【相澤冬樹】音楽を楽しみながら地域の歴史をひもとく企画、土浦ポンカフェ「レンコンサート」の第6回が27日、土浦市大岩田の霞浦の湯ホールで開かれた。同市博物館副館長で学芸員の木塚久仁子さんが「土浦藩主・土屋政直と茶の湯」をテーマに講演し、茶道のお点前披露やジャズコンサートで盛り上がった。
主催は、「土浦を知る」をテーマに活動するプロジェクト土浦力(猪股登志子代表)とコミュニティバス運行のNPO法人まちづくり活性化土浦(大山直樹理事長)。前回、「能楽」をテーマにした講演が好評だったため、今回は「茶の湯」を取り上げた。
折しも木塚さんは2018年度の茶道文化学術奨励賞(大日本茶道学会制定)を受賞したばかり。執筆した『松平不昧(ふまい)―名物に懸けた大名茶人』(宮帯出版社)が評価されてのものだが、この労作の発端となったのが、同館に就職以来、30年以上追い求めてきた土浦藩主・土屋家の茶道具の来し方行く末だった。

「土屋蔵帳」はカタログ?
土浦藩2代藩主、土屋政直は第5代将軍、徳川綱吉の治世(1680~1709)に22年間にわたり幕閣の要、老中職にあり、権勢をふるった。なかでも茶の湯をたしなみ、武家茶道の小堀遠州に傾倒、幾多の茶器を収集したことで知られる。木塚さんによれば、型を好む“オタク”っぽい趣味人だったらしい。ところが今日、茶道具類は売り払われて、土屋家はもとより、土浦にほとんど残っていない。同博物館も瀬戸茶入の「塩屋」など数点の史料を所蔵するだけだ。
土屋家旧蔵の道具類は「蔵帳」と呼ばれる目録に記載される。木塚さんは全国を回って「土屋蔵帳」の写本15冊を確認したが、ついに原本は見つからなかった。最も初期の武者小路千家(京都)に伝わる写本には合計355点の茶道具が記載されていた。
その詳細を調べて、木塚さんは奇妙なことに気付いた。茶入だけで65点もあるのに、茶碗は30点しかない。茶の湯につきものの花入に至っては2点しかなかった。「土屋蔵帳は管理台帳というより売立目録ではなかったか。道具類を売るためのカタログとして全国に写本が出回った」という見方を示した。
政直の時代(元禄・享保期)は全国から名だたる道具を収集し、次の宝暦期(18世紀半ば)にはそれら名物を諸大名に「借覧」させる発展期だった。しかし寛政期(18世紀末)以降は藩の財政がひっ迫し、換金性の高い茶器を売却することで急場をしのぐようになる。この時期作られたのが「土屋蔵帳」だったというわけだ。
鮮やかな謎解きに会場は沸いた。「茶会は日本人が生み出した最大のもてなし方。挽きたてのお茶をいただくのは至福のとき」(木塚さん)ということで、講演後は土浦茶道霞会代表で石州流林泉寺派顧問、若泉光月さんのお点前で一服。緊張感あふれる武家茶道の振る舞いに、夏の暑さをしばし忘れる午後のティータイムとなった。