金曜日, 3月 6, 2026
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宍塚小跡地活用決まる 土浦市新年度当初予算案

【鈴木宏子】土浦市の中川清市長は22日、新年度当初予算案を発表した。一般会計は前年度比3.8%増の約530億2000万円となる。2014年3月に廃校となった宍塚小学校跡地の活用方法が決まり、校舎を耐震改修し、現在、真鍋にある教育相談室を移転するほか、市内3カ所に分散保管されている公文書を移転・集約し公文書書庫とする。

主な事業は合併特例債を活用した市民会館の耐震化・大規模改造、新治庁舎跡地への学校給食センター建設など。いずれも老朽化施設の更新だ。市民会館の工事は合併特例債を使った最後の事業で、発行限度額を使い切るという。

中川市長は「合併特例債をめいっぱい使って投資した。最後が市民会館なので大事業をしっかり仕上げていきたい。返済の時期が今から来るわけで、しっかり財政を立て直していきたい」などと話した。予算編成当初は14億円の不足が見込まれたが、事業の見直しを徹底し不足額を圧縮したという。

一般会計は過去5番目の規模。過去最高だった2015年度以降、近年は3年連続で前年度を下回っていたが、増加に転じる。特別会計などを加えた総額は同1.0%増の約918億6000万円となる。

市民会館は来年5月リニューアルオープン

市民会館の19年度分は20億5000万円。今年1月から工事に着手し来年5月にリニューアルオープンする。給食センターは耐震基準を満たしていない第1、第2給食センターを統合して再整備する。昨年10月に着工、来年9月から使用開始予定。新年度分は約20億円。

ほかに、老朽化している衛生センター(同市佐野子)を建て替え、汚泥再生処理センターを建設する(約4億円)。し尿や浄化槽汚泥に加え、農村集落排水事業の汚泥を併せて処理し、助燃剤をつくる施設とする。完成は20年度末の予定。

ソフト事業では、保育士確保のための処遇改善策として、保育士1人当たりの給与補助額を昨年度の1万円から5000円引き上げて1万5000円(7100万円)とする。隣接のつくば市が1人3万円を助成していることが、周辺市町村の保育士確保に影響を与えているという。

小学校の統廃合では、上大津西小と菅谷小の暫定的な統合に向けた準備として120万円を計上する。

霞ケ浦の土浦港に隣接する川口2丁目の市有地に今年3月、サイクリング拠点「りんりんポート土浦」が完成する。開発計画が頓挫(とんざ)し、2010年に市がデベロッパーから取得した広場の一部で、残り約3.9ヘクタールの市有地の活用についても1000万円を計上し、民間事業者を誘致した観光拠点の整備などを検討する。

歳入は、景気回復などの影響で法人市民税4.7%増を見込む。一方、市民会館や給食センター工事費などの財源不足を補うため、財政調整基金などを総額9億7000万円取り崩す。借金の残高は2019年度末で1030億円になる見込みだ。

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日本薬史学会の資料《くずかごの唄》155

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半世紀の集大成 光を描く水彩画家 中野瑞枝さん回顧展 つくば美術館

土浦市在住の水彩画家、中野瑞枝さんの回顧展が3日、つくば市吾妻の県つくば美術館で始まった。画家として歩んだ50年余りの集大成として、過去25年間に描いた作品を中心に180点余りを展示している。 北海道や東北の農村、ドイツやスイスの風景から、茨城県内の身近な自然まで。一貫して追い求めてきたのは光だ。「光はどこにでもある。光が全ての事物を美しく見せてくれる。なるべく身近なものを描いていきたい」と語る。 回顧展は、以前にも開催を考えたことがあったが、「まだ早い」と踏みとどまった。だが体の衰えと進行性の病気が重なり、「今やらないともうできない」と決断した。8日まで。 「白」に命を宿す 中野さんの描く光は、水彩紙の白そのものだ。「水彩画の白は、色を乗せない。周囲に塗り重ねた色が、白を浮かび上がらせる」という。描きたい光をあえて描かずに、周辺の影や背景を塗り重ねることでモチーフを際立たせる、透明水彩の技法「ネガティブペインティング」を駆使する。 「あの木を見てください」と中野さんが指差す絵には、斜めから射す陽光に輪郭が照らされる3本の白樺の木がある。幹の光る部分を紙のどこに置くか、描き始めたら動かすことはできない。「塗ったら白は終わり。どこに光を残すか、描き始める前に決めなければいけない。描いてしまったら、波も雲もピカッと光らない」。緊張感の中で、光に命を宿していく。 会場入り口正面に置かれた作品「帰り道」は、山形県西村山郡の岩根沢をモデルにした風景画だ。刈り取りを終えた田んぼに沿う小道が画面の奥へと緩やかに伸び、柔らかい穂をつけたススキが土手を覆う。夕日に染まる雲が一面を赤く包む。車移動を重ねながら「心に響く光」を求めて旅した北海道・東北の景色や、スイスやドイツで出合った風景も並ぶ。 一方で、暮らしに近い場所にある風景にも眼を向ける。豊かな緑に囲まれる湿地と森の奥にのぞく階段、広い敷地に咲き誇る桜の木々は、つくば市の自然公園「高崎自然の森」だ。「桜なんて、以前は描く気はなかった。でも教室を始めて生徒たちと行ってみると、やっぱりきれいで、この世界がやっぱりすごくきれいに見えるんです」と笑みを浮かべる。ほかにも、つくばみらい市の小貝川沿いにある「福岡堰」、牛久市岡見町の「上池親水公園せせらぎの里」など、地域住民に馴染み深い場所の絵が並ぶ。 けがが開いた絵への扉 東京 伊豆大島で生まれた中野さんは、幼少期から自然に親しみ、高校時代はアルピニストを夢見た。「リュックの中にいろんなものを詰めて、お弁当を入れればパッと山へ行けるようにしていた。明日学校で試験だと言っても山へ行っちゃう、そんな人間だった」。そんな高校時代にアキレス腱の断裂を経験、さらに治療中の感染症が重なり、登山を断念することになった。「山登りしたかった子がそうなったんだから、人生絶望状態でした」と振り返る。 大学卒業後、20代半ばに「元々関心があった」絵画を始めた。芸大を目指す高校生たちとともに美術学校で腕を磨き、「やり始めたらすごく面白かった。一度も描くのが嫌だと思ったことはない」。 わが子が幼い頃は、1年で1万枚を目指して毎日子どもを描いていた。1990年に初めて開いた展覧会を30年以上に渡り毎年開催し続けてきた。 「お裾分けできれば」 けがによって限られた選択肢の中で手にしたのが「絵を描くこと」だった。しかし、いつの間にか絵のない生活はありえないほどに人生そのものとなっていた。「絵を描くことで私はプレゼントをいっぱいもらった。絵そのものも頂き物、人との出会いもそう」 「(病により)1週間前にできたことが今日できないこともある。でも、そう生きている人は山ほどいる。老いや病は誰もが通る道。かわいそうだという見方はすごく嫌なこと。そこにフォーカスするより、私が絵を通して頂いてきたものをお裾分けできればいい。そんな思い」と静かに話す。 16年前、牛久市に転居したのを機に始めた絵画教室は、土浦に引越した現在も、つくば市内で月2回続けており、現在約10人の生徒が学ぶ。 「自分が培ってきた技術や、いろいろなものをできるだけ人に伝えていきたいと思うし、絵を通して人と関わることによって、与えたり与えられたりすればいいと思っている」と話し、「高校時代、足のけがで山に登れなくなったのは、今は本当に良かったと思っている。あのまま突き進んでいたら、雪山で命の保証はなかった。けがで命拾いをして、絵を描き始めた」。時間はかかったが、そう思えるようになったと微笑んだ。(柴田大輔) ◆「中野瑞枝水彩画回顧展」は、つくば市吾妻2-8 県つくば美術館で3月3日(火)~8日(日)まで開催。開館時間は午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分、最終日は午後3時まで)。入場無料。詳しくは県つくば美術館ホームページ内の展示会情報へ。