月曜日, 4月 20, 2026
ホームコラムクウォーター《短いおはなし》32

クウォーター《短いおはなし》32

【ノベル・伊東葎花】

勉強に疲れて顔を上げると、少女がいた。
夕暮れの図書館は、静寂に包まれている。
少女は、ブラインドから差し込む西陽(び)を避けながら、ゆっくり近づいてきた。
空いている席などいくらでもあるのに、僕の前に座って静かに微笑んだ
つやのある黒い髪に透き通るような白い肌、瞳は深い海のような碧(あお)だ。
ハーフだろうか。

「クウォーターよ」

心を読んだように、少女が言った。

「陽が沈むわ」

窓の外が淡い藍色に染まると、閉館を告げるチャイムが鳴った。

それから少女は、決まって夕暮れに現れた。勉強をするでもなく、ただ座ってほほ笑む。
僕たちは、少しずつ話すようになった。
名前はエマ。僕と同じ17歳で学校へは行っていない。
多くを語らないが、いつもどこか寂しげだ。
僕は青い瞳に見つめられるたびに、エマに魅かれていった。
すっかり陽が落ちた帰り道、エマが言った。

「家まで送ってくれる?」

僕はもちろん「いいよ」と言った。

エマの家は、図書館から少し離れた森の中にあった。
太陽も届かないような深い森は、日が暮れるとまるで闇の世界だ。
黒い壁と蔦(つた)で覆われたエマの家は、ただひとつの灯(あか)りもついていなかった。
母親はいないのだろうか。

「いるわ」

また心を読まれた。エマは、僕を家の中に招き入れた。

家の中は暗く、エマは頼りないランプの明かりで進んでいく。

「電気はつけないの?」

「母が嫌うから」

奥の扉を開けると階段があった。しかも地下に続いている。

「地下室があるの?」

「ええ、母は光に当たるといけない病気なの」

「病気?」

肌寒い地下室には、黒い箱がひとつ。ちょうど人がひとり入れるくらいの箱。
映画で見た西洋の棺桶(おけ)のようだ。
エマがふたを開けると、そこにはミイラのように痩せ細った女が寝ていた。

「母よ」。エマが言った。

黒い服で全身を隠し、青白い顔をしている。しかも、棺桶のような箱で眠っている。
おまけに光を嫌うなんて、まるで…。

「そう、吸血鬼よ」

エマが、また心を読んだ。

「おじいさまが吸血鬼なの。母はハーフだから、半分は吸血鬼。定期的に生き血を飲まなければ死んでしまうわ。それなのに母は、それを拒んだ。あくまでも人間にこだわったのよ。それで、こんな姿になってしまったの」

ランプの光が妖しく揺れた。

いつの間にかエマが僕の背後にぴたりと寄り添っている。
声をあげる間も与えられないまま、エマが僕の首筋に歯をあてた。
血を吸われている。エマの喉がコクリと音を立てた。
痛みは感じない。むしろ不思議な心地よささえ感じた。

「母のようにはなりたくないの」。エマが唇を離した。

「心配しないで。私はクウォーターだから、多くの生き血は必要ないの。ときどきこうして血を吸わせてくれれば、きれいなまま生き延びることができるの」

エマはそう言って、唇についた血を細い指で拭った。
その仕草(しぐさ)はため息が出るほど美しい。エマのためなら血を吸われても構わない。

「ありがとう」

また心を読まれた。
赤い唇で、彼女が笑った。

(作家)

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絶滅危惧種のアイドル サクラソウ展始まる 筑波実験植物園

筑波大コレクション100品種以上展示 100品種余りのサクラソウの園芸品種が並ぶ企画展「さくらそう品種展」が18日、つくば市天久保、国立科学博物館 筑波実験植物園(遊川知久園長)で始まった。筑波大学が保有する約300品種の中から、見頃を迎えた株を順次入れ替えて展示する。環境の変化などから野生種の個体数が減少しているサクラソウは、「一見地味にも見えるが、よく見ると可愛らしく、絶滅危惧種植物のアイドルとも言われる。古くから日本人の身近にあった植物でもあり、人々の暮らしから生まれた多様な園芸品種を見てもらえたら」と、企画に携わる筑波大つくば機能植物イノベーション研究センター准教授の吉岡洋輔さん(47)は話す。26日まで。約20年前に始まったこの企画には、毎年およそ5000人が訪れる。 江戸の庶民文化を知る 展示会場では、上部や背面をすだれで囲んだ3段から4段の木製縁台に、鉢植えのサクラソウが並べられる。江戸時代に観賞用に用いられた「桜草花壇(さくらそうかだん)」を再現したものだ。当時の文献や図面をもとに、上段には下向きの花、下段には上向きの花を置くなど、見る人の目線を意識した配置がなされている。すだれの隙間から差し込む光も含め、花壇全体で空間を演出する手法だ。 サクラソウは、種子とともに地下茎でも増える多年生植物で、自分の花粉では受粉せず、昆虫が運んだ異なるタイプの花粉によって受粉・受精するのが特徴だ。近年は環境の変化などにより野生種の個体数が減少し、準絶滅危惧種に指定されている。 ルーツは1種の野生種 日本では古くから園芸用として栽培され、現在確認されている園芸品種は300種以上にのぼる。その多くを筑波大が遺伝資源の保存を目的に保有している。同大での園芸品種の研究は、2003年に埼玉県の園芸試験場から約200品種の寄贈を受けたことを契機に本格化した。それ以前は野生種の研究が中心だったが、園芸品種の多様性に注目が集まり、研究対象が広がった。 栽培の歴史は1440年代、室町中期に始まった。当初は野山の花を持ち帰って育てていたものが、やがて公家や武家、僧侶へと広がり、江戸時代には庶民文化として定着した。 国内に現存する300種以上の園芸品種のルーツをたどると、江戸時代に江戸郊外の荒川流域に咲いていた1種の野生種に行き着くことが、DNA研究から分かっている。その後、生育環境によって色や形などにわずかな違いが出て、その差異に着目して人々が選抜と栽培を重ねた結果、数百年をかけて多様な品種が生まれた。花の色は白から赤が中心だが、花びらの形や咲き方は多彩で、ギザギザの縁を持つ「錦鶏鳥」や、下向きの花をつける「白滝」、縁が白く色づく現存する最古の園芸品種「南京小桜」など、野生ではあまり見られない特徴を持つ品種も多い。 江戸郊外の荒川流域に園芸品種のルーツがあるのは、庶民の暮らしとの近さを示しているという。吉岡さんは「こうした多様性は、人が珍しさを求めて選び続けた結果ともいえる。江戸時代には庶民の間でも栽培が広まり、特に後期には品種改良が盛んになり、多様性が飛躍的に拡大した」と話す。 温暖化、10日早い開花 サクラソウは、種子だけでなく地下茎で繁殖するため、環境が整えば広がりやすい特性を持つ。また、林内から河川敷まで幅広い環境に適応する能力も高い。しかし近年は気候変動などの影響も指摘され、今年は暖冬の影響で開花が例年より約10日早まった。企画を担当する同博物館植物研究部多様性解析・保全グループ研究主幹の田中法生さんは、今後は展示時期の見直しが必要になる可能性もあると話す。 一方、野生種の保全が課題となっている。かつては関東各地に自生地が広がっていたが、多くはすでに失われた。埼玉県の田島ケ原は現在も残る貴重な自生地で、天然記念物に指定されている。野生種の個体数が減少する中、筑波大学では市民と協力して品種を守る「里親制度」を市内のNPO法人とともに2005年に立ち上げ、遺伝資源の保全にも取り組んでいる。 田中さんは「来園者に人気投票を行ったところ、濃い紫色の『天晴(あっぱれ)』や、桃色の『美女の舞』などが上位に挙げられた。サクラソウの面白さは、小さな違いに目を向けて増やしてきた歴史にある。花の大きさや色だけでなく、それぞれの個性を楽しみ、自分のお気に入りを見つけてほしい」と話す。(柴田大輔) ◆コレクション特別公開「さくらそう品種展」は18日(土)~26日(日)、つくば市天久保4-1-1 国立科学博物館 筑波実験植物園で開催。開館時間は平日は午前9時~午後4時30分(入園は午後4時)、土日曜は午前9時~午後5時(入園は午後4時30分)。20日(月)は休館。入園料は一般320円。高校生以下と65歳以上、障害者などは無料。19日(日)は無料入園日。 ◆第1会場の教育等では、「さくらそうを知る」と題した、サクラソウに関する歴史や栽培方法を紹介するパネル展が開かれ、「さくらそう里親の会」が増殖したさくらそう品種の販売会が開かれる。25日(土)には、「植物園研究最前線 シコクカッコウソウ遺伝子資源から見えてきた花の色の多様性」と題する講座が、午後1時30分から開かれる。定員は30人。事前予約制。

ロボッツ、越谷に今季4連敗

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