【コラム・浅井和幸】この世界は理不尽なことばかり起こると感じている人は多いでしょう。理不尽とは首尾一貫していないということ。ですが、道理にかなってないとまで考えて使うことは少なく、普段は自分や自分が好きな人にとって嫌なことが起こるという意味で使うことが多いでしょう。
私は物思いにふけり、生活にあまり役に立たないような些細(ささい)なことを考える習慣があるのですが、最近考えた課題があります。それは「どうして視野が狭いと、考えや話し言葉の主語が大きくなるのか」。
Aさんは言いました。この世界は悲しみに満ちていると。世界は悲しみしかないということを真剣に伝えてきます。あるとき、Aさんは言います。この世は素晴らしい喜びに包まれていると。
「悲しみに満ちている世界」と「喜びに包まれている世界」の時間的な間隔は数カ月のときもあれば、数時間のときもあります。「悲しみ…」と「喜び…」の間で世界の常識や状態が大きく変わったとは思えません。
変わったのは、Aさんの周りのちょっとした出来事です(Aさんにとっては些細なことではなく大問題なわけですが)。恋人に振られた、仕事で成功して上司にほめられた、大切にしていたものが壊れた、大好きなライブに行ったなど。
人はそれぞれの世界観を持ちます。この世界と感覚器官(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)でつながり、感じて、思考して、世界とはこういうものだと決定しています。
自分の決定した世界が、自分のフィルターを通した世界であって、決して全てではないのだと、ほとんどの人は知っています。自分が感じて考えている世界<本当の世界ですが、余裕がないときは、自分が感じて考えている世界は、それが全てだと考えてしまいやすいのです。自分が感じて考えている世界=本当の世界と。
深呼吸をしてもう一度考える
余裕がないときというのは、不安にあおられ、緊急に決断しなければいけないという状況に陥っていると、私たちの頭は考えている状況です。ですが、主語が大きくなってしまう人、自分にとって大きな危険が迫っているのかどうか、深呼吸をしてもう一度考える癖を付けてみるとよいと思います。
批判は相手をあまり知らないときにしやすく、批判をすることでトラブルに巻き込まれるものです(SNSですぐにケンカをしてしまう人など)。最近起こった2~3回ぐらいの出来事でそれが全てだと信じてしまう人(最近は若者の凶悪犯罪が増えたなどと決めつけがちな人)。
自分のこれらの言動に気づけると、より事実に即した思考と行動に結びつきやすくなります。「この人は全てを変えることができる人だからみんなで応援しましょう」は、視野が狭い人のセリフ、もしくは聞き手の視野を狭くして誘導している言葉かもしれません。信じる者は救われるという言葉がありますが、過信をして運に任せてしまわず、自分で決断をしていくことをお勧めします。(精神保健福祉士)