【コラム・先﨑千尋】「歴史を紡いだ茨城の先人」という企画展が6月23日まで、水戸市の県立歴史館で行われていた。同館の開館50年を記念しての展示で、長久保赤水、菊池謙二郎、小野友五郎と並んで、同館を設立し初代館長になった岩上二郎さんも先人の一人に選ばれた。
岩上さんは、瓜連町(現那珂市)長から、1959年に農協や労働組合などの支援を受けて知事になった人だ。4期16年、知事を務め、鹿島開発や研究学園都市のつくば誘致、水戸対地射爆撃場返還などが業績とされているが、私には、茨城県史編さん事業と歴史館の設置が思い出に残っている。
知事退任後の78年には参議院議員になり、議員立法によって公文書館法の制定に尽力した。1989年に76歳で亡くなっている。
その岩上さんが心血を注いだ公文書館法制定の運動に改めて光を当て、その思索と情熱に学び、県内自治体における公文書館整備の動きにつなげようと、岩上さんを知る人たちが6月15日、水戸市で「岩上二郎さんを語る会」を開いた。出席者は、岡田広前参議院議員などの政治家、元秘書、県職員、地元関係者ら約40人。
語る会では、最初に長男の一宇さんが、知事選挙のときのエピソードや、医師で元参議院議員の妙子夫人のことなどを語ったあと、「鹿島開発や研究学園都市、射爆場返還などは、それぞれ多くの人の支え、協力によってできた。母は清濁併せのむタイプ。父はまじめに政治に取り組んだ」と振り返った。
その後、参加者全員が約2時間にわたって、岩上さんとの関わりや業績、思い出、公文書館整備の方向などを熱い思いで語り合った。
地元にも公文書館を
県内では初の市町村立の文書館を持つ常陸大宮市の前市長・三次真一郎さんは、5町村合併前の旧山方町で古文書がほほ廃棄されたのを目の当たりにし、歴史を大事にしたい一人として悔しい思いがあった。市長選の公約の一つに文書館整備を掲げ、当選すると庁内に検討会を立ち上げ、廃校になった旧塩田小学校を活用し、2014年に開館した。岩上さんが取り組んだ公文書館法を活用して造られた施設だ。
「先人が残してくれた大事な資料を後世に伝えていく責任が我々にある。那珂市にも文書館ができれば連携が取れる」と語った。
岩上さんの地元である那珂市瓜連地区からも「県史編さんや歴史館を整備した岩上さんは、歴史を通じて過去現在と未来をつなぐ基盤を作った人」、「徳川光圀と並ぶ稀有(けう)な政治家だ。瓜連庁舎を活用し、公文書館をつくるべく運動をしている」、「今日を那珂市に公文書館をつくるスタートの日にしたい」などの発言が続いた。
語る会の呼び掛け人となった県郷土文化研究会の冨山章一会長、海野徹前那珂市長らは、今後、県内の自治体に公文書館を設立する働きかけをしていこうと考えている。(元瓜連町長)