金曜日, 1月 28, 2022
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山口絹記

外国語を学ぶコツ② 《ことばのおはなし》36

【コラム・山口絹記】英語の習得に必要なものとは何か。私はこう考える。必要性+緊急性。あるいは(他者からは理解されない類の)情熱。この記事を読んでいるあなたは、誠に残念なことに、今のところ両者を持ち合わせていない可能性が非常に高い。 現実問題として我々日本に暮らす日本人は、今のところ英語ができなくとも不自由なく生きていける。おそらく「英語ができる」というのは、「ギターが弾ける」とか「料理がうまい」程度の価値なのではないだろうか。いや、もっと低いかもしれない。 それでもせっかく読んでいただくのだから、私としては後者の“情熱”というものに、かすかな明かりをつけられるような記事を書いていきたいと考えている。お付き合いいただければ幸いだ。 4つの目標を設定 まずは目標設定をしてみよう。高すぎる目標では、やる気にならないので、こういうのはいかがだろうか。 ①大まかなストーリーを知っている小説などをほぼ理解できる程度

外国語を学ぶコツ① 《ことばのおはなし》35

【コラム・山口絹記】今年になってから、本格的にドイツ語の学習を始めた。言語学を学んでいると言うと、様々な言語に明るいと思われがちだが、言語学というのは母語以外の言語を学ぶ学問ではない。私もある程度扱えるのは母語である日本語と英語、米語のみで、辞書があればある程度スペイン語を読み書き発音できる程度だ。 「またどうしてドイツ語を?」と訊かれるのだが、残念ながら自分でも理由をうまく説明できない。親の影響で小さいころから目や耳にすることが多かったから。大好きな本を原書で読みたいから。本当は学んでみたかったのに、第2外国語の履修でスペイン語に逃げたから。一度は逃げたのに何度も何度も目の前にきっかけが現れるから。 詳しく書き始めると自分語りの連載になってしまうので今は避けることにするが、私の中でwant(欲求)がwill(強い意思)になり、いつしかbe going to(決定された未来)になっていくには、多くの欲求と、やってもないのに諦めた経験が必要ということがここ数年わかってきた。経験上、もう逃げるべきでないことがわかってしまう。 こうして始めた何かは、いつか自分自身の核なるものに近づく一つの要素になっていく。 心を無にして徹底的に丸暗記

あなたの趣味は何ですか? 《ことばのおはなし》34

【コラム・山口絹記】このようなご時世だからだろうか。“趣味”というものの需要が高まっているようだ。 と言うのも、私自身が時間ができたら買おうと思っていた趣味的ニッチな商品が、ネット上で続々と売り切れているのだ。例えば、写真のフィルムをデジカメで撮影して、デジタル化する商品とか(かなりニッチな商品だと思う)。 ようは、日々の生活が今までと少し変わった結果として、お金をかけただけでは解決しないもの、時間を必要とするものの需要が伸びているらしい。きちんと調べていないので、真偽の程は定かではないが、言われてみればなるほど。納得できるおはなしである。 同時に、生活の変化をきっかけに新しい趣味をはじめてみよう、という人も多いようだ。 これも、どの程度の規模のおはなしなのかはわからないが、事実なのだろう。私自身、17歳の頃、浪人生活の開始とともに住み慣れた地を離れ、祖母と2人暮らしを始めたときから、いわゆる“趣味”というものが増えたからだ。外的要因で集団から切り離され、ひとりの時間が増えると、人間、何かを始めてみたくなるのではなかろうか。 定年退職した人が、仕事以外にやることが見つからなくて趣味を探し始めるといった、ありふれたおはなしが、世代関係なくいたるところで発生しているとすると、なかなか興味深い。

本当のこと、美しいもの 《ことばのおはなし》33

【コラム・山口絹記】少し迷ったが、今回は本当のことについて書こうと思う。我ながら、思わせぶりな書き出しだ。何かについての本当のことを語るのではない。「本当のこと」そのものついて話してみよう。 多くの人々が共通の事物に関して本当のことを知りたいと思うとき、というのが、この世界では時折訪れる。多くの人々が求めるということは、すなわちその答えに需要があるということであり、需要があるということは価値があるということだ。 これが一般的な工業製品などであれば、製造には限界があり、対象の製品が品切れや生産中止になれば価値はうなぎのぼりになったりする。 しかし、本当のことは工場で作れるものではない。ざっくり言ってしまえば、私にもあなたにも、いくらでも作ることができる「ことば」だ。規格すら存在しない。需要があり、気軽に作れるからこそ、本当のことは氾濫する。 本当のこととはなんだろうか? 真実、事実、正しい解説、正確な情報? いくらでも言い換えはできるが、この手のことばを目にしたり聞いたときには、私は一歩引いてみることにしている。なぜなら、本当のこと、だとか、真実などというものは、世の中にたくさんあるからだ。求める人が多ければ多いほど、真実が一つになる可能性は低くなる。

3月11日に家族が増えたおはなし 《ことばのおはなし》32

【コラム・山口 絹記】出産予定日を数日過ぎた深夜2時。「破水してるかも…」と言いながら、私の部屋に入ってきた妻。「いやぁ、そんな出てないかも、我慢できるくらいの痛みだし」 いやいやいや。破水してる時点で病院直行でしょう。我慢できるとかできないとか、関係ないでしょう。車のエンジンをかけ、暖房を入れ、座席シートにビニールを敷いて、寝ていた上の娘(もうすぐ6歳)に上着と靴下を装着して病院へ。 かけていたラジオから、震災から10年、みたいな話が流れてきた。 そうか。どうやら2人目の我が子は3月11日、あの日からちょうど10年のこの日に生まれるらしい。 こんなご時世なので、出産には夫といえど立ち会えず、面会も1人だけで毎日15分まで。上の娘のときはつきっきりで、妻の背中を全力で押し続け、へその緒も切らせてもらえたし、夜遅くまで病室にいられたことを考えると、ずいぶん違った世界になっていて興味深い。 すっかり目がさえてしまった娘を寝かしつけ、落ち着かない気持ちをごまかしごまかしギターをいじってみたり、狭い部屋をウロウロ歩いているうちにカラスが鳴き始め、外も明るくなってきてしまった。コーヒーをいれていると娘が目をこすりながら寝室から出てきて、無言でストーブをつける。

《遊民通信》12 神秘体験記(3)夢から生まれた救いの歌

【コラム・田口哲郎】前略 信じるも信じないもあなた次第、他人と分かち合えない神秘体験。でも、体験がひとつの歌になると、共感が生まれるのかもしれません。以心伝心、不思議な夢のお話です。6年前、カトリック碑文谷教会(東京都目黒区)でのシスター古木涼子さんの講演会に行きました。シスター古木は「イエスのカリタス修道女会」の総長で、歌うシスターとして有名です。その会で素晴らしい歌とお話を聴き感動しました。 それからひと月ほどしたある夜、私は夢を見ました。ジャズクラブ風の場所でステージにはシスター古木。グランドピアノを弾きながら歌っています。私は客席にいて良い曲に感涙を流していました。曲の内容は旅人が多くの困難を乗り越えるというもの。旅人が果てしない道に絶望し泣いていると風が吹き、気づくと羽根のついた革靴を履いている。その靴のおかげで旅人は苦しみから解放されます。 靴はまるでドラえもんの道具みたいな靴。旅人は「仕込んだわけでもないのに羽根のついた靴が与えられた」とつぶやくのです。するといろいろな人々がバックスクリーンに映し出され、泣き顔が笑顔になる。そしてみんな「この靴を履かせてもらってうれしい」と言うのです。曲に酔いしれていたら、足の痛みで私は目覚めました。足がつったのです。ケガの巧名か、歌の歌詞を覚えていたので、痛みに耐え、必死で書き留めました。 「羽根のついた靴」 果てない道にふと...

《ことばのおはなし》31 正三角形のヤギを見た

【コラム・山口 絹記】ことばの困ったところは、視覚的には思い描くことすらできないものも、描くことができてしまう点だ。 『つくば市のあらゆる大通りを、現在、正三角形のヤギの大群が歩いている。ヤギはどの角度から見ても正三角形であり、光学機器では現在のところ観測不能であることがわかっている。人間の目による計測を試みようにも、ヤギAに意識を集中すると、それに接しているはずのヤギB、C、D、E、F、Gが認識できなくなり、正確な計測ができない』 みたいな文章はいくらでも書くことができる。書けば書くほど、視覚的な情報とはかけ離れていくだろう。想像してしまった方もおられるかも知れないが、“どの角度から見ても正三角形のヤギ”は存在し得ないため、その想像は誤りだ。球体ならまだ、あり得たかも知れないが。 さて、もう一歩進んでみよう。こんなうわさがたったとする。 『観測不能なヤギを、その目で見てしまった者は、言語能力を失ってしまうらしい。話すことはおろか、文字を書くことも、文字入力を行うこともできなくなってしまうらしい』 もっとやってみよう。

《ことばのおはなし》30 「写真で語れ」と、私は教わった

【コラム・山口絹記】気がつけば、初めて自分のカメラを持ってから10年以上がたった。あのころはまだiPhoneもなくて、ケータイのカメラはあくまでオマケ。プロや写真愛好家の中では、デジタルに移行する人もいれば、デジタルカメラがいくら便利でもフィルムの画質にはかなわない。なんて話をしていたっけ。 私のメイン機材であるデジタル一眼レフは、有効画素数4,575万画素。10年前であれば、高画素になればなるほど、素子の性能が落ちるとか小難しいおはなしもあったのだけど、もうそんな弱点も克服されてしまった。 当時はNikon F3にISO100のリバーサルフィルムを入れて、50mmの単焦点レンズでシャッタースピード1/8秒まで手ブレしないで撮れるよう訓練していた。私が今使用しているレンズは手ブレ補正機能付きだ。望遠レンズでなければ1/8秒なんて片手で撮れる。 最近のカメラ談義は、ちょっとカメラが好きな方たちの間では、デジタル一眼レフとミラーレスカメラの性能比較。一般ユーザーであればスマホとデジカメの比較? いや、もうスマホで十分という感じだろうか。 プロの世界もミラーレス機が主流になっていくのだろう。どこまで行っても写真はレンズだから、スマホに取って代わられることはない。などと思っていると、ミラーレス機とスマホごと、新しい技術に横合いからぶん殴られて消え去るかも知れない。今までだってそうだった。これからだってそうだろう。

《ことばのおはなし》29 音楽とことばの限界

【コラム・山口絹記】最近、新しいアコースティックギターを購入した。もともとアコースティックギターを1本、クラシックギターを2本、エレキギターを1本持っていたのだが、現役で使っていたのはアコースティックギター、クラシックギター1本ずつだ。そのうちのアコースティックギターの調弦がどれだけ合わせても狂うようになってしまったのが、今回の購入動機である。 ギターというのは、ざっくり言うと6本の弦が張ってある楽器だ(7弦ギターとか、12弦ギターという楽器もあるが)。 日本でよく耳にするバンドや弾き語りなどでは、太い弦からEADGBE(ミラレソシミ)の音に調弦するレギュラーチューニングが使われていることが多いが、アイリッシュギター(アイルランドの伝統音楽)などでは、6弦と1弦をD(レ)の音に下げたチューニングを施すこともある。細かいおはなしを始めると終わらなくなってしまうので、今回はこのあたりにしよう。 アコースティックギター(クラシックギターも含む)というのは、木材で作られている。そのため、どれだけ高級なギターを使っていても、高温多湿な環境や、極端に乾燥した場所に放置していると、ギターが変形して音がおかしくなってしまったり、最悪壊れてしまうことがある。私のギターの場合は、ボディが膨らんでしまってチューニングが合わなくなってしまったのだ。 キラキラした音、やわらかい音、… 楽器屋に何百本と並ぶギターから自分の気に入ったギターを探すのは大変な作業である。まったくの初心者であれば、入門セットが用意されていたり、あるいは憧れのメーカーで選んだりもできるが、なまじ10年以上弾いているとそうもいかない。好きな音色、というのがあるのである。

《ことばのおはなし》27 紙の書物の存亡

【コラム・山口絹記】スマートフォン片手に本屋を徘徊(はいかい)するのは、私のいつもの休日だ。「せどり」をしているわけではない。しばらく立ち読みをして、目的の書籍たちが、紙の書物で購入すべきものか、電子書籍で購入した方がよいものかを検討する。三度の飯より読書が好きとはいえ、自宅の本棚が崩落しては面倒だ(実際この10年で本棚を2度壊している)。電子書籍で済ませられるものは済ませるに越したことはない。 電子書籍といえば、電子書籍が紙の書物を駆逐するか、という議論がされて10年以上が経つ。個人的には紙の書物が駆逐されようと、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』のような、読書という行為そのものが禁じられる世界がやってこなければよいと思ってしまう。 度重なるビブリオコースト(書物大虐殺)の後の世に、博物館のショーケースに飾られた、ボルヘスの『砂の本』、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、寿岳文章の『書物の共和国』を眺めて歩いたその午後に、伊藤計劃の『ハーモニー』のごとく「誰かが孤独になりたいとしたら、死んだメディア(紙の本)に頼るのが一番なの」とうそぶいて、紙のページをめくれるならそれはまだきっと贅沢(ぜいたく)な時間だ。 ここまで書いて、やはり紙の書物は私の身体の一部、延長なのだな、と再確認する。紙の書物の絶滅の話になると、どうも文章が感傷的になってしまう。 電子書籍は紙の書物を滅ぼすか? さて、「これがあれを滅ぼすだろう」という台詞(せりふ)は、ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』に出てくるものだ。“これ”は“書物”で、“あれ”は“建物(ノートル=ダム大聖堂)”を示している。もちろんここでの意味は本の重みが大聖堂を崩壊させる、ということではない。

《ことばのおはなし》27 本に埋もれて

【コラム・山口絹記】とある事情で短期間に2回引っ越しをした。それも、荷造りの時間的猶予も与えられない夜逃げのような引っ越しだ。このおはなしに関しては、いつかこのコラムでも書こうと思う。 さて、私は引っ越しが大嫌いである。理由は単純明快。蔵書の箱詰めや整理が苦痛なのだ。我が家にはおそらく1200冊程度の本がある。たぶん、そのくらい…ということにしておく。これでも実家から厳選して運び出した私のお気に入りの蔵書。「趣味は読書です」という一言にも、「毎週図書館に通ってます」から「一度、実家の床が抜けました」まで幅広い規模が想定されることを忘れてはならない。 実家にはおそらく1万冊程の蔵書がある。たぶん、きっと、その程度…だと思いたい。備え付けの壁一面の本棚もあるが、そのようなものはとうの昔に飽和し、虫もわかないほどに隙間がない。増えた本はなんの疑問もなく床や廊下や机やベッドの上に積まれていく。 ちなみに本というのは、背と小口で厚みが異なるため、高く積み上げると崩れる。そのため折を見て向きを変えて積み上げる必要があるのだ。大切なライフハックである。 一度病気をして、服や雑多な荷物は処分したが、本だけは処分できなかった。これが煩悩というやつなのだろう。たまに実家の母と話すと、決まって蔵書のおはなしになる。「私が死んだらこの本は…」「いや、死ぬ前から行動に移さないと間に合わないでしょ…」というような不毛な会話がお約束のようになされる。最近では貸倉庫の話まで出てきて、いよいよ悲壮感が漂ってきた。 記憶のなかの本たちの中を漂う

《ことばのおはなし》26 しおりひものおはなし

【コラム・山口絹記】本についているひもには名前がある。あれはしおりひもというのだ。新しい本には、ひもがくるんとまるまってページに挟まっている。それをピンと伸ばして最初のページに挟むところから、おはなしは始まる。 しおりというのは、そのおはなしの中で自分がどこに立っているのか、迷子にならないための目印だ。これがあるから、安心しておはなしの中を好き勝手に歩いていられる。しおりひもがついていない本には、自分の好きなものを挟んでおけばよい。 しかし、本の外の世界にはしおりがない。だから、気を抜くと自分が今どこにいるのかすぐにわからなくなる。どこにでも置いておける、消えないしおりがあればいいのにな、と、ときどき思う。走りすぎて自分の居場所がわからなくなっても、気がついたら知らない場所にいても、怖くない。 何をしおりにしたらいいのだろう。大切な人だろうか。自分の家? よく行く喫茶店? 残念ながら違う。人も、家も、喫茶店も、いつかはカタチを変えて、無くなってしまう。それではしおりにはならない。そういうものたちは、しおりではなく、本でいったら文章だからだ。自分のおはなしに登場するものを、しおりにしたって仕方がない。 私にとってのしおりとは、何だろう。今まで過ごしたおはなしと、今現在、そしてこれから先に紡がれるおはなしのなかで、ゆるぎない目印になるもの。目に見えるものでは駄目なのかもしれない。カタチがあるものではいけないのかもしれない。

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高田保の「ブラリひょうたん」 《ひょうたんの眼》44

【コラム・高橋恵一】高田保は、土浦出身の劇作家、映画監督、舞台演出家、随筆家である。旧土浦町の旧家に生まれ、子供のころから気遣いができて話も面白く、同級の者以外とも交流するなど、人望が厚かったそうだ。 旧制土浦中学(現在の土浦一高)を経て早稲田大学の英文科に進み、頻繁に銀座に現れるなど生活を謳歌(おうか)したという。中学の入学試験はトップだったが、2位には阿見町出身の下村千秋がおり、その後、2人とも文筆の道に進んだ。 保は、大学在学中から新劇運動に参加。戯曲に取り組んだり、劇団の脚色、演出、小説の執筆など、幅広い分野で活動。人柄もあって幅広い付き合いがあった。 東京日日新聞(現・毎日新聞)の学芸部長だった阿部真之助から、菊池寛を顧問とした学芸部社友に、大宅壮一、横光利一,吉屋信子らとともに招かれ、活躍。彼らの文章を評して、「マクラの阿部真之助、サワリの大宅壮一、オチの高田保」と言われたこともあるという。 戦時中から体調を壊し、大磯(神奈川)に住まいを移し、晩年は、同じ大磯の志賀直哉の旧居に住んだ。 戦後、1951年の12月から、東京日日に、1日1文「あとさき雑話」を書き始め、新年からは表題を「ブラリひょうたん」に改めた。なぜ、ブラリなのか? なぜ、ひょうたんなのか?...

内臓脂肪に機能性成分 農研機構開発ミールセット、3月発売へ

超高齢社会に向け、健康維持に配慮した食事を摂ってもらいたいと農研機構(NARO、つくば市)の設計したミールセットが近く、売り出される。26日、お披露目されたのは「NARO Style PLUS(ナロスタイルプラス)」。特に内臓脂肪の低減が期待される献立になっている。 ミールセットは50%もち麦ごはん、おかず4種類、緑茶粉末から構成される。β-グルカンを含むもち麦「キラリモチ」、カテキン豊富なお茶「べにふうき」など機能性成分を盛り込んで10メニューを用意した。 機能性表示食品制度の始まった2015年から、農研機構はその科学的根拠を確認する研究を推進してきた。陣頭指揮に当たったのが食品研究部門の山本万里エグゼクティブリサーチャーで、機能性成分を多く含む農産物を使用した弁当メニューの「NARO Style」を設計。18年からは肥満傾向にある被験者を対象にヒト介入試験を行い、平日の日中1食を一定期間継続して食べることで、内臓脂肪面積の減少が認められたと報告した。特に女性がもち⻨ごはんを摂取すると、他の機能性農産物より顕著に内臓脂肪が低下した結果が得られたという。 ヒト介入試験(2017)の結果 試験開始内臓脂肪面積が100〜127㎠の被験者や女性被験者が50%もち麦ごはんを摂取すると、他の機能性農産物群より顕著に内臓脂肪面積が低下した=農研機構提供 今回の「- PLUS」は製造、販売にフローウィング(本社・兵庫県姫路市)の参画を得て、量産体制を整えた。献立は、おかずを弁当の3種類から4種類に増やした。酢鶏などをメーンに豆類を素材とした副菜を追加している。管理栄養士によれば、10メニュー平均で1食当たり584キロカロリー、たんぱく質28グラム、脂質17グラムと栄養バランスを整えた。食塩相当量は1.35グラム、通常販売されているお弁当の約2.5グラムと比べ大幅な低塩分を実現した。

関東にも降灰の影響 巨大噴火火砕流の分布図公開 産総研

南太平洋の島国、トンガで起きた海底火山の噴火で津波が日本まで押し寄せ、大規模噴火の影響が広範囲に及ぶことを示した。日本には過去10万年でトンガの噴火の100~10000倍もの爆発を起こした火山が数多く存在する。それらの巨大噴火により火砕流がどれくらい広がったのかを示す図が「大規模火砕流分布図」として産総研活断層・火山研究部門(つくば市東)からシリーズで刊行されることになり、第1号として約3万年前の姶良(あいら)カルデラ(鹿児島)の巨大噴火により噴出した入戸(いと)火砕流の分布図が25日に公開された。 姶良カルデラの巨大噴火は火山爆発指数7で、トンガの噴火の約100倍(体積比)も大きかった(上図)。シリーズ刊行に当たり新たなボーリング試料や海底での火砕流分布のシミュレーション結果も検討した結果、入戸火砕流と火山灰の総噴出量800〜900立方キロメートルであることが明らかとなった。これは従来の推定値より約1.5倍大きい。図幅では火砕流に伴う降灰分布も示しており、関東地方では10センチ程度積もったと推定されている。 関東地方では姶良カルデラ以外にも、巨大噴火による火山灰が積もっている(下図)。 関東地方に降灰をもたらした噴火と推定降下範囲。ピンク色が入戸火砕流にともなう姶良Tn火山灰、緑色が阿蘇4火砕流に伴う火山灰、青色が鬼界カルデラ起源の幸屋火砕流にともなうアカホヤ火山灰、オレンジ色が阿多火砕流に伴う火山灰の分布=同 姶良カルデラは約3万年前の噴火しか確認されていないが、鬼界カルデラ(鹿児島)は約7000年前と約9万5000年前の2回、阿多カルデラ(鹿児島)は約10万年前と約24万年前の2回、阿蘇カルデラ(熊本)は約27万年前、約14万年前、約13万年前、約9万年前の4回の巨大噴火が確認されており、いずれも火山爆発指数は7、約9万年前の阿蘇カルデラの噴火の火山爆発指数は8と推定されている。これらの火山についても順次、大規模火砕流分布図が公開される予定で、関東地方に具体的にどれくらい降灰があったかについても最新の知見が公開される。 下司信夫研究グループ長は「降下火山灰の対策については難しいところがあるが、どうやって除去するかが大きな課題になる」としている。(如月啓)

洞峰公園の薔薇とイギリス文化の香り《遊民通信》33

【コラム・田口哲郎】前略 初夏のころ、つくば市にある洞峰公園のプール棟前には薔薇(バラ)の花が溢(あふ)れます。ローズガーデンさながらの種類と本数です。この薔薇園を特に入場料を払わずに鑑賞できるのは、とてもありがたいと思います。色とりどり、鮮やかさなど、さまざま楽しめるのはもちろん、香りがとてもよいのです。あまり強くなく、かすかですが、ふわっと心地よく、非日常に連れていってくれるような匂い。デパートに売っている高級な香水を思わせます。 さて、私は夢中で写真を撮ったのですが、ある写真を見返して思わずつぶやきました。「こりゃ、イングリッシュだな」と。マリーナという品種が、プール棟のレンガ風外壁とガラス屋根を背景に濃いオレンジ色に咲きほこっています。 西洋の伝統を感じさせるレンガと近代を物語るガラスに薔薇とくれば、水戸偕楽園の好文亭に梅林といったおもむき。イングリッシュの本体もそばにありました。クィーン・エリザベス。「われらが女王陛下のために」と、どこかで聞いたことがある言葉が思い浮かぶほど、その薔薇は我こそ薔薇なりと言わんばかりに堂々と咲いていました。 クィーン・エリザベスで思い浮かんだ言葉は、シャーロック・ホームズのセリフだった気がします。19世紀、大英帝国華やかなりし時代の物語です。シャーロックは犯罪者を推理のすえ、いよいよ追いつめようと、相棒のワトスン君とベーカー街の部屋を飛び出すときにそう言います。そういえば、NHK BSでイギリスのグラナダテレビジョン制作の「シャーロック・ホームズの冒険」が絶賛再放送中です。