火曜日, 4月 21, 2026
ホームスポーツ【高校野球茨城'19】霞ケ浦、初回4得点で水城下す 決勝戦は常磐大と

【高校野球茨城’19】霞ケ浦、初回4得点で水城下す 決勝戦は常磐大と

【池田充雄】第101回全国高校野球選手権茨城大会は24日、ノーブルホームスタジアム水戸で準決勝2試合が行われた。第1試合は霞ケ浦が初回の大量点で波に乗り水城を6対2で下した。第2試合は常磐大が打撃戦を制し5-3で水戸商に勝利。いよいよこの2チームが甲子園への切符を懸けて激突する。決勝戦はあす25日午前10時から、ノーブルホームスタジアム水戸で開催される。

準決勝第1試合は1回表、霞ケ浦が相手投手の立ち上がりを突いて4点を奪った。1死の後、守備の送球エラーと2者連続四球で満塁となり、5番・仕黒大樹が左中間二塁打で2点を先取。スリーツーからの甘いストレートを叩いた。「チャンスで打順が回り、絶対打ってやろうと思った。真ん中にいいボールが来てくれた」と仕黒。続く6番・小早川健人もきれいなセンター返しで2者を返した。

だが1回裏は、死球と送球エラーでいきなり無死二、三塁のピンチを迎える。「立ち上がりは制球が定まらなかった。1点はしょうがないという気持ちで、あわてずに一つ一つアウトを取れた」と先発の山本雄大。山本は2回以降も先頭打者を出しながら後続をしっかりと抑え、5回を無失点でしのいだ。

5回を無失点にしのいだ霞ケ浦の先発・山本

霞ケ浦に追加点が生まれたのは5回表。単打2本と送りバントで1死二、三塁とすると、代打・川島諒也の左翼への犠牲フライで1点を追加。また6回にもセーフティバントと送りバントで1死二塁とし、1番・天野海斗の左越え三塁打でさらに1点を追加。6-0とリードを広げる。

6回表霞ケ浦1死二塁、左越えの適時三塁打を放った天野が塁上で吠える

6回裏からはエース鈴木寛人がマウンドへ。だが立ち上がりに3連打を浴びてたちまち2点を失う。「力が入りすぎてフォームが乱れてしまった。守備陣がよく守ってくれた」と鈴木。その後は立ち直って切れの良いピッチングを披露。ストレートを見せ球にスライダーを効果的に使い、8、9回はいずれも3者凡退で締めくくった。

これで霞ケ浦は3年ぶりの決勝進出。前回は土浦日大に延長15回で敗れており、その悔しさを今の3年生は忘れていない。「決勝は何があるか分からない。それを経験して今ここにいる。ピンチのときにあせらず、チャンスのときこそ落ち着いていく。試合を重ねるごとにその自信がついてきた」と仕黒。高橋祐二監督は「平常心で精一杯頑張りたい。勝ち負けは後からついてくる」と、無欲で挑む心境を明らかにした。

【霞ケ浦】山本、鈴木寛-瀬川、鈴木春 【水城】樫村、櫻井-千田 ▷三塁打=天野(霞ケ浦)、千田(水城)▷二塁打=仕黒、飯塚、瀬川(霞ケ浦)

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土浦の花火100年の紡ぎ(4)《見上げてごらん!》51

【コラム・小泉裕司】戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の統治下にあった1945年10月、火薬類の製造は全面禁止となった。再び製造・販売が許可されたのは、3年後の1948年8月1日である。同日、東京・両国では「川開き花火」が8年ぶりに再開された。のちにこの日は「花火の日」に制定されている。さらに同年9月22日には、戦後初の競技会とされる「第1回全国花火コンクール」が隅田川で開催された。 このコンクールの目的は、花火師同士が切磋琢磨(せっさたくま)し、色彩や造形美といった品質を極限まで高めることにあった。同時に、もう一つ重要な役割を担っていた。それは、花火の輸出振興を目的とした「プロモーションの場」である。海外バイヤーに対し、「日本の花火は世界一である」ことを示すショールームとしての機能を果たしていたのだ。 終戦からわずか3年。深刻な物資不足とインフレに直面していた当時の日本にとって、外貨獲得は至上命題であった。繊維製品や雑貨と並び、伝統技術の結晶である花火もまた、戦略的な輸出品として位置づけられていく。 茨城が誇る「輸出花火」の輝き こうした国策の流れは茨城にも波及する。1953年の「いはらき新聞」によれば、野手火工や茨城火工があった下妻地方では、特産の玩具花火が同地方の出荷額第3位を記録した。輸出先は南米にまで及び、まさに輸出産業の花形であった。 土浦火工もまた、輸出に心血を注いだ企業の一つである。海外の環境に対応するため、防水スプレーを塗布するなどの工夫を重ね、アメリカを中心に各国へ花火を送り出した。 こうした功績が評価され、1961年には「土浦の花火」大会の最高賞として通商産業大臣賞が授与された。さらに1962年から10年間、大会名称に「輸出振興」の冠が付されたことは、高度経済成長期という時代を象徴している。 進駐軍を魅了した「日本の花火」 一方で、土浦の花火には興味深い記録が残る。火薬製造が禁止されていたはずの1946年9月30日に、すでに「第14回大会」が開催されていたというのである。1948年の両国花火再開よりも、実に2年早い。 背景にあったのは進駐軍の存在だ。当時、米軍は独立記念日などにキャンプ地で花火を打ち上げており、国内の催事でも司令官の裁量で許可が下りる場合があった。1946年、水戸に置かれたGHQ茨城軍政部に着任したリンボー少佐は、故郷のナイアガラの滝を懐かしみ、花火の打ち上げを要望したという。 これを受けて県内の花火師が招集され、土浦観光協会の主催により、9年ぶりの大会が実現した。リンボー少佐ら幹部将校30人余りが、友末知事ら県幹部とともに観覧したと伝えられている。日本の花火に魅了されたGHQが花火師たちの訴えに耳を傾けたことが、1948年の製造解禁を後押ししたとも言われている。 歴史の転換点を経て しかし1970年代に入ると、転機が訪れる。人件費の高騰や円高、さらに安価な中国製花火の台頭により、花火の輸出は次第に縮小していった。 現在の「土浦全国花火競技大会」は、輸出振興よりも芸術文化の継承や観光振興の側面が強い。しかし、その根底には「日本の匠(たくみ)の技で世界を魅了し、国を豊かにする」という、戦後を駆け抜けた花火師たちの熱い志が、今も確かに息づいている。本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「下妻市史」(下妻市史編さん委員会、1995年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「花火の事典」(新井充、東京堂出版、2016年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「花火師たちの記憶/DVD」(㈲茨城ビデオパック、2025年完成)