【コラム・先﨑千尋】「サツマイモ博士」の井上浩さん。昨年7月に92歳で亡くなった埼玉県川越市の井上浩さんの遺著『川越地方のサツマイモ文化史』が1周忌の今月に発刊された。それを記念し、13日に同市のサツマイモまんが資料館に有志が集まり、同書を読み解く会が開かれた。集まったのは、生前にご子息や井上さんと関わりが深かった川越民俗の会のメンバーら20人。
私はひたちなか市の干し芋生産者・木名瀬一さんを誘って参加した。拙著『ほしいも百年百話』を執筆する時に、史料や研究者などを教えてもらった縁からだ。井上さんは私の生き字引、「サツマイモ博士」だった。
会では、最初にご子息の健さんから同書編集のエピソードが紹介され、井上さんと親交の深かった「川越いも友の会」会長のベーリ・ドゥエルさんと同会事務局長の山田英次さんから、同書の価値などが話された。さらに参加者は「食料危機で、サツマイモがもう一度見直される時期が来る」など、それぞれ井上さんの思い出を話した。
井上さんは高校の教師時代からサツマイモ産地である川越市に住み、「サツマイモなんて」とイメージが悪かったサツマイモの文化史を「誰もやらないならオレがやる」と、1人でコツコツと始めた。麦作や柿、ゴボウ、サトイモ、そうめん、唐桟(とうざん)など、同地方の物産の歴史にも詳しかった。
後にドゥエルさんや山田さんらが研究に加わり、「川越いも友の会」が結成され、輪が広がっていった。定年後に、サツマイモ料理の店を開いていた「いも膳」社長の神山正久さんがサツマイモ資料館を開いたので、その館長を務めた。
資料・文献をどう引き継ぐか
山田さんによれば、井上さんのイモ学の業績は、川越いもの歴史解明、江戸および東京の焼き芋文化史、明治期に発見された「紅赤」(芋の品種)の研究など。文献資料を集め、現地の関係者の聞き取りをし、その結果は『埼玉史談』や『川越ペン』、『いも類振興情報』などに発表した。
文体は非常にわかりやすく、一般人にも読みやすいと評判だった。資料館長時代には、見学に来る各地のイモ関係者から情報を集め、国内だけでなく海外へも足を運び、その成果は資料館に展示されていった。今では「川越と言えばサツマイモ」と言われる名物となり、「いも煎餅(せんべい)」など関連商品の売り上げは年に40~50億円に達する。
2017年に脳梗塞で倒れてからも、入院中にベッドで原稿を執筆。8割方まとまったところで亡くなった。戒名は「芋博浩教信士」。没後関係者が補足し、同書の完成にこぎつけた。
私はこの席で、井上さんが残した膨大な資料、文献をどう引き継ぎ、残していくかが課題だと話した。『ほしいも百年百話』などをまとめる際、郷土の歴史を学ぶ者は多いが、関係資料は散逸し、意外に少ないということを知った。川越地方だけでなく、全国のサツマイモ事情を研究する後学の人たちが、井上さんが残したものから学び始められる。そのありがたさを身をもって知っているので、資料類をきちんと残してほしいと提案したのだ。
この書は非売品だが、日本いも類研究会のホームページで見ることができる。(元瓜連町長)