火曜日, 8月 12, 2025
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筑波大生が夏休みの宿題を応援 「アドバイスもらい勉強になった」

つくば スタジオ’S

夏休み中の小学生が、筑波大で芸術を学ぶ大学生らと一緒に絵画や書道に取り組む企画「夏休み宿題応援inつくば」が9日、つくば市二の宮のギャラリー「スタジオ’S」で開かれた。ギャラリーを運営する関彰商事と筑波大によるイベントで、この日は午前9時半と11時から書道教室、午後1時と3時に絵画教室が開かれ、つくば市や近隣地域から約60人が参加した。

午後1時から始まった絵画教室には16人の小学生が参加し、それぞれが夏休み中に取り組む「防犯」「交通安全」「人権啓発」「環境問題」などのポスターコンクールに出展する作品を持ち寄った。五つのテーブルに分かれた参加者に大学生らが「もっと空を大きく描いてもいいんじゃない?」「最初は人のまねから入ってもいいんだよ」などアドバイスを送ると、子どもたちはうなずきながらパレットの水彩絵の具で思い思いに絵を描いていく。

午後1時からの「絵画」の回には16人の小学生が参加した

「普段からキャラクターなどのイラストを描くのが好き」だと話す、かすみがうら市から参加した小学5年の吉本花道さん(11)は、霞ケ浦の水質をテーマにしたポスターを描いた。「空のグラデーションをどう描くかアドバイスをもらった。とてもわかりやすかった。この経験を生かしていきたい」と語った。つくばみらい市から参加した小学5年の伊藤遥玲さん(10)は「『中心に意識を向けられるように、背景は目立たないように描くといい』と(学生から)アドバイスを受けたのがとても勉強になった」と遠近感を意識しながら交通安全のポスターを描くと、「人の絵を描くのが好き。教えてもらったことを生かして、これからもたくさん絵を描いていきたい」と笑顔を浮かべた。遥玲さんと参加した父親の伊藤睦展さんは「せっかくの夏休みだが、暑くて外で遊ばせられない日が続いていた。娘はものを作るのが好きなので、楽しんでもらえてよかった」と話した。

講師を務めた筑波大大学院1年の大関睦実さんは「子どもたちは、空は青など、一つの色だけで塗りがちだったので、『いろんな色を混ぜると同じ青でも、いろいろな色ができるよ』など、アドバイスをした。大学では日本画を専攻している。子どもたちの様子を見ていると、自分が小さい頃に絵を描いていた記憶が蘇ってくる。今回の体験を通じて、絵画に関心を持ってもらえたら」と語った。

スタジオ’Sの企画を担当する関彰商事の浅野恵さんは「『夏休みの宿題応援』は、2018年から始まった企画。夏休みの宿題というと、なんとなく気が重くなることもあるかもしれない。ここでは芸術を専門とする学生から直接やさしく教えてもらえる。他の参加者と楽しく宿題に取り組みながら、夏の思い出を作っていただけたら」と思いを話した。(柴田大輔)

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