月曜日, 4月 19, 2021
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《県南の食生活》11 ぼたもち、ボタメシ

【コラム・古家晴美】先週末、スーパーのレジ近くに沢山のおはぎが並んでいましたが、お買いになりましたか? 2020年春の彼岸は、中日(なかび)の3月20日(春分の日)をはさんで前後3日ずつ、17~23日でした。 現在、店頭で販売されているものは、その多くが「おはぎ」とラベル付けされていますが、『茨城方言民俗語辞典』を見ますと、県南地方ではオハギは見当たらず、ボタモジ(現桜川市、取手市)やボタメシ(つくば市、土浦市、取手市)などが「おはぎ」として紹介されています。 また、この季節になると、春彼岸に食べるのが「ぼたもち」で、秋彼岸に食べるのが「おはぎ」と解説する記事や番組も目立ちますね。確かに、季節的違いにより使い分ける地域もあるのですが、全国的に言えるものではなく、片方の呼称しか使わない地域もあります。 また、小豆餡(あずきあん)の「ぼたもち」と黄な粉やゴマをまぶした「おはぎ」(大正末期の水戸周辺、静岡県引佐群など)、もち米をつぶして握った「ぼたもち」と、つぶさず握った「おはぎ」(新潟県古志郡)など、材料や調理法で使い分ける例も報告されています。 阿見町大室では現在でも、お彼岸になると「ぼたもち」を作るお宅があります。炊飯器で炊いたもち米を皿によそい、その上に自宅で煮たつぶし餡を載せます。この地域では、「ぼたもち」は丸めずにこのような形で食べることが多いようです。地元では「おはぎ」と言う呼び名はあまり使いません。 60年前までは「漉し餡」 ダンゴツキの回(2019年9月25日掲載)でもご紹介したように、現在はつぶし餡が広く流通していますが、こちらでは、60年ほど前までは農家で自家用に作る場合でも、ほとんどが漉(こ)し餡だったそうです。作った経験のある方はよくご存じだと思いますが、漉し餡はつぶし餡と比べると数倍の手間と時間がかかります。 茹(ゆ)でた小豆をつぶして数回裏ごしし、何度か水に晒(さら)して布に包んで絞るという、根気のいる作業です。これは時間にゆとりがあるお年寄りたちの1日がかりの仕事でした。 ぼたもちは、お彼岸以外にもミツメノボタモチと言って、産後3日目の産婦に食べさせ出産祝いに配ったり、死後35日の法事に作って、死者が剣の山を登る時に足を滑らせないようにと、草鞋(わらじ)でぼたもちを挟んで墓に供え、参列者に振る舞ったりしました。 同様の例は、かすみがうら市、行方市、つくば市でも行われていました。このほかに、田植えを始めるウエソメや田植えが終わったサナブリ、稲の収穫が終わったカリアゲ、麦播きをすませたマキアゲの際にも、ぼたもちを作って食べる習慣がありました。お餅を搗(つ)くほどではないけれど、祝いたいような機会に作られてしていたようですね。(筑波学院大学教授) ➡古家晴美さんの過去のコラムはこちら

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つくば市の注目案件 2つの変な話 《吾妻カガミ》104

【コラム・坂本栄】今回はつくば市政の注目案件、総合運動公園用地処理とセンター地区再生会社を取り上げます。それぞれ、4月初めにある動きがあり、何か変だな~と思ったからです。市政モニターを売りにするこのコラム、ネタが尽きることはありません。 「防災倉庫」案はまだ生きている? 市は4月1日、運動公園計画用地をどう使ったらよいかアイデアを出してくださいと、民間の業者さんに呼び掛けました。市は「サウンディング」と言っていますが、市には知恵がないので活用法を教えてくださいと、業者さんにお願いしたということでしょうか。入札の一つの形である「プロポーザル」(案件に対する企画提案)ではなく、あくまでもご意見拝聴です。 詳しいことは、本サイトの記事「民間へ、また市場調査開始」(4月1日掲載)をご覧ください。見出しに「また…」とあるように、市長2期目の五十嵐さんは1期中にも同じようなことをしていますから、この案件では2度目のサウンディングになります。 何か変だなと思ったのは、アイデア募集要領に「敷地全体の一体的活用法、または分割しての利活用法などをお示しください」と書かれていた点です。運動公園用地については、2月19日、敷地の3分の1ぐらいを防災倉庫とヘリポートに活用する市案が議会に提出されており(「市長の手法に異議相次ぐ」=2月20日掲載)、この構想は一体どうなったのでしょうか? 五十嵐さんに確認したところ、防災施設案はまだ生きているそうです。そうであればそうと募集要領に書いておかないと、業者さんは防災施設案をどう扱うべきか迷ってしまいます。それとも、「防災倉庫+ヘリポート」案はあまり評判がよくないので、無視しても構わないと暗に言っているのでしょうか。

新入生ら「筑波大に入ってよかった」 つくばの食料無料配布に240人

「筑波大に入ってよかった」。無料配布の食料を受け取った筑波大の新1年生たちから歓喜の声が上がった。つくば市天久保の松見公園で18日、食料の無料提供会(学生応援プロジェクト@つくばーPEACE(ピース)主催)が開かれ、入学したばかりの筑波大学1年生をはじめ、大学生や家族連れなど約240人が食料を求めて集まった。 無料配布会の情報をツイッターで入手した新入生らは、入学後に新しくできた友人らと一緒に並び、米(1袋2キロ)やカップラーメン、レトルト食品などの保存食、ネギなどの生鮮野菜、日用品などを受け取った。新入生らは仲間内で「こんなにたくさんもらえた」「筑波大に入って良かった」など喜びあった。 食料無料配布会を告知する主催団体の公式ツイッターは在学生や新入生の間では広く共有されており、多くの大学生らが「ツイッターで(無料配布を)知った」と口をそろえた。会場では、生理用品への出費が負担となる「生理の貧困」に悩む女子学生に向けた無料配布も行われた。 食料の無料配布を求めて並ぶ大学生たち=同 特に他県からつくばに転入した新入生の間では、食料無料配布は非常に喜ばれた。栃木県出身の筑波大1年生男子(18)は「主食から何までもらえた」と感謝した。「来たばっかりなのでお金も大変。引っ越しにあたって家具も揃えないと」と、つくばでの新生活を始める際の経済的な負担を訴えた。 愛知県出身の筑波大1年生男子(18)は「入学したばかりなのでうれしい。愛知県だと(食料無料配布会が)中々ない。お米もいただけたので助かった」と語った。「こんなに(食料を)もらえるとは思ってなかった」という群馬県出身の筑波大1年生男子(18)はと驚きを隠せない様子。「もう少し生活が安定してゴールデンウイーク過ぎからアルバイトを始めようと思っていた」という。

越冬ヒメトビウンカの防除を 田植え控える県西・県南に警告

田植えシーズンを控え、茨城県病害虫防除所(笠間市、農業総合センター病害虫防除部)は、県西、県南の一部地域で水稲被害のイネ縞葉枯病(いねしまはがれびょう)の多発傾向がみられると警告している。同病は発病してから治療方法がないため、田植え前のイネの苗に薬剤施用を行うことが重要だとしている。 イネ縞葉枯病は、ヒメトビウンカという体長約3~4ミリの害虫により媒介されるウイルス病。イネはこのウイルス(RSV)をもった保毒虫に吸汁されると同病に感染し、葉の緑色がかすり状に黄化したり、生育不良となったり、出穂期には穂が奇形となり実らなくなるなどから減収を余儀なくされる。 発病の警戒には、ウイルスを保有するヒメトビウンカの割合(保毒虫率)が大きく影響する。県では、ヒメトビウンカ越冬世代幼虫のRSV保毒虫率(ウイルスを持った虫の割合)5%以上を、葉剤の育苗箱施用による防除を推奨する目安にしているが、今年の調査では県西地域11地点中10地点、県南地域ではつくば市などを含む4地点中2地点で、5%以上の高い保毒率を示している。 ヒメトビウンカはRSVに感染したイネを吸汁すると保毒虫となり、死ぬまでウイルスを媒介し続け、また保毒虫が産卵した卵から生まれた幼虫はウイルスを保毒している。幼虫はイネ科の雑草などに生息して越冬するため、翌年も発生する可能性が高くなるという。 同防除所は、田植え期前のイネの薬剤施用に加え、6月中・下旬に水田に薬剤散布を行うと防除効果が期待できるとしている。

正岡子規『水戸紀行』追歩(6) 《沃野一望》26

【コラム・広田文世】灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼我(わが)ひめ歌の限りきかせむ とて 明治22年(1889)、東京から水戸へ友人を訪ねて歩き出した正岡子規は、土浦市内をぬけ真鍋の急な石段を上がる。高台より霞ケ浦を俯瞰(ふかん)する。令和の時代の土浦市民としては、霞ケ浦を眺望していただいたことが、悪印象を残してしまった土浦の、せめてもの救いになる。 「この断崖に立ちて南の方を見れば果して広き湖あり。向ひの岸などは雨にて見えず。されど霞浦とは問わでも知られたり」 真鍋あたりの旧水戸街道は真鍋の町なかから急坂をあがり、土浦一高の手前で旧6号国道に合流する。子規は、石段を上がったとあり、善応寺の裏手あたりの道かとも推察されるが、判然としない。現在残されている旧水戸街道とは、いくぶん異なっているようだ。 土浦一高は、旧制土浦中学校。本館は明治37年竣工の重厚な建物で、重要文化財に指定されているが、子規が真鍋へ来訪した時点では、この本館はまだ建設されていない。子規が『水戸紀行』を歩いた時代は、それほど古い過去の出来事。 ところで文化財の旧本館、われわれの年代は卒業年度に実際に校舎として使用させてもらった。夏になると高い天井からダニが降ってきたり、冬は床板の隙間から寒風が吹きあげたりしたが、やはり味わいのある校舎だった。