木曜日, 7月 2, 2026
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外国人の長期収容問題訴え 土浦駅前で市民がちらし配布

【崎山勝功】牛久入管センター(牛久市久野町、法務省東日本入国管理センター)で外国人収容者が長期収容に抗議してハンガーストライキを続ける中=7月22日付=、多文化共生を目指す市民団体「カチカジャ!いばらき」による街頭啓発キャンペーンが4日、JR土浦駅西口前で行われた。同団体の呼び掛けで集まった市民有志らが、土浦キララまつり会場に向かう市民に向けて啓発チラシを配布し、外国人の長期収容を止めるよう訴えた。

主催した同団体の岡美徳代表(46)=土浦市=は、約2年前から同センターに収容されている外国人との面会活動に取り組んでいる。「会うといつもニコニコしていた人が(ハンストで)ゲッソリしていた。ハンストで歩けなくなって車いすの人もいた」とセンター内の様子を話す。外国人の中には「(外に)出られないなら死んだ方がいい」という人もいるという。ハンストは現在も続いており、参加者数は、仮放免の約束を取り付けてハンストを止めた人も含め、延べ100人近いという。

岡代表は「(外国人収容者は)命を賭けて闘っているので、長期収容問題を広げる運動をしないといけない。牛久入管の問題は外国人の問題ではなくて日本の問題」と訴え、多くの市民が声を挙げることの大切さを強調した。

差し入れ品募る

同団体と共に街頭啓発キャンペーンに参加した市民グループ「FREE USHIKU(フリーうしく)」メンバーの森川暁夫さん(49)=牛久市=らは、ツイッターで、収容されている外国人に差し入れる国際電話用テレホンカードや、シャンプーなどの衛生用品などを募集している。詳細はツイッター「#FREEUSHIKU」まで。

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