金曜日, 10月 30, 2020
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常陽新聞 廃刊 -検索結果

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「常陽新聞がなくなり市民が失ったもの」 茨城大生が土浦シンポで問いかけ 

【崎山勝功】メディア論の村上信夫茨城大学人文社会学部教授が指導するゼミ主催のシンポジウムが25日、土浦市の亀城プラザで開かれた。土浦・つくばを本拠に活動した地域紙「常陽新聞」が2017年3月に事実上の廃刊をしてから3年を迎えるのを前に、「新聞廃刊のインパクト―常陽新聞がなくなり市民が失ったもの」を掲げての開催で、市民や報道関係者ら約40人が参加した。 集会の第1部では、学生たちが紙面を読み、読者らへの聞き取りを通じ行った調査研究が発表された。地域紙が廃刊することで報道の監視が及ばないエリアが生じることを「取材空白カテゴリー」と定義した上で、同紙が手厚く報じていた土浦など県南地域の①市政②事件事故③街ネタ-の3分野を中心に検証した。 市政では、地域紙の機能の一つに、全国紙や県紙があまり取り上げない市政の問題を取り上げる「報道機能補完」があるが、同紙廃刊で「市政の問題を市民が知る機会が減ったと考えられる」と言及した。 事件事故では、同紙では窃盗事件などの軽微な事件事故の記事が多い特徴を踏まえ「市民への注意喚起や犯罪の抑制効果につながると考えられる」と指摘した。 街ネタでは、土浦市立真鍋小のお花見集会や土浦駅前ハロウィンイベントなどを例に挙げ「地域のコミュニティー形成の要だった」と結論づけた。 「取材空白域」の出現を危惧 第2部のパネル討論では、朝日新聞東京本社編集局の伊藤宏地域報道部長代理が、水戸総局長時代に発生した八千代町での選挙違反事件に触れ、同社記者の取材に八千代町議経験者が「警察に呼ばれることは無かった。マスコミも取材に来ることも無く怖くなかった」と話し、茨城県内にも報道機関の監視の目が届かない「取材空白域」が出現している現状を明かした。 集会後取材に応じた村上教授は、常陽新聞廃刊をテーマに取り上げた理由を、地元の新聞廃刊を学問的に取り上げる必要を感じていたところに、昨年のゼミ生が「常陽新聞廃刊をテーマに卒業論文を書きたい」と申し出たのがきっかけに始まった。村上教授は、複数の常陽新聞関係者から「論文にしてもらえないか」という申し入れがあったと言い、今後も研究を続ける可能性を示唆した。 同ゼミ所属の3年生、久保葵さん(21)によると、19年5月ごろからテーマを決めて、同年6月から今年1月まで常陽新聞関係者5人を含む計32人にヒアリングを実施したという。久保さんは、常陽新聞廃刊により行政監視機能や防犯機能、地域コミュニティー形成機能が失われる危機感を研究発表で提示した上で、「新聞が無くなって本当に困らなかったのか、訴えたくて土浦でシンポジウムをした」と語った。 ➡常陽新聞廃刊に関わる過去記事はこちら

《土着通信部》25 常陽新聞アーカイブスの「墓守」

【コラム・相沢冬樹】なにゆえ90年前にさかのぼる土浦の新聞の話(本コラム23)を持ち出したかというと、2013年8月に廃刊となった日刊紙、常陽新聞のことを調べていたからだ。同紙の前身である「豆日刊土浦」は1948(昭和23)年11月1日に創刊されているから、存命ならばちょうど70歳の「古稀」に当たっていた。 なので、昔の記者仲間らに「同窓会」を催そうと呼びかけ、名簿整理などに着手したのが1年前、100人を超す名前が集まったが、連絡を取ると色よい返事はない。故人となったものも多く、この1年の間にも分かっただけで3人が鬼籍に入った。境遇はさまざまで、「死んだ子の年を数えるようなもの」という者の真情も分からないではなかった。 僕はといえば、「墓守」のような場所にいる。なぜか今の職場には、同紙のバックナンバーが金文字で銘の入った分厚いファイルに綴じられて百冊以上、書架に収まっている。同紙がまだ、「茨城日報」といっていた時代の1950(昭和25)年5月1日号に始まり、昭和30年代、40年代が抜けているものの、2007年3月30日号まである。 夕刊紙でタブロイド判だったという「豆日刊―」の創刊第1号は欠けている。紙齢でいうと353号から1953年末の1556号までの後、1972年の8330号にかけて空白があり、以降は2007年3月末の2万602号までがそろう。廃刊は2万2885号だったから、全号の約6割を読むことができる。マイクロフィルム化された同紙は土浦市立図書館で閲覧できるが、その初期の原典はこのバックナンバーに拠っている。 このアーカイブスのなかで仕事をするうち、僕は廃刊で散逸してしまった新聞社発行の書籍の収集も始めて、小冊子サイズの社史(1975年版)なども入手した。それらから、「豆日刊―」はのち「土浦新報」から「茨城日報」と改題、「茨城みやこ新聞」の合併により、初めて「常陽新聞」の名が世に出たのは1950年8月8日だと知った。 GHQ下、新興紙が続々創刊 戦前の日本は都道府県ごとに地方紙が占有する「一県一紙」体制であったが、戦後の民主化を進める連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は新聞及出版用紙割当委員会を設けた。新興紙に対して申請に応じて一律に用紙を割り当てたため、新興紙の創刊ラッシュを招いた。これは用紙の不足から一年足らずで打ち切られたが、その間180の新聞社に用紙が割り当てられ、約400社がふるい落とされた。かくして新聞紙は「権益」となった。貴重品で換金性まであった「紙」の横流し・闇取引の利権市場が各地に生まれたのである。 当時の新聞は、紙や燃料を持ってきた者、あるいは記事を書いたり広告を取ってきた者に、刷り上がった新聞を現物支給するスタイルだった。内外の情報、あるいは活字そのものに飢えていた地方の読者やスポンサーに、各自「紙」を売りさばいて生業とした。そんなビジネスモデルだった。 人口3万人台だった土浦でも、新聞発行は「雨後の竹の子状態」となり、なかで1紙だけ残ったのが常陽新聞だった。土浦・つくばの地域政策、霞ケ浦の水質問題などに健筆を揮(ふる)ったが、2度の経営破綻を経て、65年目に力尽きた。2013年の廃刊なら、戦後創刊の地方紙のなかでは命脈を永らえた方である。そして、新聞の世紀が終わろうとしている。(ブロガー)

《吾妻カガミ》73 NEWSつくばがまた全国紙の話題に

【コラム・坂本栄】本ニュースサイトが1月27日の毎日新聞(4頁オピニオン・メディア欄)で取り上げられました。全国紙の全国欄で話題になったのは朝日新聞(2019年7月13日33頁メディアタイムズ欄)に続いて2回目になります。ネットを使って非営利のNPOが地域ニュースを発信する本サイトの運営モデルが注目されています。 地域メディアの生き残りモデル 詳しくは毎日紙を読んでいただくとして、記事は紙面の半分を占める大きな扱いでした。見出しは「地域報道を担う NPOメディア=厳しい新聞業界 日米の動き=」です。「大学と連携、オンライン」で地域ニュースを伝える茨城県つくばのNEWSつくばと、「データ分析し、調査報道」をしている加州サンディエゴの「アイニューソース」が紹介されています。 「インターネットの普及や広告収入の落ち込みなどで、新聞業界は厳しい時代を迎えている」なか、長野宏美記者は、地域紙の元記者が大学キャンパス内にNPOメディアを立ち上げたという共通性に注目、本サイトと米メディアの活動を伝えています。私と鈴木宏子デスク兼記者が取材を受けました。 半年前の朝日紙は「地域紙 生き残りへの選択」という見出しでした。「ネットで復活 権力監視」をするNEWSつくばと、「発想(を)転換 政治(記事)は排除」する上越タイムス(新潟県)の比較です。記事のポイントについては「NEWSつくばに全国紙が注目」(2019年8月5日掲載)をご覧ください。 要は、朝日は地域紙の生き残り策の違いに、毎日は共通性に、それぞれ注目しているわけです。小さな取材組織の取り組みが大手紙に取材される―面白い時代になったものです。 非営利・ネットはひとつの「解」 本サイトは常陽新聞の「残党記者」が立ち上げたメディアですが、1月25日、茨城大学生による「新聞廃刊のインパクト―常陽新聞がなくなり市民が失ったもの」という題のシンポジウムが開かれました。この研究発表・討論会には私も招かれ、地域紙の苦労とネットメディアの可能性について話しました。 研究や討論内容については、本サイトの記事「茨大生が土浦シンポで問いかけ」(1月26日掲載)にまとめられています。前半で毎日と朝日の記事を紹介したついでに、以下、全国紙と茨大生の質問への回答の要点を記しておきます。 地域紙の盛衰はその地方の盛衰に左右されます。常陽紙の主マーケットであった土浦は、モータリゼーションによって商都としての役割が低下、地域紙を支える力を失いました。代替マーケットとして新都つくばがありましたが、多くの市民の目は首都に向かい、地域への関心はあまり強くありませんでした。 こういった地域の変容と特性以上に、インターネットという新メディア(情報伝達ツール)の登場が決定的でした。印刷機に頼るペーパーと使い勝手が格段に優れたネットでは勝負になりません。つまり、商業ベースの新聞は市場の変化と技術の進歩に振り回されたということです。 でも、地域の健全な発展のために、メディアが持つ社会的機能(税金使途監視、生活情報提供)は必要です。非営利(組織の運営方法)、ネット(使用する伝達ツール)、行政監視(編集方針のひとつ)を組み合わせた本サイトは、地域メディアの「解」モデルになることを模索しています。(NEWSつくば理事長) ➡坂本栄の過去のコラムはこちら

《猫と暮らせば》6 新聞はいらない 新聞紙はほしい

【コラム・橋立多美】当サイトの前身は地域紙「常陽新聞」。多くの地方紙同様、インターネットの普及で購読者と広告料が見込めず、昨年春に休刊した。新聞社の片隅にいた者として、最近ショックを受けたのは通販サイトで「印刷されていない新聞紙」が売られていることだ。そこには「引越しや荷造りの包装材、緩衝材、すき間埋め材として最適」のうたい文句が添えられている。 購入した人のレビュー(評価)を読むと、鳥かごや小動物のゲージの敷物や幼児の落書き用に便利、新聞をとっていない我が家の必需品、かばんや靴などの型くずれ防止に使っているなど好評だ。極め付きは「字だと(印刷されていると)うるさくて生活感がでる」だ。 価格は新聞1カ月分に相当する10㌔で2000円、5㌔は1500円。東京新聞統合版なら1カ月2623円で、600円上乗せすれば情報が入手できる。が、英字新聞ならおしゃれだが日本語の新聞はダサいということだろう。 そこには新聞は生活に必要な情報源という意識は欠落している。また読み終えた古新聞は弁当箱を包む、湿らせてちぎって床にまいて掃く、水を含ませて窓や鏡の掃除に使うといった先人たちの知恵も消え去ったと思われる。 「NEWSつくば」が卒論のテーマ! これほどまでに市井の人々から見放された新聞の購読部数を調べた。日本新聞協会によると、2000年の1世帯当たりの新聞購読部数は1.13部だったが、17年には0.75部と大きく落ち込んでいる。しかし、1世帯当たり0.75部の新聞を購読しているとする同協会のデータは信用できない。 40世帯の集合住宅に住んでいるが、朝刊は10軒に配達されるだけで、郵便受けに投函された夕刊を見たことはない。多分、新聞社が販売店に実際の宅配部数以上の新聞を押しつけて買い取らせる「押し紙」を含んでいると予想でき、実配部数は新聞協会が公表している部数より低いと考えられる。 常陽新聞が倒れ「地域情報の灯を消したくない」と、わずかな資金で多くの人に情報が届く道を探してたどり着いた「NEWSつくば」。相次ぐ地方紙の廃刊と私たちの取り組みが卒論の格好の題材になったようで、このところ武蔵大や茨城大の学生たちが取材に訪れる。彼らこそ紙媒体よりスマホで情報を得ているのでは、と逆取材したくなる気持ちを抑えて対応している。いずれにしろ、彼らのデジタルな感性で現状をどう捉えるか楽しみだ。 情報をめぐる地殻変動の時代の中で、当サイトはスタートから1年を迎えた。これからが正念場なのだろう。(ライター)

《邑から日本を見る》9 『邑から日本を見る』という本

【コラム・先﨑千尋】この『NEWSつくば』は紙媒体の『常陽新聞』を受け継いでいる。その『常陽新聞』(つくば市)は昨年3月に休刊(実質廃刊か)になった。私はそこに「ムラから日本を見る」というコラムを月に2回書いてきた。土浦時代の『常陽新聞』には「先﨑千尋のオピニオン」があった。 私が『常陽新聞』とかかわりを持ったのは1976年だから、もう40年を超す。私の人生の半分以上だ。当時「30代」という企画記事があり、私は農協職員でありながら地元の瓜連町議に当選し、二足のわらじを履くことになったのが面白いということだった。この時の記事の見出しは「農本主義つらぬく 現場から築く農協運動」だった。 その後、農業、農政、農協などについての寄稿を求められ、「視点」そして「先﨑千尋のオピニオン」の連載となった。気が付いたら、40年余の間に書いた原稿は200本を超えていた。最後のころは1回の分量は2,000字近い。これを組み直すと1冊には収まらない。 そこで、紙面をそのまま製版し、発表時の雰囲気がわかるスタイルにすることを思いついた。写真もそのままだ。掲載順に並べるのでは面白くないので、関連する記事をまとめ、12に章立てした。「政治にモノ申す」、「EPA TPPと日本」、「原発を止めよう」、「環境とくらし」、「地域農業をどうする」、「茨城を元気に」、「滅びを待つ農協」、「ムラで生きる」、「食は文化 食こそ文化」、「干しいもという文化」、「先輩、仲間を送る」、「本と人との出会い」がそれだ。 農業をベースに、身近な話題やわが国の動きなどその時々に思いついたこと、多くの人に訴えたいことなどを率直に書いてきた。 さらに、私がこれまで書いてきた1,100余の単行本や論文、評論、書評などを著述目録として発行順に並べた。私は日ごろ日記を書かないが、『常陽新聞』の記事と著述目録を見れば、いつどこでどんなことをしてきたのか、何を考えていたのかがわかる。いわば自叙伝である。 本書の巻頭を飾ったのは、市川紀行元美浦村長の「先﨑千尋断章」という詩と村上達也前東海村長の「『先﨑ちひろ』について」という序文。これを見て、2人とも私のことをよく観察してくれていると思った。 私がモノを書く時の師は、茨城にゆかりのある須田禎一と秋田県横手市で101歳まで「生涯ジャーナリスト」だった、むのたけじだ。書くことによって自分の立ち位置をはっきりさせ、そこから退かないという決意を示す。もちろん、自分の全体重をかけて書く。後進県と言われてきた茨城の地にあって、1人の男がこういう生き方をしてきたのかという読み方をしていただければありがたい。(元瓜連町長) 『邑から日本を見る-先﨑千尋の「常陽新聞」全記録』の発行所はSTEP(つくば市松代4-21-2-2-101 電話029-858-0376)

《吾妻カガミ》13 地域新聞の経営モデル

早大政経・土屋ゼミ・インタビュー13  日刊紙<無料紙 坂本:話が逸れました。常陽新聞の方に戻ります。社長を引き受けたものの、ネットの普及によって、全国紙も地方紙も、日刊紙の将来性はないと思っていました。それなのにどうして引き受けたのかと思うでしょう。私の経営方針は、日刊紙は続けるものの、儲からないから、フリーペーパー(無料紙)を収益の柱にする―というものでした。 斎藤:そのビジネスモデル、もう少し詳しく。 坂本:東京には、地下鉄駅にスタンド置きのフリー紙がありますが、地方では全国紙への折り込み―チラシと同じように―がデリバリーの主な手段になっています。 常陽新聞は県南を対象にしたフリー紙を出していたので、その内容・頁数を充実・拡大させながら、水戸市で出していたフリー紙も強化しました。2004年のつくばエクスプレス(TX)開通に合わせ、沿線を対象とする3つ目のフリー紙も発行しました。 リーマンショック 有料日刊紙の赤字をフリー紙の黒字で埋め、地域のために日刊紙を維持する―というのがビジネスモデルでした。もちろん、日刊紙のブランドがフリー紙の信用にもつながるという、相乗効果も意識しました。社長就任後、新聞業界紙の取材にも、日刊紙中心でなくフリー紙中心でと話していました。 ところが、ミニバブル―時事を辞めた03年を底に株価は回復プロセスに入りました―を想定した経営モデルは、08年のリーマンショックで崩れました。フリー紙は100%広告収入で成り立っていますから、リーマンで景気が悪化、広告はあっという間に蒸発しました。 フリー紙は、ミニバブルを追い風に、マンションなど不動産広告、ショッピングセンターなど小売店広告が主な収入源でしたから、それは最悪でした。 私は、経済は2~3年ダメだなと思い―実際は5年も続きましたが―、フリー紙のうち県南版だけ残し、水戸版は廃刊、TX版は投資分を回収して転売しました。フリー紙中心モデルは困難と判断したわけです。 旧社破綻→新創刊 藤本:常陽新聞の破綻と再発行に至る経緯は。 坂本:一連の再生シナリオを描いて、社長を辞任、地域の有力者に後をお願いしました。でも継続性というものがありますから、2年は会長として残りました。そのあと顧問に退き、経営の第一線から離れました。 ただ、地域の名士の方々、約100人―社長さん、理事長さん、市長さん、議員さん―を会員とする「常陽懇話会」の主宰は続け、月1回、東京の評論家とか地元の有力者を呼んで講演してもらいました。 ところが13年夏、2代あとの社長がついにギブアップ、破産処理をして、新聞社の歴史は終わりました。そこまで悪くなっているとは私も知らず、ビックリでした。日刊紙の読者は減り、フリー紙も不振ということもあり、仕方ないでしょう。 店仕舞から1ヶ月経ったころ、ソフトバンクに10年おられた理系の方が、エリアをつくば市と土浦市に絞り込んで、タブロイド版日刊紙をやりたい、ついては「常陽新聞」の題字を使いたい、と言ってきました。 止めておいた方がいいと言ったのですが、是非にということで、制作、印刷、配送など、会社立ち上げについて助言しました。別の世界にいた方が新聞をやりたいということで、常識にとらわれない経営も面白いかな、と思いました。 その「常陽新聞株式会社」―私が社長をしていたのは「常陽新聞新社」―は、14年2月、常陽新聞を「新創刊」しました。少し協力しなければと、月2回、地域名士へのインタビュー記事を寄稿していますから、記者現役です。(編注:復刊された「常陽新聞」は17年3月末休刊。土屋ゼミ・インタビュー時点では発行中)(続く) (インタビュー主担当:藤本耕輔 副担当:齋藤周也、日時:2015年12月4日、場所:東京都新宿区・早稲田キャンパス) 【NEWSつくば理事長・坂本栄】  

ライター紹介

編集部・ライター NEWSつくばのライターは以下の通りです。 鈴木宏子 元常陽新聞記者 3年半で2回、勤めていた常陽新聞の休刊を経験しました。理不尽としか言いようがない体験でした。不運にもめげす、元同僚たちと新しい地域メディアを立ち上げました。常陽新聞は大切な地域資源の一つなのに、経営上の判断だけでなくなってしまうのは悔しい、他のやり方はなかったのかを探りたかったからです。 折しも米国では、IT技術の進展や格差拡大を背景に地方紙が次々と廃刊に見舞われる中、元記者らが調査報道機関を立ち上げるなど新しい時代を切り開いていました。日本国内でも各地で新しいウェブメディアが次々と誕生しています。 スタートとして私たちは、わずかな資金ででき、たくさんの人に読んでもらえるウェブメディアを立ち上げました。ボランティアで取材し、地域で何が起きているのかを拾い上げ、発信していきます。高齢化、人口減少、格差拡大など地域はさまざまな問題にあふれています。地域の課題について皆で議論し解決方法を考える場となり、人と人が結びつき力を合わせて新しい何かを生み出す場となって、地域メディアに何ができるか、可能性を探りたいと思います。 将来は市民記者を育成し、たくさんの市民が自ら発信する場となることを願っています。日刊紙の発行は無理でも、月1回や週1回、地区ごとに地域の課題と向き合う新聞を発行したり、政治家や市民が顔を合わせて議論し新しい政策を生み出す政治カフェをつくったり、70年の歴史がある常陽新聞のアーカイブをつくろうという構想もあります。焦らず一歩一歩積み上げていきます。 NEWSつくばの創設にあたって、元同僚たちとは、休刊直後の今年4月から毎週1回、勉強会や準備を重ねてきました。筑波学院大学の支援ほか、多くの元読者の方々の励ましがありました。支援を約束してくださった実業家の方もおりました。感謝に堪えません。 【すずき・ひろこ】1963年生まれ。水戸市出身。常陽新聞記者としてごみ焼却場のダイオキシン問題、東海村JCO臨界事故の周辺住民の中性子被ばく問題、つくば市の回らない風車問題などを取材。2013年8月と17年3月の常陽新聞休刊を経験した。 ➡鈴木宏子記者の過去記事はこちら 橋立多美 元常陽新聞記者  美しく凛とした言葉を紡いだ詩人・茨木のり子(1926-2006)が好きだ。中でも「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と綴った『自分の感受性くらい』に背中をどやされた気がした。 縁あって元常陽新聞を経てNEWSつくばに在籍しているが、メディアの片隅にいる者として地域住民が共感してくれる社会の壁を提示できるか、に思い悩む。壁を明らかにするのは自分の感性のみで教科書もノウハウもない。ただ『自分の感受性くらい』が元気づけてくれる。 また地域住民の生活を潤し、「心の杖」となる記事を発信していきたいと思う。 ➡橋立多美記者の過去記事はこちら 田中めぐみ あてどない散歩が心地よく野菜の直売所めぐりも楽しい、そんな茨城が大好きです。好きなことは料理、ヨガ、古典を読むこと、デジタルイラストを描くこと。スキューバダイビングのライセンスを持っていて時々潜りに行きます。地方行政、教育、医療、労働問題などに興味があります。 ➡田中めぐみ記者の過去記事はこちら 戸田さつき 元常陽新聞記者 茨城県土浦市生まれ。東洋大学経営学部卒業。民間研究所、製薬会社などで品質試験に従事。常陽新聞記者、広告代理店広告サイト管理を経て犬用具製造販売で起業。プライベートではペット地域サイト「てくてくつくば」を運営(今は活動停止中)。39歳、夫と犬2匹と暮らす。2017年第3回全国創業スクール選手権ベスト8。第1回とりでビジネスプランコンテスト最優秀賞。 ➡戸田さつき記者の過去記事はこちら 崎山勝功 元常陽新聞記者 18歳の頃に流通経済大学進学のため単身で茨城県龍ケ崎市に来て以来、20年以上に渡って同市在住。30歳で常陽新聞記者職に就いて以来、「市民の声、市民の目線」を大切に県南地域を中心に記事を書いてきた。 常陽新聞新社時代は連載企画「おれたち働きたいんだ ルポ・年越し派遣村」や布川事件再審をはじめ、選挙や市政などを担当。 常陽新聞(株)では「ご当地メシ決定戦2014」に出場した龍ケ崎コロッケの全国優勝や、土浦市の心臓病男児への心臓移植募金活動を取材したほか、警察、裁判所、スポーツなど幅広く担当。 【さきやま・かつのり】1976年岩手県宮古市生まれ。岩手県立宮古高校、流通経済大学卒業後、広告代理店社員、無料情報誌編集部員などを経て、2007年常陽新聞新社(当時)に契約社員として入社。08年報道部記者として正社員登用。13年常陽新聞株式会社の創立に参加し、17年3月まで編集制作局記者として活躍。現在は「週刊金曜日」「よみうりMOVEダイジェスト」などに寄稿。 ➡崎山勝功記者の過去記事はこちら 伊達康 中学軟式野球部出身で学生野球は大学まで経験。社会人軟式野球を引退後はプレーする側から見る側へ転身し、精力的に球場へ足を運んでいる。好きなカテゴリーは高校野球と中学野球。雑誌「野球太郎」や高校野球ドットコムなどに寄稿している。 ➡伊達康記者の過去記事はこちら 伊藤悦子 神戸市生まれ、東京育ち。麻布大学獣医学部環境畜産学科(現:動物応用科学科)卒。縁あって都内から茨城県土浦市に茶トラ猫と共に引っ越してきました。たくさんの人に出会い、そして「読んでよかった」と心に残る記事を書いていきたいと思っています。 音楽が大好きで土浦・つくば・守谷周辺と都内でバンド活動をしています。担当はキーボード。普段はペットのことを中心に執筆するライターです。俳人「水田悦子」としても活動中。食べることと飲むことと散歩が趣味。 ➡伊藤悦子記者の過去記事はこちら 鈴木萬里子 元常陽新聞記者 常陽新聞では主に文化面を担当していました。各ギャラリーでの展覧会や音楽会は私にとって趣味の範ちゅうである上に、重圧はあるものの取材する特典まで与えられた至福の時間でもありました。新聞が休刊した後に訪れたそれらの催事は、取材から解放されこそすれ物足りなさも感じていました。今回NEWSつくばの発足に加わり、私の興味ある分野を再び取材できる!と今は少々興奮気味でいます。 私は子どもの頃からの活字オタクで目の病気をするまで年間300冊は本を読んでいましたし、今でも活字を読まないと落ち着きません。なのに息子は活字を読んだのは受験の時だけ、二児の父親となった今でも本は読まず新聞購読もしていません。情報は全てネットから得ているようです。これが息子を含め今の若い人の平均的な姿なのだと思います。情報発信の媒体は紙からネットに変わるのも時代のすう勢なのだと感じています。ページをめくる楽しさは手軽に読める電子媒体に替わったけれど、情報を発信する側の熱意は変わりません。これからも熱く、でも冷静に取材し発信していきたいと思います。 ➡鈴木萬里子記者の過去記事はこちら 米内隆 元常陽新聞編集委員 元朝日新聞記者 全国紙、地方紙、地域紙で通算35年間、記者や編集者をしてきました。紙の世界しか知りませんが、媒体は違っても、記者としてニュースを掘り起こし、記事にして発信する作業自体は変わらないと思います。初めからうまくいくとは毛頭、考えていません。大事なのは、ニュースを発信したいと思う人たちがいて、実際に発信する環境を整え、発信していくこと。拙速であっても、まず始めていきたい、という他の記者たちと意を同じくしました。 岩手県盛岡市出身。これまで、岩手県北上市→青森県八戸市→福島県福島市→岩手県東磐井郡大東町→宮城県仙台市→岩手県一関市→茨城県水戸市→静岡県浜松市→秋田県能代市→東京都府中市→千葉県浦安市→富山県富山市→茨城県水戸市(2回目)→千葉県浦安市(2回目)→北海道札幌市→東京都江東区→茨城県つくば市で暮らしてきました。茨城県には深い愛着があります。八戸市では十勝沖地震(震度5)、仙台市では宮城県沖地震(同)を体験しました。 子どものころからの憧れだったバスを運転したい、という思いから最上級の大型自動車第二種運転免許を取得すべく、土浦自動車学校をこのほど卒業しました。 いつか運転の仕事をしたいとひそかに夢見る57歳です。(よない・たかし) ➡米内隆記者の過去記事はこちら 梅山鉄平 あちこちで新聞記者を続けて10年以上。かつて新人だった僕を温かく迎えてくれたのが茨城県。不思議な縁で再び携わることができ、うれしいです。普段は都内で仕事をしているので、取材は土日が中心。都民の目線から、魅力を再発見してもらえるような記事を書きたいなあと模索中。ふらっとアポなしで出没することが多いですが、温かく対応いただけるとうれしいです。読者の皆様の反応も踏まえながら、一緒に面白い地域メディアを作れたらなあと思っています。 大阪出身でユーモアを交えた会話が大好き。得意ジャンルは酒、旅行、温泉、自転車、野球、教育など。好奇心旺盛で世の中のあらゆる事象に興味があり、あれこれ考えるのが好きです。 <!-- 谷島英里子 スタッフライター 常陽新聞記者を経て、NEWSつくばスタッフライターとして活動中。インターネット放送Vチャンネルいばらき「NEWSつくばチャンネル」キャスター、ラヂオつくば「つくばYou've got 84.2(発信chu)!」NEWSつくばのコーナーを担当しています。土浦市にある神立商工振興会に所属し、常任理事として神立の活性化に務めています。 フリーでは、不動産会社の広報のほか、フリーペーパーや企業パンフレットでの人物紹介記事。また、飲食商品説明の文章作成などを行っています。好きなことは音楽、詞を書くこと、ハローキティグッズ集め。20代、茨城県出身。 ➡谷島英里子記者の過去記事はこちら -->

NEWSつくばとは

NEWSつくばは、筑波学院大学を拠点にウェブでニュースを発信するつくば・土浦の地域メディアです。経営難により2017年3月末で休刊となった茨城県南地域唯一の地域紙「常陽新聞」の元記者と市民らが、地域メディアの灯を消してはならないと、非営利組織を立ち上げました。2017年7月27日付で茨城県からNPO法人として認証され、8月2日付で設立しました。 地方の衰退や新聞離れにより、各地で地方紙が廃刊に追い込まれています。米国では、地方紙が廃刊し地域で何が起こっているか報道されなくなったことにより、地域への関心が薄れ、投票率が低下した、高い給料をもらう役人が続出したなどの問題が起こったと指摘されています。こうした状況を打開しようと米国では、記者らが非営利の調査報道機関を設立するなど新しい動きが起こっています。 日本国内でも各地でウェブメディアが次々に誕生し、地域メディアは黎明期にあります。私たちも、状況に甘んじるのでなく、新しい地域メディアを創造し、新しい時代を切り開きたいと思っています。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({}); 役割と事業概要 <役割>・地域のニュースを掘り起こし、伝える・多様な市民が地域の課題を共に考える場をつくる・人と人をつなぐ・地域を応援し活性化する・地域の歴史と文化を伝える・表現の自由を守り公平公正な地域社会を守る <事業概要> ・ウェブサイトでつくば・土浦地域のニュースを発信・地域の課題に向き合うハイパーローカル新聞を発行・講座やセミナーを開催し市民記者を育成・地域の課題を調査、分析・地域メディアのあり方を研究・地域のラジオ局と連携・『常陽新聞』アーカイブをデータベース化・イベントやプロジェクトを展開

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茨城県は11月の週末を中心に、筑波山・霞ケ浦周辺エリアでの一般向けのトライアルツアー「Mount Tsukuba(マウント・ツクバ) PLAY2020」を特別開催する。地域の魅力を堪能しながらロングライドを楽しめるサイクリングツアーをはじめ、子供向けプログラムや親子コンサートなど、さまざまなアクティビティープログラムやガイドツアーを行う。オンラインで参加予約を受け付け中。 県は18年度から3カ年計画で「筑波山・霞ケ浦広域エリア観光連携促進事業」を実施し、周辺エリアの魅力発掘と発信に関する施策に取り組んでいる。その一環として行われる企画で、昨年度に続く開催となる。 イベントのラインアップは次のとおり(以下の表示料金は税込み)。申し込みの特設サイトはこちら。 筑西市のサイクリングロードから筑波山を望む(茨城県提供) ◆筑波山&霞ケ浦1泊2日スポーツ体験ツアー 11月7日(土)〜8日(日)1泊2日筑波山登山や桜川でのカヌー体験など、親元を離れて子供たちだけで過ごす秋の大冒険。専門ガイド同行の県内小学生対象のスポーツ体験ツアー。料金は子供(小学生限定)2万9000円、定員は15人。

覆面食通が食べ歩き 県代表 おいしい10店選定へ

【山崎実】茨城県が「食」に着目した新たな観光誘客事業に乗り出す。「食」に精通したプロに覆面で食べ歩いてもらい、観光客に積極的にPRできる美味しい飲食店や名物料理を選定してもらう。 茨城は首都圏の食料供給基地といわれ、野菜類のほか、全国的に有名なメロンなどの果物、常陸牛などの肉、ヒラメ、ハマグリなどの水産物を数多く生産する。しかし観光の目的ともなる県を代表する料理は、県外の人に認知されているとは言い難い。 第1弾として、飲食店の分野で約10人の食通のプロが覆面で食べ歩き、「特においしい」「観光客にお勧めしたい」飲食店10店程度を審査し選定してもらう。 選ばれた飲食店などを県がPRすることで、来店をきっかけとした観光周遊の新たな流れを創出したい考え。覆面での食べ歩きは10月から11月にかけて実施されている。 名物料理については、第2弾として一般ウェブ投票によるコンテストや、料理ブロガーによるアイデアコンペなどが予定されている。 「食」のプロによる、おいしい飲食店と名物料理に関する問い合わせは、県観光物産課(電話029-301-3622)へ。

コミュバス導入するなら中村南・西根南地域 公共交通活性化協議会で土浦市

【相澤冬樹】コミュニティーバスなど新たな地域公共交通導入の検討を進めている土浦市は28日、市地域公共交通活性化協議会(会長・岡本直久筑波大学教授)を開き、各種調査の分析評価を元に、市域南西部の中村南・西根南地域で導入を図りたい意向を示した。協議会では拙速を危ぶむ声も出たため、同地域をメーンとしながら周辺地区の意向も拾い、具体化に向かうことで了承された。 同市では17年度策定の「地域公共交通網形成計画」をベースに、地域公共交通の導入促進を図るため、今年度から都市計画課サイドで試験運行する地区の選定作業を行ってきた。これまでに公共交通不便地域として12地区を選び、7地域に再編して設定。既存計画や各種統計、アンケート調査などからコミュニティー交通を導入すべき地域の順位付けを行った。 交通の不便さなどを調べるばかりでなく、コミュニティーバスが運行された場合に利用するか、運賃はどの程度払えるかなども質問した。結果、中村南・西根南地域が11点でトップ、右籾地区9点、乙戸南地区8点と続いた。 この順位付けから、市は中村南・西根南地域を導入候補地区として選定したい意向で、28日の協議会に諮った。11月にも地元地区長らに説明し、地域に運営協議会を設立、バス・タクシー事業者らとの調整を図って、来年10月には試験運行に漕ぎつけたいロードマップを示した。 これに対して委員からは、利用率があがらず3年で試験運行が終了した新治地区での先行事例を踏まえ「中村南・西根南地域だけでなく2位、3位の地区を含め、ぜひうちでやりたいと手をあげるところがあれば優先したい。確認してからでもいいのではないか?」と拙速を危惧する意見や「コロナ禍の状況が織り込まれた調査とはいえない。バスでなくワンボックスカーにボランティアの運転手という組み合わせでの検討ならどうだろう」と運行方法への疑問などが出された。 協議会は、右籾地区、乙戸南地区も中村南・西根南地域に近接していることから、同地域をメーンに交渉し、周辺地区の意向を拾いながら進める形で委員間の了承を取り付けた。次回協議会には候補ルートや停留所などの評価をまとめた調査報告書が提出される予定だ。

土浦・ほっとONEにホットな足湯 月例で「マルシェ」開催へ

【伊藤悦子】土浦市川口・モール505のまちなか交流ステーション「ほっとOne(ワン)」で31日、月例イベントの「マルシェ」がスタートする。ハロウィン開催の今回は、仮装で来場するともれなくプレゼントがもらえるほか、毎回ホットな「足湯」がいただけるというお楽しみ付きだ。 ほっとOneマルシェは、JA水郷つくばによる朝採り野菜の移動販売はじめ、カレーやれんこんおろしそば、ポップコーンなど飲食店の出店がある。施設前の広場では紙芝居や音楽ライブも開かれ、Vチャンネルいばらきで配信される。入場は無料。 「足をのばしてほしい」 マルシェの目玉は「足湯」。ラクスマリーナ(同市川口)から移動式足湯を毎回持ってくる。ほっとOneの菅谷博樹さんによれば「モール505ができたのは、つくばで科学万博が開催された1985(昭和60)年のこと。35年がたち、店舗もテナントも減り、訪れる人も少なくなった。やっぱり魅力がないと人は来ない」と6人のスタッフとアイデアを出し合い、イベントでは珍しい足湯はどうかと考えたそうだ。 ラクスマリーナには地下700メートルから湧き出る「霞ケ浦温泉」があり、移動式足湯の設備があることから、協力を呼び掛けると快諾してもらえたという。“入浴”の前には検温のほか、足のアルコール消毒までして感染予防を徹底するそうだ。 11月以降の日取りと内容は未定だが、月例開催と足湯企画は決まっている。「サイクリングのお客様たなど観光客や市民の方がたに足をのばしていただき、楽しく触れ合ってもらえれば」とアピールしている。