6日から23日まで甲子園球場で開催された全国高校野球選手権記念大会で、土浦日大が茨城県勢として20年ぶりとなる4強入りを果たした。まずは土浦日大の甲子園の軌跡を1戦ずつをたどる。
6日の開会式直後に行われた1回戦は、上田西(長野)との開幕戦を延長タイブレークの末に8対3で制した。同点に追いつかれた4回裏など、記録に残らない守備のミスがあり、4番の大黒柱・香取蒼太が熱中症で途中棄権するなど、終始肝を冷やす試合展開だったが、タイブレークに入ったことが吉と出た。春の県大会決勝(対常総学院)と関東大会1回戦(対健大高崎)ではタイブレークを経て敗れたことからその攻略法を5月から6月にかけて徹底的に追求していた。息つく暇もなく試合が急展開するタイブレークは先攻が有利。先に点を積み重ねて相手を意気消沈させることに成功した土浦日大は見事に37年ぶりの夏1勝を挙げた。
2回戦の九州国際大付(福岡)は茨城大会で調子が上がらなかった小森勇凛に先発マウンドを託した。ストレートの制球が定まらず春に見せた本来の球威とはほど遠いものの、スライダーを高低に投げ分け5回まで無失点で切り抜けた。クーリングタイムを挟んで6回からは伊藤彩斗が、8回からは藤本士生と3投手の完封リレーで危なげなく完勝。同校として初となる甲子園2勝を挙げた。
3回戦の相手は竜ケ崎一、藤代、常総学院で監督を務め取手市在住の持丸修一監督が率いる専大松戸(千葉)だった。土浦日大の小菅勲監督が取手二時代に薫陶を受けた故・木内幸男さんとは、持丸監督も生前公私にわたり交流があり、常総学院の監督を引き継いだ間柄であることで「木内チルドレン対決」と見出しが打たれた。また両校が隣県でありJR常磐線で結ばれていることから「常磐線ダービー」や「チバラキ決戦」などと話題となった。試合は3回表を終わって土浦日大が6点ビハインドの大敗もあり得る展開であったが、3番目に登板した藤本が相手打線を完璧に封じると、打線が単打を積み重ね終わってみれば10対6の逆転勝利を収めた。本県勢の8強入りは2016年の常総学院以来9回目。
準々決勝は春の東北大会で今夏準優勝の仙台育英を抑え優勝した八戸学院光星(青森)。強力打線が武器の相手だけに、もうさすがに次は無理だろうと茨城の高校野球ファンのほとんどが大敗を予想したのではないか。しかしここでも土浦日大打線が爆発し、洗平(あらいだい)、岡本の2年生両エースをノックアウトしてしまった。9回には松田陽斗のバックスクリーン弾のおまけ付きである。9対2と大差の勝利を誰が予想できただろうか。本県勢の4強入りは常総学院が優勝した2003年以来20年ぶり5回目。紙面には「快進撃」の文字が躍った。ひょっとしたらひょっとする。
準決勝は日頃から練習試合で交流しているという慶應義塾とであったが、相手エース・小宅の内外のコースビタビタに決まるボールを捉え切れずに自慢の粘り強い打線が沈黙。0対2で敗れ、土浦日大の長い夏は8月21日をもって終わった。
甲子園で勝つためのチーム作りが結実
7月に掲載した土浦日大の小菅勲監督のインタビュー記事(7月9日付)はご覧いただいただろうか。小菅監督にとって2017年に土浦日大を率いて初めて出場した甲子園で松商学園に初戦で敗れたことが大きなターニングポイントだったという。県内を勝ち抜くことを目標にしていたのではいつまで経っても甲子園では勝てないことを痛感し、甲子園で勝つためのチームを作ろうと固く決意した。
甲子園で躍進したこの世代は中学時代のスカウティングの段階から「甲子園に行こう」ではなく「甲子園で勝とう」という志を持って土浦日大に集まってきたメンバーだ。小菅監督は目標設定や選手のスカウティング、練習の取り組みなど、ありとあらゆることを見直した。中でも食事内容やウェートトレーニングの頻度や強度にはこだわり、専門のスタッフを置きフィジカルの強化に力を入れた。こうして取り組んできた甲子園で勝つためのチーム作りが37年ぶりの初戦突破に止まらず県勢20年ぶりの4強入りという新たな歴史を刻んだ。
「一戦必勝で精一杯臨んだ結果」 丸林コーチ
小菅監督が伊奈高校の監督を務めていた頃から小菅監督の右腕として支えてきた丸林直樹コーチに今回の大躍進や今後のことについて聞いた。
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