいと思う。アドバイスは一旦置いておいて、自分を信じて自分がやりたいことを反対されても貫いていくことが一番人生にとって価値がある。やりたいことを実現し、いつの日かつくばで生かしてくれることを楽しみにしている」と言葉を贈った。 自分の手で未来を切り拓く 土浦市では午後1時から、同市東真鍋町、クラフトシビックホール土浦(市民会館)でオープニングアトラクションが開かれ、2時から式典が始まった。 現在は東京都に暮らし千葉県の大学に通う関皓樹さん(19)は、久々の帰省を懐かしみながら「同窓会を楽しみにしてきた。大学では電気電子を学んでいて将来は技術職に就きたい。学生の今だからできることにチャレンジしていきたい」と話した。 式典で成人を代表して押雄大さんは、これまでに経験した東日本大震災やコロナ禍を踏まえて「当たり前だと思っていた生活が一瞬で変わってしまう経験を幾度も重ねてきたが、私たちはどんな困難に直面しても力強く立ち上がり、未来を見据える力強さを身につけてきた」と言い、「自分の手で未来を切り拓く覚悟を持つことが、これからの時代を生きる私たちの使命。一歩一歩、世界に新しい価値を届ける挑戦を続けていく」と決意を表した。 安藤真理子市長は「みなさんは青春真っただ中の時期にコロナ禍を迎え、学校に行くな、誰にも会うな、外に出るなと言われてきた。ピンチをチャンスに変えて、コロナという大変な時期を乗り越えてきた人たち。これから土浦で仕事をし、家庭を持つこともあると思う。外に出て、全国、世界、宇宙で活躍する人もいると思う。皆さんが土浦で生まれ育ったこととを誇りに思って、土浦を離れても何かの時に戻ってきてほしい」とし、「自分の気持ちを周りにきちんと伝えることが大人。いろいろなことに感謝をできる人になってほしい」と話した。(柴田大輔)