【コラム・霞ヶ浦市民協会】このほど霞ケ浦環境科学センターで、交流サロン講座「霞ケ浦の歴史と人物」を開催した。講師には、かすみがうら市歴史土博物館の千葉隆司先生を迎え、座学と見学会をそれぞれ2日実施した。
見学会では「干拓の歴史」をテーマに、土浦市の色川三郎兵衛銅像、稲敷市の大日苑、江戸崎干拓、横利根閘門、神栖市の堀切川、常陸川水門、潮来市の須田清太郎顕彰碑を巡り、干拓に携わった人々の苦労の一端を学んだ。
大日苑は、植竹庄兵衛が自邸として昭和14年建築した和洋折衷の建物。外見の斬新さだけでなく、和室の欄間、床の間、使用されている木組み、特注の畳など、その素晴らしさに驚かされた。そして、目の前に広がる江戸崎干拓の風景に目を奪われた。
堀切川は、霞ケ浦の河口域が陸地化していく過程で、霞ケ浦と海をつなぐ流路が狭くなり水害が起こりやすくなったため、これを解決するために掘られた。北浦と鹿島灘を結ぶ掘割は江戸時代に計画されたが着工には至らず、明治4年に完成した。
しかし、鹿島灘の荒波で海岸口が埋没し、川としての役目が果たせず、廃川となってしまった。その後、明治43年大洪水のときだけ北浦の水が鹿島灘に排水され、役割を果たすことができたという。
常陸川水門の操作室も見学
常陸川水門では、水門操作所の見学が特別に許可され、3階の操作室も見ることができた。水門は、海水の逆流による塩害防止、利根川増水による逆流防止、そして水利用の役割を担っているとの説明があり、その役割を再認識した。年間100回以上も開閉されていることについても初めて知った。
須田清太郎の顕彰碑見学では、水害常襲地帯だった地域を守るため、清太郎が議員・町長時代に治水事業を推進、横利根閘門を完成させたことを知った。
今回のツアーでは、普段見ることのなかった大日苑内部や、常陸川水門の監視所を見学でき、霞ケ浦への新たな視点を持つことができた。また、霞ケ浦が私たちの生活にどう関わってくるのか、考える1日となった。(霞ヶ浦市民協会常務理事 大久保和男)