月曜日, 3月 30, 2026
ホームつくば【総合運動公園用地問題】つくば市の売却方針に異議相次ぐ イーアス規模の商業用地に懸念 住民説明会で

【総合運動公園用地問題】つくば市の売却方針に異議相次ぐ イーアス規模の商業用地に懸念 住民説明会で

【鈴木宏子】住民投票で白紙となったつくば市の旧総合運動公園用地(同市大穂)を一括売却し、商業施設や物流倉庫などとして利活用する民間企業の事業提案=8月19日付=に対する住民説明会が6、7日の2日間、地元の大穂交流センター(同市筑穂)と市役所で計3回開かれた。参加者からは民間企業に同用地を一括売却するという市の方針に異議を唱える意見が相次いだ。事業提案にある商業用地がイーアスつくば(同市研究学園)と同規模であることから、交通渋滞対策や既存商業施設への影響について懸念の声も出された。

6日午後2時から大穂交流センターで開かれた第1回目の説明会には22人が参加した。地元区長らの姿も目立った。「上郷高校跡地に計画がある陸上競技場を(総合運動公園用地に)つくるべき」「企業のためでなく市民のために土地を生かしてほしい」など全部を一括売却する市の方針に反対し、一部でも公的に利用してほしいと要望する意見が相次いだ。一方「事業提案(の土地取得価格)は高値。できるだけ早く、高く売って市民負担を少なくしてほしい」と、売却に賛成する意見も出された。

同日午後7時からの第2回説明会には15人が参加した。イーアスつくばと同規模の大規模商業施設計画に対し、つくば駅周辺の市中心市街地に都市機能を集積するという市立地適正化計画との整合性を問う声や、イーアスつくば並みと予想される買い物客の交通渋滞対策、既存商業施設へのマイナスの影響を懸念する声が出た。

7日午前10時から市役所で開かれた第3回説明会には11人が参加した。前日に引き続いて市の一括売却方針に疑問を投げかける意見が相次いだ。参加者が少なく、説明会開催自体を知らない市民も多かったとして、市民の声を聞く姿勢を問う意見も出た。

3回の説明会に市側から中根祐一都市計画部長、岡田克己公有地利活用推進課長らが出席し、岡田課長が参加者の質問に答えた。説明会の主なやりとりは以下の通り。

※   ※   ※

「市民のためがなく企業のため」「提案は高値、早く売却を」

―6日午後2時から開かれた第1回説明会の主なやりとり。

参加者 総合運動公園の土地は市体育協会や関係者などが大変な尽力をして取得した。購入の経緯をご存知か? 陸上競技場を上郷高校跡地につくるということだが、つくば市にとって恥ずかしい。これだけ広い土地があるのだから見直してもらって(旧総合運動公園用地に)陸上競技場をつくってもらった方がいい。

課長 庁内で跡地の公的利用をとりまとめたところ(市内部で利用したい意向が)無かったこともあり、こういったこと(売却)を検討している。上郷高校跡地は決まったことではなく今後検討していきますということ。

参加者 総合運動公園は白紙撤回となったが、市民の憩いの場をつくっていただきたい。

課長 ご意見をいただいたことを庁内で共有したい。

参加者 事業提案の募集要件に、市民のためにどう土地を生かすかということが入っていない。企業が収益を上げるための募集だ。総合運動公園計画は白紙になったが、事業提案の募集に市民のために生かすということが加えられるべき。

課長 市も財政的に余裕のある状況ではない。(今回の事業提案募集は)市の負担ができる限りない形で土地利用するというベースがあった。ご理解いただきたい。

参加者 提案事業者の名前を出せない理由は何か。

課長 (提案事業者の)土地取得が決定したわけではない。今の段階では今後の進捗(しんちょく)に影響を及ぼす可能性もある。

参加者 66億円で買った土地を(五十嵐立青現市長が2016年の市長)選挙で「URに買い戻させる」と言ったのはただのパフォーマンスだったと思う。(今回の事業提案の)40億円は随分高値で買ってくれると思う。(事業提案の)商業施設の面積(13.5ヘクタール)はイーアスつくば(14.5ヘクタール)と同規模。市は4月の募集開始時点で大型ショッピングセンターはお断りなどという条件を付けすぐに見直したが、できるだけ高く、できるだけ早く売って、市民負担を少なくするよう努力していただきたい。そのためにも(土地利用の)制限を付けること自体おかしい。

課長 用途は準工業地域への変更を考えている。土地利用が決まらないと進まないので計画をつくっていきたい。

参加者 総合運動公園計画に代わる将来像は今つくば市にあるのか。つくば市はもうすぐ25万都市になる。日立市にも水戸市にもアリーナがある。つくば市に今ある体育館は雨漏りしている。子供たちの育成や若者たちの練習の場を今後も与えなくていいのか。

課長 担当部署に意見を伝えたい。

参加者 取得金額と金利は今いくらになっているのか。今はひじょうに低金利の時代だが利息軽減に向けどんな努力をしてきたのか。

課長 取得額は約66億1000万円、利息は年3500万円くらいで累計は約1.7億円。合計67.8億円。公的、民間の利活用が決まらない中、利息を払わなくてはいけないので、この状態は好ましくないと、今年春から事業提案を募集し、本日、結果を説明している。

参加者 今回の提案に「公園、スポーツジムや運動場、市民の憩いの場」というのが入っているが、具体的にどのようなものか。

課長 事業者にヒヤリングし、どういった内容か質問したが、正確な答えをいただけておらず把握できてない。

参加者 以前、市の試算では基盤整備に46億円くらいかかるということだったが、今回の提案事業者は30億円くらいと見込んでいるという報道があった。市の負担はないということでいいのか。

課長 市の負担がないよう進めたい。この金額(30億円)で造成することを確認している。

参加者 40億円からという事業提案だが、売却価格の設定は再度し直すのか。

課長 市として不動産鑑定をとらないといけない。やり方は内部で検討している。価格は不動産鑑定と市場動向を踏まえて設定する。

参加者 これだけ(広い)の土地はなかなかない。一部でも市が使う予定はないのか。

課長 全部購入するのが事業提案の条件となっている。今の段階で公的利用は考えてない。

参加者 全部売却する決定はだれが決めたのか。

課長 売却する方向で進めている。最終的には議会の理解を得て売却という流れになると思う。

参加者 (取得費と利子を含め)67.8億円ということは(40億円で売却すると)28億円が損金になる。市民の税金で買ったものだ。処分する場合できるだけ高く、67.8億円に近い金額で売却していただきたい。

課長 40億円はあくまでも事業提案の額。市の方は不動産鑑定をして市場の動向を踏まえ売却価格を決めていく。

参加者 市長は総合運動公園に反対して当選した。自らトップセールスで動いてほしい。

参加者 事業提案をベースに土地利用計画をつくるとのことだが、市として(事業提案に対し)どの程度柔軟性があるのか。

課長 上水道、下水道、雨水、調整池などインフラ関係に注意して土地利用計画を考えたい。

参加者 10年、20年先のまちづくりに禍根を残さないようにしてほしい。(同用地は)市北部の拠点になる。大曽根地区は地元の人が土地を手放しながら商業をつくった。イーアスつくばと同程度の商業施設をつくると既存の商業がどうなるか、慎重に考えてほしい。

課長 市の各種計画との整合性は必要。そういうことを踏まえて土地利用計画をつくる。

参加者 担当課がいないので答えられないというのではなく、市長が出てきて明確な答弁を出すべき。市民に(28億円の)マイナスを強いるのではなく、(用地の)半分は市が使っていきしょうということを考えてもいい。しっかり考えて結論を出すべき。

課長 大事な意見として承って、市の中で話をしていきます。

6日午後7時から大穂交流センターで開かれた第2回住民説明会

「つくば市は不動産屋ではない」「倉庫で地域が活性化するのか」

―6日午後7時から開かれた第2回説明会の主なやりとり。

参加者 取得費、利子など重要な情報が(説明資料に)示されてない。URの返還交渉が失敗して前提条件が違っている。こんなやり方で来年の市長選、市議選は大丈夫なのか。

課長 取得費は66.1億円、利子分は累計1.7億円で合計67.8億円。不動産鑑定しさらに市場動向を踏まえて売却価格を決める。URの返還交渉は2回交渉したが結局返還に至らなかった。その後の経緯の中で、庁内のニーズ調査、民間へのサンプリング調査をしたが、土地利用が決まらない中、今年春に市に負担のない土地活用として、全体を一括購入していただき、合わせて整備していただく事業提案を受けた。最終的には公募して売却したい。

参加者 (同用地の)土地利用は都市計画マスタープランや立地適正化計画にそもそもどう位置付けられているのか。郊外型の大型商業開発が現状の市街地に与えるインパクトをどう考えるのか。イーアスつくばと同程度の大型商業施設計画を進める市のスタンスをうかがいたい。

課長 都市計画マスタープランや立地適正化計画を策定し、中心市街地と身近な日常生活圏が連結したまちづくりを考えている。当該地は北部地域の拠点であり、研究、産業、商業が複合的に機能する場所と位置付けている。周辺への影響は、特に商業施設の立地がにぎわい創出、雇用創出、利便性につながる。一方で既存商業施設の環境の変化も考えられ、その辺は市としても考えないといけない。今日はあくまでも提案者の計画を示したが、具体的な店舗計画は示されていないので今後ヒヤリングしながら検討していきたい。

参加者 検討するプロセスが違う。土地利用ありきではなく、本来、市の方針があって、このようなものがほしいからと持ってくるべき。そうではなく民間提案ありきでそれに沿って進めるのはまちづくりとしてどうなのか。つくば市は不動産屋ではない。

課長 皆さまの意見をうかがって市としての土地利用計画を検討していく。

参加者 もともと前市長が購入したが、購入した以上、人任せにしないで、市長選を抜きに、市が主体になってどういう地域をつくるかという土地活用ビジョンをもってほしい。先ほど「市は不動産屋じゃない」という意見が出たが、ここをこうしたいのでこういう人集まれ、という夢のある持って行き方をしてほしい。

課長 ご意見として承ります。

参加者 上郷高校跡地に陸上競技場をつくる計画がある。適地を比較分析していたが、学校跡地だけしか比較候補になっておらず、なぜ(総合運動公園用地が)比較対象になってないか不思議でしょうがない。前市長の計画に反対した人たちが勢いに乗っているから戻れる状況でなくなっているのか。市のスポーツ推進計画はスポーツを振興しましょうといっている。「前市長に反対したから戻れません」というのではなく、地域が活性化する元気の出る施設を大穂につくろうとなってほしい。

課長 陸上競技場の調査の中に(旧総合運動公園用地が)入ってないのは、基本的に市が所有している未利用地を対象にしたため。(同用地は)土地開発公社がもっていて、サウンディング調査(民間意向調査)をやっているため比較対象に入れなかったと聞いている。

参加者 市の費用負担が発生しない計画だというが、68億のものを40億で売ったら市は28億円負担することになる。さらにイーアスつくばと同規模のものができたら、この周辺も影響を受ける。(事業提案があった会社は)倉庫会社だと思うが、倉庫をつくって地域が活性化するのか。(誘致するとある)商業施設はだれがつくるのか、撤退したらどうなるのか、倉庫になるのか。北側の道路整備は幅員20メートルという計画だがだれが整備するのか。イーアスつくば程度の車が集まるとすれば、現状でも渋滞があるのに、交通処理はどうするのか。

課長 道路は市の負担がない形で事業者にやっていただく。渋滞は今も国道408号が渋滞しているのを認識している。今後、土地利用を検討する中で考えていき、道路整備をさらに推進していかなくてはいけない。

参加者 ここが開発されるとやらなくてはいけないことを整理すると、全体でいくらになるのか。(68億円と40億円の)差し引きだけの話ではない。(事業提案では)大手ショッピングモール、スーパー、ホームセンターを誘致するとあるが、例えば筑穂のホームセンターが撤退することになったら空き地はどうなるのか、マイナスのコストも含めて考えるべきだ。

7日午前10時から市役所で開かれた第3回説明会

「反対票には計画見直しも入っていた」「買い戻させる公約果たせない責任は」

―7日午前10時から市役所で開かれた第3回住民説明会の主なやりとり。

参加者 (11~12月に事業者を公募するなどのスケジュールが示されたが)こんな早く進めてしまって大丈夫か。全部売らなくても一部陸上競技場にして、幹線道路沿いを高く売ればいい。(16年の市長選で)五十嵐市長は選挙を有利にしようと思ったのだと思うが、対立軸を鮮明にして何でも悪者にするので、(前市長が購入した用地を)積極的に活用しようとしないで処分するという考えになってしまう。市長は「会える市長」と言っていながら、なぜ(今日の)大事な会に来ないのか。(五十嵐市長の政治手法は)やるか、まったくやらないかの両極端だ。住民投票の反対票の中には計画見直しも入っていた。

課長 今後の進め方はご意見を踏まえてスケジュールを考えているところでもある。一部を公的利用にという案をいただいたが、これまでの経緯は、住民投票での白紙撤回後、公的ニーズ、民間サウンディング調査をしたが利活用に至らず、今現在はこうした進め方で進めている。皆さんのご意見を承り庁内で共有したい。

参加者 市の活性化になるよう、老朽化している県の保健所と笠間にある動物指導センターをもってきたらと思う。

課長 ご意見として承ります。

参加者 市長派とか反市長派ではない(ことを前提に発言しているが)、現市長は白紙撤回を掲げた。反対意見がある人は代替案をもっていると思うが、民間に丸投げなのか。URに買い戻させると公約したがこれもできなかった。政治的な責任はないのか。66億円で購入した土地を26億円の差損を覚悟で40億円で売却してしまうのは反対だ。利息は年間3400万円と聞く。10年で3億4000万円。40億円で売却するのはあまりにも拙速な考えだ。多額の差損を覚悟して売却する別の理由があるのかと不信感を招きかねない。差損の26億円は今つくば市に住んでいる人のために使われるべき。つくばは上下水道が来てないところがある、道路はでこぼこ、道路排水は十分でない、保育所も少ない。市民生活を優先させないと「世界のあしたがみえるまち」は実現できない。(もし事業計画が採択されたとすれば)周辺道路に配慮することを求める。物流倉庫が全体面積の48%を占め大型トレーラーがどんどん来て大変なことになる。差損を覚悟して進めなくてもよい。

課長 総合運動公園の白紙撤回後、公的利用やサウンディング調査の中で、利活用がなかなか図れなかった。市の負担を考えて事業提案をいただいた。URの買い戻しは2017年5月と6月に交渉したがURの最終的な回答として市の要望にお応えできないという結論になってしまった。40億円で売却が決まったわけではない。今後売却する場合、不動産鑑定をし市場動向をみて設定する。道路の混雑は周辺の国道408号と北側の県道の混雑を認識している。今後土地利用計画をつくるがそういったことを踏まえて考えなくてはいけない。北側の道路は延伸計画があり、推進して道路ネットワークを構築しなくてはいけないと考えている。

参加者 3回の説明会で皆さんから心配している意見が出た。こんなに早く売却しなくてもいい、20何億も損金出してまでも処分しなくていい、住民投票の反対票には総合運動公園計画の見直しも含むという意見もあった。20何億円の損金は財政調整基金にまともにくる。来年度の市の財政に大変な負担がかかる。財政部門との話し合いはしているのか。

課長 売却金額そのものが決まっておらず財政部との具体的な調整は行っていない。

参加者 今の経済状況の中で、不動産鑑定が40億円より低かった場合は考えているのか。

課長 今の状況ではお答えできない。

参加者 たった一つの事業提案だけで都市計画を変更するのか。いくつかの案が出てから、じっくり考えて変更するのが筋ではないか。

課長 土地利用計画が固まってからでないと(都市計画変更の)手続きに入れない。今の段階で手続きに入るわけではない。

参加者 3回の説明会があり、きのう午後は20人くらい、夜は10人くらい、今日は10人くらい。それだけで市民の意見を吸収できたと言えるのか。9月の広報つくばに説明会のことが3行くらい(実際は6行)書いてあった。市民が何人見たのか。地域で聞いたら、皆さん、説明会のこと知らなかった。2~3週間前に知らせてくださいという意見もあった。つくば市には(合併前の)旧町村がつくった施設はあるが、敬老会を開くにも市民が一堂に集まれる場所が必要。大事な市有財産を市民のために使う構想が必要。こんな土地がほかにあるわけではない。業者の提案で販売することには賛同しかねる。

課長 説明会の案内は市報の後ろの小さい記事になってしまった。回覧では終了するまでに時間がかかってしまう。できる限り届く広報誌が有効。財政的なことはあるが人が集まる場所という意見は担当部署と共有したい。

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プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの開幕を前に、茨城アストロプラネッツ(AP)は28日、笠間市箱田の笠間市民球場で、社会人クラブチームの茨城ゴールデンゴールズ(GG)とオープン戦を行い12-2で勝利した。茨城APの今季開幕戦は4月5日エイジェックスタジアム(栃木県宇都宮市)で、ホーム開幕戦は翌6日ノーブルホームスタジアム水戸(水戸市見川町)で行われ、対戦相手は2戦とも栃木ゴールデンブレーブスになる。 【2026シーズンオープン戦】茨城アストロプラネッツ-茨城ゴールデンゴールズ(3月28日、笠間市民球場)茨城GG 000001010 2茨城AP 30021123X 12 茨城APは先発投手の川平真也が5回を投げ被安打1、6奪三振、1四球と試合をつくった。攻撃では初回に5安打を固めて3点を先制。4回以降も得点を重ね、救援投手を打ち崩した。 初回に右前打で先制点を挙げた木村泰賀は下妻市出身、常磐大高では31本塁打を挙げた強打者だ。仙台大を卒業し今季、茨城APに加入。高校ではサード、大学ではレフトを守ったが、今年はセカンドにも挑戦中だ。「プロに行くなら内野で勝負しようと考えた。特にセカンドは守備範囲も広く、一つ一つの打球に他のポジションの選手と連携して動かなくてはいけない」と、守備を鍛え直している最中だという。 「今季は新たに18選手が加入し、レギュラーも去年から6人が入れ替わった。サインプレーやフォーメーションなどは一からつくり直しの部分もあるが、八木健史ヘッドコーチの加入や北原翔捕手の兼任コーチ就任でスタッフが充実し、よりスムーズな指導ができている」と話すのは巽慎吾投手兼任監督。「能力ある選手たちがそろい、実力を発揮してリーグ優勝を目指すとともに、昨年はゼロだったドラフト指名にも選手を送り込みたい。一人でも多く上のステージへ上がれるよう全力でサポートする」と意気込む。 注目選手の一人が捕手の草場悠。大阪の名門・履正社高の出身で、50メートル走5.9秒、遠投100メートルなど肩と足にストロングポイントを持つ選手だ。今季は打率3割、10本塁打、30盗塁を目標とし、主将にも就任した。「2年目なので気持ちも新たにチームを引っ張ってくれというメッセージだと受け止めている。年の近い選手も多いので楽しくやらせてもらっている」と話す。 それぞれの日本一目指す 茨城APと茨城GGの対戦は今回初めて実現した。スタッフや選手同士の交流は以前からあり、機会をうかがっていたという。「個々のレベルの違いはあるが、いま持っている実力を出すことができた。ぜひまた再戦したい」と茨城GGの樋口亮介・助監督。「どこへ行っても茨城と言うと欽ちゃん球団(茨城GGの初代監督はタレントの萩本欽一さん)の名が上がる。その知名度はすごい。うちも頑張らなくては」と巽監督。「ここ数年は全国大会を逃してきたが、今年こそ力をつけて全国へ行き、カテゴリーは違ってもプラネッツと一緒に茨城の野球を盛り上げていきたい」と樋口助監督は返す。なお、茨城GGは今年チーム創設20周年を迎え、去年からは女子チームも活動を始め、躍進が期待される。(池田充雄)

徳を積むことに意味はあるのか《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》6

【コラム・2年 M.T】例えば今、道端にペットボトルのごみが捨ててあるとします。そのとき、あなたはどうするでしょうか。 それを見過ごす場合、多くの人は罪悪感を抱くでしょう。しかし、ごみを拾ってごみ箱に捨てたとしても、私たちには何か直接的な利益が返ってくるのでしょうか。罪悪感を抱かなくて済むということはありますが、わざわざごみを拾い、ごみ箱を探して捨てるという手間が増えるだけのように感じます。それならば、罪悪感など気にせずごみを無視した方が自分のためになるような気がします。ですが、ここである葛藤が生まれます。それは人道的に、倫理的に正しいことなのだろうか、と。自分は人として正しい行いをしているのだろうか、と。 善い人で在りたかった私 私は中学生ぐらいの時、善い人でありたいと漠然と思いながら、善い人になるために、他の人が嫌だと思っていること、自分もあまりやりたくないことをやるように努めていました。友達と何か一つのもので取り合いが生じている時、自分から身を引いたり、あまり人気のない係や当番を引き受けたりしました。また、落とし物を届けたり、場所をきれいに使うように心掛けたり、ルールをきちんと守ったり、善いと思うようなことはできるだけしていました。自分でも、なぜ善い人になりたいのかわかりませんでした。ただ、私は人として、善い人であるべきなんだという一種の強迫観念を抱いていたのです。そして、こんなふうに日々を過ごしているうちに、私はだんだんと疲れを感じるようになりました。いくら善いことをしても、何も起こらない。私はただ自分の感情を無視して、自分を犠牲にしているだけだと思いました。 このように思ってから私は、善い人になるということについて考え始めました。善い行いをすること、すなわち、徳を積むことに意味はあるのだろうか。私がこのコラムに参加したのは、この疑問を解決したいと思ったのが主な理由です。 徳を積むとは? 徳を積むという言葉は普段の生活ではあまり馴染みがなく、古い言葉に聞こえるかもしれません。ただ、私が善い人になろうとして行なってきたことには、徳を積むという言葉がぴったりだと感じています。 「徳」という言葉には、様々な意味があると思います。以前の私の経験に沿えば、「徳」とはまず、他人がしてほしいことをしようとする態度を指すように思います。このことからすれば、徳を積むとは、他人がしてほしいと思っている行動、すなわち善行を積み重ねることだといえるでしょう。ですが、徳を積むことは他者のためだけではなく、自分の人格を正すためにも行われるように思います。そこで、徳を積むということを私は、「他者がしてほしいと思える善行を積み重ね、それによって自分の人格を正すこと」と定義づけたいと思います。  では、「徳を積むことは自分を善い人に変えてくれるのか?」という疑問を解決するために、まずは徳を積むことのメリットを考えていきましょう。先ほど私は徳を積むということを、他の人がしてほしいことを行うことで、自分の人格を正すことだと定義しました。であれば当然、徳を積めば他の人からの評価とともに、自己評価が上がると考えられます。 次に、徳を積むことのデメリットを考えてみましょう。徳を積むとは、時には我慢をするということでもあります。自分ではやりたくないと思っていることでも他の人のためになったり、自己評価を高めたりすることにつながるのであれば、やるしかないからです。よって、自己犠牲が求められるということが考えられます。そして、人のために行動するあまりに他の人から仕事や責任を押し付けられるなど、他人に利用されやすくなるということもあります。善い人ではなく、(都合の)良い人と見なされてしまうのです。 以上を整理すると、以前の私は、徳を積むことには自分を犠牲にする側面と、自分の評価を上げる側面があると考えていたように思います。 善い行いをしたのに苦しいのはなぜ? ここで重要になるのは、自己犠牲と自分の評価を得ることのバランスです。私が善い人になろうと行動をとって疲れを感じていた理由はここにあります。 善い行いをしたはずなのに自分が苦しいのは、自分が犠牲になったことで感じる痛みや、本当はもっと自分の好きなように振る舞いたいといった思いに比べて、自分の人格を正すことができているという実感が少なかったからです。これに気づいた時、自己犠牲は、自分の善い人格を形成することにはつながらないと思いました。善い人になりたいと思って行動していた時の私は、本当はつらい自分の思いにふたをして、自分の人格を根本から変えるわけではなく、善い人であるという見せかけの人格を、現状の人格に上塗りしているだけだったのです。これでは、ただの偽善でしょう。 それからというもの、私はあえて善い人になるということをしなくなりました。このまま善いことを続けていても、自分を壊すだけだと思ったからです。そしてその代わりに、自分を大切にすることを始めました。自分の思いに耳を傾ける、自分の意思を伝える、自分の思うように行動をする。それをするだけで、心は驚くほど軽くなりました。ただ、このような振る舞いをしたことで、他の人と対立したり、他の人が我慢をしなければならない状況になったりすることが、もちろんあります。自分も優先したい、でも相手が犠牲になる。そんな歯がゆい状況には誰もが陥ったことがあるでしょう。しかし、このような状況に真正面から立ち向かうことで、徳につながるあるものを得ることがあります。相手が犠牲になってしまったこと、それを踏まえて、自分は相手にそれをどう埋め合わせることができるのか。そのような互酬性から自分の心に「相手に何かしてあげたい」ということを考える余裕ができる。そしてそこから、恩を受けた相手だけでなく、それ以外の人のためにも見返りを求めずに、相手のためになることをしたいんだという単純な利他への要求が生まれるようになる。私が思うに、これこそが真の〈徳〉(*脚注)なのです。 自分を大切にする 「徳」を積めば善い人になれるのか。「徳」を積めば、確かに周りからの評価は上がるし、自分は誠実に生きているということを実感できます。しかし、私はそれ以前に、まずは自分を大切にすることが大事なのだと思います。他者のために何かをしようとするあまり自分を無理やり犠牲にすること、それはただ善い人であろうと義務感を抱いているだけであり、偽善をしていることと同じです。こんなものは本当の意味で〈徳〉を積んでいるとはいえないでしょう。人のために善い行いをすることは、相手に何かしてあげたいということを考える余裕、すなわち、心の余白をつくることから始まります。私の場合は、自分を大切にすること、そして他の人から受けた恩を感じることから始まりましたが、心の余白を作る入り口は、それ以外にもたくさんあるでしょう。その心の余白を使うことで、自然と、心から、この行動をとりたいと思えるようになるのです。これこそが、真の〈徳〉なのではないでしょうか。真の〈徳〉は、他者のためにもなるし、自分の成長にもつなげることができるはずです。そこに、自己犠牲は存在しません。 私が思うに、徳を積むことに意味なんてものは存在しないのではないか、と思います。なぜなら、〈徳〉とは自発的な利他心であり、人間の欲求そのものだからです。〈徳〉は積むものではなく、積まれていくものです。 この文章を読んで、みなさんは徳についてどう考えたでしょうか。ぜひ、みなさんも自分なりの真の〈徳〉を見つけてみてください。 *脚注 このコラムでは、以前の私が考えていた徳を「徳」、現在の私が考える真の徳を<徳>と表記して、区別しました。

塗装完了、ライトアップ再開 つくばエキスポセンター H2ロケット

40周年、エメラルドグリーンに つくば駅近くの科学館、つくばエキスポセンター(同市吾妻)のシンボルであるH2ロケット実物大模型の全面塗装工事が25日完了し、約4カ月間の工事を経て、一新された姿が披露された。同日夜にはライトアップも再開され、エメラルドグリーンの光が高さ約50メートルのロケットを照らし出した(25年12月11日付)。 今回の全面塗装は2014年以来、11年ぶり。昨年11月25日から足場の組み立て作業が始まった。1990年に同所にH2ロケット模型が設置されて以来、おおむね10年ごとに、基部から先端部分まで全面的に塗り替えが行われてきた。 ライトアップは工事完了に伴い、25日夜から再開された。今年エキスポセンターは、1986年4月の開館から40周年を迎えることから、ライトの色を、ロゴや看板、横断幕などに使用される40周年記念イメージカラーのエメラルドグリーンとした。これまでも、乳がん啓発月間にはピンク、世界糖尿病デーには青など、イベントに合わせてテーマカラーに変えながら常時、ライトアップを行ってきた。 館内では40周年を記念して、来場者用の記念スタンプや、館内限定で利用できる特設オンラインフォトフレームなどが用意されている。 今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「つくばエキスポセンターのH2ロケットの再塗装が無事終了した。つくばのランドマークであるロケットをきれいな姿で皆様に披露できることをうれしく思っている。是非、新品のようになったロケットを見にきていただけたら」と語った。 エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットとして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもので、1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。(柴田大輔)