火曜日, 11月 25, 2025
ホーム土浦【直売所めぐり】6 タケノコ、ワラビ、ウド…春野菜が続々 JA水郷つくば「さんふれ霞ヶ浦店」

【直売所めぐり】6 タケノコ、ワラビ、ウド…春野菜が続々 JA水郷つくば「さんふれ霞ヶ浦店」

【田中めぐみ】丸い外観が特徴的なJA水郷つくば(本店土浦市)の直売所、サンフレッシュ霞ヶ浦店(かすみがうら市深谷)。朝8時、スタッフの酒井貴さん(65)が店を開けながら迎えてくれた。酒井さんは主に移動販売を担当し、かすみがうら地区の下大津、牛渡、佐賀、美並、安飾、志士庫のそれぞれの地域を隔週ごとに車で回り移動販売を行っている。元設計士、定年退職してからもう少し働きたいとJA直売所のスタッフとして再就職した。直売所で働いて4年。移動販売では主におやつのお菓子の売れ行きが好調で、お客さんは買い物を楽しみにしてくれているのがうれしいという。酒井さんのお勧めは今が旬の春野菜だ。

スタッフの酒井貴さん(上段左)、朝掘りタケノコを品出しする生産者(上段右)、ワラビを品出しする小泉たか子さん(下段左)、葉玉ネギの食べ方について説明する桜井信雄さん(下段右)、

話していると「朝掘りのタケノコだよー」とたくさんのタケノコが運ばれてきた。「ああ、重い」。ずっしりとした大きなタケノコ。値段はなんと250円から400円ほどだ。「わあ、大きいね」「安いねえ」、スタッフやお客さんから次々に声が上がる。「あくはどうしたらいいの」、「ぬかをサービスで付けるよ」、「縦に切ると皮が向きやすいよ。味噌汁とてんぷらはあく抜きしなくてもいいよ」、「穂先が黄色いのがいいのよ」と生産者。直売所のスタッフ、お客さん、春の恵みを囲んでみんなが笑顔だ。

「ワラビもきたよー」と声が掛かり、見ると穂先のくるくるぴんとした新鮮なワラビ。この日はお客さんの試食会があるとのことで、「もっとワラビ持ってこないと売れちゃうよ」、「もっと持ってこようか」と生産者同士でやりとりする。ワラビの生産者小泉たか子さんのお勧めは、あく抜きしたワラビを3センチほどに切ってめんつゆに漬けた漬物風。粘りがあるのでニンジンやするめなどを合わせて松前漬けにするのもいいという。なるほど確かにおいしそうだ。

桜井信雄さんは葉玉ネギとニラの生産者。葉玉ネギも今が旬。短い時期だけ食べられる野菜だ。食べ方を聞くと「葉玉ネギは葉から玉ネギの部分まで全部食べられるよ。油味噌炒めがお勧め」と話してくれた。食べやすく切った葉玉ネギを油で炒め、砂糖、味噌、醤油などで味付けする調理法だそう。知らなかった。買って帰って作ってみたところ、これがおいしい。新玉ネギのみずみずしい甘みと青い葉のよい香りが、油と味噌によく合う。

カブを品出ししていたのは生産者の石島貞良さん(82)。「いいカブができたと思いますよ。ちょっと寒かったかなと思ったけど育ちがいい」と明るい笑顔がこぼれる。「生涯現役。毎日一生懸命働いて、また明日、また明日と一日一日頑張っています」

春野菜のコーナーをじっくり真剣に見ていた押野清さん(67)は家族のためにウドを買いに来たという。妻の好物だそうだ。「ここには週に1回ほど買い物に来る。葉っぱはてんぷらに、茎は酢味噌にするとおいしい。なんといっても新鮮なものがそろっています」と、話してくれた。

生産者の石島貞良さん(左)、ウドを選ぶ押野清さん

サンフレッシュ霞ヶ浦店

住所▽かすみがうら市深谷3467-4

電話▽029‐897-0682

営業時間▽午前9時~午後6時(4月~9月)、午前9時~午後5時30分(10月~3月)

定休日▽なし(お盆・年末年始は休み)

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自動運転バス「レベル4」27年度実現へ つくば市で3回目の実証実験開始

つくば市で21日、公道を使った自動運転バスの走行テストを行う実証実験が始まった。ルートは、つくば駅から筑波大学構内を循環する約10キロの既存のバス路線で、所要時間は約40分。一般の乗客を乗せて1日4便の運行を来年1月23日まで続ける予定だ。同市は2027年度に、運転手不在の状態で、特定の条件下で完全な自動運転が可能となる「レベル4」の実現を目指している。 この実験は、昨年と今年1月に続いて3回目となる。今回はこれまでと同様、状況に応じて運転手が操作を行う「レベル2」での実施となる。 今回は、国の補助金を活用して関東鉄道が自動運転バス車両を新たに購入し、同社のバス路線「筑波大学循環」内のすべてのバス停に停車するなど、新たな取り組みも加わった。また、今年8月にはつくば市を代表として、筑波大学、関東鉄道、KDDIが「つくば自動運転社会実装推進事業コンソーシアム」を設立。民間5社の協力も得て実施されている。 今回使用されている車両は、名古屋市のベンチャー企業ティアフォーによる自動運転EVバス「ミニバス 2.0」。最高時速は70キロ、定員は28人だが、自動運転時は時速35キロ、定員16人で走行する。走行時には8台のカメラと13台のレーザーセンサーが周囲の状況を分析し、事前に設定した走行ルートに従って自動安全システムが交差点やカーブでの停止・発進、加減速などを行う。緊急時には乗車する運転士が手動運転で対応する。この日は通信トラブルが発生し、バス停での停車・発車時などで手動操作に切り替え運行した。 つくば市科学技術戦略課の中島央樹さんは、今回の実証実験について「国は、全国で自動運転サービスの実装を2025年度に50カ所、27年度に100カ所以上とする目標を掲げている。つくば市もこれに合わせ、27年10月に完全に運転手がいないレベル4の実装を目指している」とし、「昨年は6カ所のバス停のみ停車したが、今回は、路線バスと同じ動きをすることを目指し、29カ所すべてに停まるようにした。以前はつくばセンターのロータリー外側から発車していたものを、内側からの出発に変更した」と説明し、「つくば市に限らず、中心部と周辺地域の移動格差が課題となっている。つくばは車が主な移動手段で、交通渋滞や事故が問題になっているほか、交通事業者では運転手不足による減便などの課題もある。自動運転バスの運行を通じて公共交通を地域に根付かせ、こうした課題の解決につなげていきたい」と目標を語った。 同市は今年度当初予算で、国の国庫支出金を財源に、自動運転バスの購入費、自動運転地図作製費、レベル4通信費など約1億3400万円と、自動運転バス年間維持費約1370万円の計1億4770万円を計上した。今年度は実証実験とレベル4許認可申請、26年度は実証実験、27年は定常運行を目指している。(柴田大輔) https://youtu.be/FfSoeYhtxLI ◆乗車料金は無料。QRコードで希望の時間を事前予約する。事前予約がない場合は先着順となり、定員に達した場合は乗車できないことがある。詳しくはつくば市ホームページへ。