日曜日, 9月 19, 2021
ホーム コラム 山口絹記

山口絹記

3月11日に家族が増えたおはなし 《ことばのおはなし》32

【コラム・山口 絹記】出産予定日を数日過ぎた深夜2時。「破水してるかも…」と言いながら、私の部屋に入ってきた妻。「いやぁ、そんな出てないかも、我慢できるくらいの痛みだし」 いやいやいや。破水してる時点で病院直行でしょう。我慢できるとかできないとか、関係ないでしょう。車のエンジンをかけ、暖房を入れ、座席シートにビニールを敷いて、寝ていた上の娘(もうすぐ6歳)に上着と靴下を装着して病院へ。 かけていたラジオから、震災から10年、みたいな話が流れてきた。 そうか。どうやら2人目の我が子は3月11日、あの日からちょうど10年のこの日に生まれるらしい。 こんなご時世なので、出産には夫といえど立ち会えず、面会も1人だけで毎日15分まで。上の娘のときはつきっきりで、妻の背中を全力で押し続け、へその緒も切らせてもらえたし、夜遅くまで病室にいられたことを考えると、ずいぶん違った世界になっていて興味深い。 すっかり目がさえてしまった娘を寝かしつけ、落ち着かない気持ちをごまかしごまかしギターをいじってみたり、狭い部屋をウロウロ歩いているうちにカラスが鳴き始め、外も明るくなってきてしまった。コーヒーをいれていると娘が目をこすりながら寝室から出てきて、無言でストーブをつける。

《遊民通信》12 神秘体験記(3)夢から生まれた救いの歌

【コラム・田口哲郎】前略 信じるも信じないもあなた次第、他人と分かち合えない神秘体験。でも、体験がひとつの歌になると、共感が生まれるのかもしれません。以心伝心、不思議な夢のお話です。6年前、カトリック碑文谷教会(東京都目黒区)でのシスター古木涼子さんの講演会に行きました。シスター古木は「イエスのカリタス修道女会」の総長で、歌うシスターとして有名です。その会で素晴らしい歌とお話を聴き感動しました。 それからひと月ほどしたある夜、私は夢を見ました。ジャズクラブ風の場所でステージにはシスター古木。グランドピアノを弾きながら歌っています。私は客席にいて良い曲に感涙を流していました。曲の内容は旅人が多くの困難を乗り越えるというもの。旅人が果てしない道に絶望し泣いていると風が吹き、気づくと羽根のついた革靴を履いている。その靴のおかげで旅人は苦しみから解放されます。 靴はまるでドラえもんの道具みたいな靴。旅人は「仕込んだわけでもないのに羽根のついた靴が与えられた」とつぶやくのです。するといろいろな人々がバックスクリーンに映し出され、泣き顔が笑顔になる。そしてみんな「この靴を履かせてもらってうれしい」と言うのです。曲に酔いしれていたら、足の痛みで私は目覚めました。足がつったのです。ケガの巧名か、歌の歌詞を覚えていたので、痛みに耐え、必死で書き留めました。 「羽根のついた靴」 果てない道にふと...

《ことばのおはなし》31 正三角形のヤギを見た

【コラム・山口 絹記】ことばの困ったところは、視覚的には思い描くことすらできないものも、描くことができてしまう点だ。 『つくば市のあらゆる大通りを、現在、正三角形のヤギの大群が歩いている。ヤギはどの角度から見ても正三角形であり、光学機器では現在のところ観測不能であることがわかっている。人間の目による計測を試みようにも、ヤギAに意識を集中すると、それに接しているはずのヤギB、C、D、E、F、Gが認識できなくなり、正確な計測ができない』 みたいな文章はいくらでも書くことができる。書けば書くほど、視覚的な情報とはかけ離れていくだろう。想像してしまった方もおられるかも知れないが、“どの角度から見ても正三角形のヤギ”は存在し得ないため、その想像は誤りだ。球体ならまだ、あり得たかも知れないが。 さて、もう一歩進んでみよう。こんなうわさがたったとする。 『観測不能なヤギを、その目で見てしまった者は、言語能力を失ってしまうらしい。話すことはおろか、文字を書くことも、文字入力を行うこともできなくなってしまうらしい』 もっとやってみよう。

《ことばのおはなし》30 「写真で語れ」と、私は教わった

【コラム・山口絹記】気がつけば、初めて自分のカメラを持ってから10年以上がたった。あのころはまだiPhoneもなくて、ケータイのカメラはあくまでオマケ。プロや写真愛好家の中では、デジタルに移行する人もいれば、デジタルカメラがいくら便利でもフィルムの画質にはかなわない。なんて話をしていたっけ。 私のメイン機材であるデジタル一眼レフは、有効画素数4,575万画素。10年前であれば、高画素になればなるほど、素子の性能が落ちるとか小難しいおはなしもあったのだけど、もうそんな弱点も克服されてしまった。 当時はNikon F3にISO100のリバーサルフィルムを入れて、50mmの単焦点レンズでシャッタースピード1/8秒まで手ブレしないで撮れるよう訓練していた。私が今使用しているレンズは手ブレ補正機能付きだ。望遠レンズでなければ1/8秒なんて片手で撮れる。 最近のカメラ談義は、ちょっとカメラが好きな方たちの間では、デジタル一眼レフとミラーレスカメラの性能比較。一般ユーザーであればスマホとデジカメの比較? いや、もうスマホで十分という感じだろうか。 プロの世界もミラーレス機が主流になっていくのだろう。どこまで行っても写真はレンズだから、スマホに取って代わられることはない。などと思っていると、ミラーレス機とスマホごと、新しい技術に横合いからぶん殴られて消え去るかも知れない。今までだってそうだった。これからだってそうだろう。

《ことばのおはなし》29 音楽とことばの限界

【コラム・山口絹記】最近、新しいアコースティックギターを購入した。もともとアコースティックギターを1本、クラシックギターを2本、エレキギターを1本持っていたのだが、現役で使っていたのはアコースティックギター、クラシックギター1本ずつだ。そのうちのアコースティックギターの調弦がどれだけ合わせても狂うようになってしまったのが、今回の購入動機である。 ギターというのは、ざっくり言うと6本の弦が張ってある楽器だ(7弦ギターとか、12弦ギターという楽器もあるが)。 日本でよく耳にするバンドや弾き語りなどでは、太い弦からEADGBE(ミラレソシミ)の音に調弦するレギュラーチューニングが使われていることが多いが、アイリッシュギター(アイルランドの伝統音楽)などでは、6弦と1弦をD(レ)の音に下げたチューニングを施すこともある。細かいおはなしを始めると終わらなくなってしまうので、今回はこのあたりにしよう。 アコースティックギター(クラシックギターも含む)というのは、木材で作られている。そのため、どれだけ高級なギターを使っていても、高温多湿な環境や、極端に乾燥した場所に放置していると、ギターが変形して音がおかしくなってしまったり、最悪壊れてしまうことがある。私のギターの場合は、ボディが膨らんでしまってチューニングが合わなくなってしまったのだ。 キラキラした音、やわらかい音、… 楽器屋に何百本と並ぶギターから自分の気に入ったギターを探すのは大変な作業である。まったくの初心者であれば、入門セットが用意されていたり、あるいは憧れのメーカーで選んだりもできるが、なまじ10年以上弾いているとそうもいかない。好きな音色、というのがあるのである。

《ことばのおはなし》27 紙の書物の存亡

【コラム・山口絹記】スマートフォン片手に本屋を徘徊(はいかい)するのは、私のいつもの休日だ。「せどり」をしているわけではない。しばらく立ち読みをして、目的の書籍たちが、紙の書物で購入すべきものか、電子書籍で購入した方がよいものかを検討する。三度の飯より読書が好きとはいえ、自宅の本棚が崩落しては面倒だ(実際この10年で本棚を2度壊している)。電子書籍で済ませられるものは済ませるに越したことはない。 電子書籍といえば、電子書籍が紙の書物を駆逐するか、という議論がされて10年以上が経つ。個人的には紙の書物が駆逐されようと、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』のような、読書という行為そのものが禁じられる世界がやってこなければよいと思ってしまう。 度重なるビブリオコースト(書物大虐殺)の後の世に、博物館のショーケースに飾られた、ボルヘスの『砂の本』、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、寿岳文章の『書物の共和国』を眺めて歩いたその午後に、伊藤計劃の『ハーモニー』のごとく「誰かが孤独になりたいとしたら、死んだメディア(紙の本)に頼るのが一番なの」とうそぶいて、紙のページをめくれるならそれはまだきっと贅沢(ぜいたく)な時間だ。 ここまで書いて、やはり紙の書物は私の身体の一部、延長なのだな、と再確認する。紙の書物の絶滅の話になると、どうも文章が感傷的になってしまう。 電子書籍は紙の書物を滅ぼすか? さて、「これがあれを滅ぼすだろう」という台詞(せりふ)は、ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』に出てくるものだ。“これ”は“書物”で、“あれ”は“建物(ノートル=ダム大聖堂)”を示している。もちろんここでの意味は本の重みが大聖堂を崩壊させる、ということではない。

《ことばのおはなし》27 本に埋もれて

【コラム・山口絹記】とある事情で短期間に2回引っ越しをした。それも、荷造りの時間的猶予も与えられない夜逃げのような引っ越しだ。このおはなしに関しては、いつかこのコラムでも書こうと思う。 さて、私は引っ越しが大嫌いである。理由は単純明快。蔵書の箱詰めや整理が苦痛なのだ。我が家にはおそらく1200冊程度の本がある。たぶん、そのくらい…ということにしておく。これでも実家から厳選して運び出した私のお気に入りの蔵書。「趣味は読書です」という一言にも、「毎週図書館に通ってます」から「一度、実家の床が抜けました」まで幅広い規模が想定されることを忘れてはならない。 実家にはおそらく1万冊程の蔵書がある。たぶん、きっと、その程度…だと思いたい。備え付けの壁一面の本棚もあるが、そのようなものはとうの昔に飽和し、虫もわかないほどに隙間がない。増えた本はなんの疑問もなく床や廊下や机やベッドの上に積まれていく。 ちなみに本というのは、背と小口で厚みが異なるため、高く積み上げると崩れる。そのため折を見て向きを変えて積み上げる必要があるのだ。大切なライフハックである。 一度病気をして、服や雑多な荷物は処分したが、本だけは処分できなかった。これが煩悩というやつなのだろう。たまに実家の母と話すと、決まって蔵書のおはなしになる。「私が死んだらこの本は…」「いや、死ぬ前から行動に移さないと間に合わないでしょ…」というような不毛な会話がお約束のようになされる。最近では貸倉庫の話まで出てきて、いよいよ悲壮感が漂ってきた。 記憶のなかの本たちの中を漂う

《ことばのおはなし》26 しおりひものおはなし

【コラム・山口絹記】本についているひもには名前がある。あれはしおりひもというのだ。新しい本には、ひもがくるんとまるまってページに挟まっている。それをピンと伸ばして最初のページに挟むところから、おはなしは始まる。 しおりというのは、そのおはなしの中で自分がどこに立っているのか、迷子にならないための目印だ。これがあるから、安心しておはなしの中を好き勝手に歩いていられる。しおりひもがついていない本には、自分の好きなものを挟んでおけばよい。 しかし、本の外の世界にはしおりがない。だから、気を抜くと自分が今どこにいるのかすぐにわからなくなる。どこにでも置いておける、消えないしおりがあればいいのにな、と、ときどき思う。走りすぎて自分の居場所がわからなくなっても、気がついたら知らない場所にいても、怖くない。 何をしおりにしたらいいのだろう。大切な人だろうか。自分の家? よく行く喫茶店? 残念ながら違う。人も、家も、喫茶店も、いつかはカタチを変えて、無くなってしまう。それではしおりにはならない。そういうものたちは、しおりではなく、本でいったら文章だからだ。自分のおはなしに登場するものを、しおりにしたって仕方がない。 私にとってのしおりとは、何だろう。今まで過ごしたおはなしと、今現在、そしてこれから先に紡がれるおはなしのなかで、ゆるぎない目印になるもの。目に見えるものでは駄目なのかもしれない。カタチがあるものではいけないのかもしれない。

《ことばのおはなし》25 私のおはなし⑭

【コラム・山口絹記】「手術、終わったよ」。自分のことばで伝えるというのが、今の私には大切なことだ。それは、とりあえず元気だ、という証拠であり、同時にことばを失っていない、という証拠になるからだ。 自分が元気に生きているということを、一対一で伝えなければいけない人というのは実はそう多くないのだな。手術前に作った連絡リストを眺めながら、そんなことを考えた。 術後のリハビリでは―と言っても、後遺症がほとんどないため、お話するだけなのだが―ずっとお世話になっていた言語聴覚士の方が、失語について学ぶためのおすすめ書籍を教えてくれながら「山口さんのリハビリをしないで済んで、本当に良かったです」と言った。術前は話せた人が術後に話せなくなってしまうことは、当然だが、普通にあることだそうだ。 担当医の先生に抜糸をしてもらったときには、手術の難易度を定量的に教えてほしいと頼んでみた。5段階のグレードのうち、私の状態はグレード2で、グレード3になると手術するか迷う状態。グレード4以上になると手術は危険なため、基本的に放射線治療などになるらしい。 「そういうのって、普通術前に聞きませんかね?」。先生は苦笑しながら、「山口さん、割と無理する人だから、やっぱり3針縫っておきましょう。一応50針の傷ですから、かきむしったりしないでくださいよ。はがれますからね」と、もう一度頭を縫われた。 一度退院してからも、手術の影響で軽い硬膜外出血を起こしたり、短期間に2度インフルエンザで倒れたりといろいろあったものの、桜が咲くころには体調も落ち着いた。

《ことばのおはなし》24 私のおはなし⑬

【コラム・山口絹記】開頭手術は9時から始まった。手術室の前まで見送りに来た母と妻と娘に何か声をかけようとしたが、直後娘が転んで泣き出してしまった。少し迷ったが、娘をあやす妻を見ながら、手を振って手術室へ入った。 こたつのように温かい手術台の上に横たわり、麻酔を投与される。「よろしくおねがいします」と言い終わる前に気を失った。掴めそうなほど濃い闇に包まれる。水の中をとてつもない速さで移動しているように感じた。それでも抵抗はほとんど感じない。まるで自分の身体が流線型になってしまったようだ。気まぐれに差し込むビロードのようなコバルトブルーの光に、やはりここは水の中なのだと確信する。 遠くから、何かが近づいてくるのが見えた。おびただしい量の巨大で直方体の黒い柱がクジラの群れのように通り過ぎていく。私の身体は、音もなく柱の隙間を縫いながら浮上し始めた。水面から飛び出すと同時に眩しさに目を細める。 足元を見ると、妻と母と目があった。なるほど、とりあえず生きているらしい。右手をあげようとしたが動かない。覚悟はしていたことだ。何か、2人を安心させられるようなことばを探した。酸素マスクが邪魔だが話せそうだ。 「…脂っこいラーメンが食べたい」 2人は少し笑ってくれたが、言い終わらないうちに肩から頭にかけて痛みが走った。頭が痛いのは当然だが、肩の痛みもただごとではない。それも、ラーメンどころか12時間は水すら飲めないらしい。

《ことばのおはなし》23 私のおはなし⑫

【コラム・山口絹記】血管造影検査から2日後。 眠気でリハビリに集中できない。夜通し本を音読していたせいで寝不足である。2週間後に開頭手術が決まったことで、私は焦りを感じていた。というのも、手術で命を落とす可能性は低いらしいが、脳の出血している部分を摘出するため、失語や右半身の機能障害が再発する恐れがあるからだ。 明日手術です、と言われれば諦めがつくが、2週間時間があると言われると、いろいろやっておきたいと思ってしまうのが人情というものである。朝食後からノートに色々書いては悶々としていると、母からメールが届いた。「色々と考えておこうと思っているとおもいますが、窓辺で陽の光を浴びながら考えてごらん」。 やっと点滴も外れたため、メールを読み返しながら、病棟の廊下を歩いて日の差し込むベンチに座った。外はきっと寒いのだろうが、ガラス越しの日差しは優しく気持ちよかった。 欲をかけばすべて中途半端になるのは目に見えている。想定する状況は、術後2年間、失語症状と右腕の失行が続くこととしよう。それから、自分の口から今の状況を伝えたいと思う人を選定し、術前にリハビリも兼ねて会って話しておくこと。娘のために、できる限り本の朗読を録音しておくこと。自身のためのリハビリ教材の選定と作成、それを妻に託すこと。 手術は10時間近くかかることがあるというから、その間待ちぼうけになるであろう妻と母のレクリエーションも考えねばなるまい。せっかくだから長めの落語でも録音しようか。こんなときだから古典の「死神」なんてどうだろう。すんなり考えがまとまった。なるほど、陽の光というのは大切らしい。

《ことばのおはなし》22 私のおはなし⑪

【コラム・山口絹記】入院3日目。 病室には相変わらず理学療法士、作業療法士、言語聴覚士が代わる代わる訪れ、バランス感覚を調べたり、普段の生活サイクルや仕事などに関する質問に答えられるかを検査した。右半身が思ったように動かなかったり、前を見ずに横見をすると転んでしまったりといった症状はあったが、一度失語になってから、短期間でここまで話せるようになることは珍しいらしい。 話せると言っても、頭の中では一度英語で考えたことを日本語に翻訳して話しているような感覚が強く、読解力も大幅に低下していた。そもそも読解力とは何かという話だが、私は、文章を読みながら、どれだけの内容を留保できるか、ということだと思っている。 前の文章を踏まえて次の文章を予測、理解するということ。長い文章、例えば論文や小説ならば、前の段落、全体を踏まえながら読み進めなければならない。もっと言えば、今まで読んだあらゆる文章を踏まえて、目の前の文章に対する理解を深められるかが問題なのだ。 どうやら、頭の中でことばを一時的に記憶、処理しておくような能力が著しく衰えているらしく、自分で文章を書いていても、読み返してみると誤字脱字が異常に多い(救急を急救、脱字を肌字と書いていたり、送り仮名や助詞の誤りが極端に多い。単語に関しては2文字の漢字で構成されるものに誤りが多かった。“癲癇”や“鬱”などの漢字が書ける一方で、“肌”、“脳”、“臓”などの同じ部首の漢字に混同が多く見られた)。 午後には、担当医より脳血管造影検査の説明がされた。私の脳内の影の正体を探るため、腕か脚の動脈からカテーテルを入れ、脳の血管を流れる造影剤を撮影して皆で観よう、ということらしい。つまり脳版バリウム検査。シンプルな発想かつ物騒な話である。

Most Read

黄色のリュック型も選択可能に 土浦市 新1年生にランドセル贈呈

土浦市では、市立小学校や義務教育学校に入学する子どもたちのために、1976年から毎年、入学祝品としてランドセルを贈呈している。来年度から、従来の赤と黒のランドセルに、黄色のリュックサックタイプが加わり、3種類の中から選べるようになった。 従来の赤と黒のランドセルは人工皮革で、重さ約1キロであるのに対し、黄色のリュックサックタイプは850グラム。軽量化のニーズに応え、選択肢を増やした。 同市教育委員会学務課の担当者は「実際に背負い比べた子どもたちは軽いと言う。子どもにとって150グラムの差は大きいのではないか」と話す。 ファスナーを開いた状態のリュックサック=同 黄色のリュックサックタイプは、ポリエステル製。出し入れしやすいようにファスナーが大きく開き、教科書やノート類は、中のベルトで固定できる。 背中は汗をかいてもべたつきにくいメッシュ仕様。背負いひもにはランドセルと同様にフック(ナスカン)があり、防犯ブザーを付けることができる。

プライドと劣等感 《続・気軽にSOS》93

【コラム・浅井和幸】①周りを低く見る言動をする。②自分は素晴らしいという評価を周りに押し付ける。ちょっとでも悪く言うと怒りだして、①や②の言動で周りを攻撃してくる。程度の差はあれ、誰にでもある性質です。ささいなことならば、子どもっぽくてかわいいで済みますが、程度がひどく、繰り返す場合は、厄介な人で、できれば関わりたくない人ですね。 関わらずに済むのなら簡単な話ですが、それが家庭、教室、職場でいつも顔を合わす人だと大変。気を使いすぎて、抑うつ状態になって、相談室を訪れる人もいるぐらいです。 DV、児童虐待、いじめ、パワハラなど、「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望の持ち主(加害者)によって、弱者が苦しめられるという構図がしばしばあります。 「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望は、「周りの評価が気になる」という性質と、「自分は正当な評価を受けていない」という気持ちが強ければ強いほど、大きくなります。これらの性質は、つまりは劣等感だと言うことです。 パワハラ上司と付き合う方法 自分とパワハラ上司という関係で考えてみてください。「自信満々で、自分のことを責めてくる上司が、劣等感を持っているなんて信じられない。大きな声で怒鳴られて、縮こまって苦しんでいる自分の方が劣等感の塊だ」と考えますよね。

オンラインお見合い開始 いばらき出会いサポートセンター

少子化対策のカギは若者の未婚化・晩婚化対策にあるといわれる中、いばらき出会いサポートセンターは9月から、コロナ禍でもスマートフォンやパソコンでお見合いができる「オンラインお見合い」サービルを開始した。県外からも幅広く入会できるよう入会条件を緩和し会員の出会い強化に乗り出した。 同センターでは、すでに4月から新AIマッチングシステム(スマートフォン対応・AI診断機能搭載)の運用を開始し、男女の出会いと結婚を支援している。その結果、新規入会者数やお見合いの実施組数等が大幅に増加しているという。 AIマッチングシステムの特徴は、会員個人のスマートフォンやパソコンからお相手を検索したり、お見合いの申し込みが出来、価値観診断テストの結果からAIが相性の良い相手を紹介する。加えて9月からは、対面によるお見合いのほか、オンライン上でのお見合いが選択できるようになった。 入会の条件は、結婚を希望する人で、インターネットが利用できる人。 入会登録料(2年間有効)は県内在住か在勤、親が県内に在住か、あるいは県内への移住に関心がある人は1万1000円(消費税込み)。 9月からはこれらの条件以外の希望者も入会できるようになった。入会登録料は2万2000円(税込)。

コロナ禍での認知症 《くずかごの唄》94

【コラム・奥井登美子】 「コロナが心配で、心配で、朝まで眠れないんだ。睡眠薬5ミリではだめなので、今度10ミリにしてもらった」 近所に住むAさんが処方箋を持ってやってきた。ゾルビデム5ミリグラムが10ミリグラムなっている。この薬は向精神(こうせいしん)薬で、認知症を促進するデータがあるといわれている薬である。Aさんと高校時代からの同級生で仲良しのBさんに聞いてみた。 「このごろ、2人で散歩していないわね。けんかでもしたの?」 「けんかなんかしていないよ。けれど、A君このごろ、ちと、おかしい。いつもと同じ道を歩いているのに、違う道だ、なんて言うんだ」 「困るわね」