金曜日, 5月 10, 2024
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霞ケ浦で夏の訪れ 観光帆引き船が運航開始 土浦

霞ケ浦の夏の風物詩、観光帆引き船の運航が21日、土浦沖で始まった。土浦帆曳船保存会の操業により、七福神丸と水郷丸Ⅱが真っ白い帆を立て、霞ケ浦に浮かんだ。見学客は土浦港のラクスマリーナ(土浦市川口)から遊覧船ホワイトアイリス号に乗り、帆が上がる様子を間近で見学した。

帆引き船は1880年、霞ケ浦町(現かすみがうら市)の折本良平により考案され、当時はシラウオやワカサギ漁のために使用されていた。1960年代後半以降は、エンジンを積んだトロール船の普及により姿を消したが、71年に観光帆引き船として復活した。2018年3月には「霞ケ浦の帆引き網漁の技術」が国の無形民俗文化財に選定されている。

高さ9メートル、幅16メートルの帆は、風の強さに応じて進む仕組みだ。この日は若干の強風で、帆が広がるのに時間がかかった。見学客は「がんばれ」「諦めるな」と帆引き船にエールを送り、帆が上がる一部始終を見届けた。

昨年、ホワイトアイリス号は26回運航し、1200人近くが見学した。同市観光協会の爲我井(ためがい)智主任は「土浦市は時期的にも、いち早く観光帆引き船を楽しむことができる。夏の青空と、グリーンの霞ケ浦に浮かぶ真っ白い帆のコントラストに注目してほしい」と語る。

那珂市から来た女性は、昨年に引き続き見学船に乗船した。「人の力だけで帆を動かすのはとても大変そう」と話し「雄大な自然を楽しめるこの風景は地元では見られない。見に来たかいがあった」とした。(上田侑子)

◆土浦市の観光帆引き船は7月21日(金)〜10月15日(日)までの毎週土・日曜日、祝日に操業する。午後1時30分に土浦港から出航するホワイトアイリス号に乗って見学できる。10月1日(日)は、同市のほかに帆引き船を保有しているかすみがうら市、行方市による3市合同操業が開催される。かすみがうら市観光協会が主催し霞ケ浦帆引き船フォトコンテストも開催される予定。料金や見学方法などの問合せは土浦市観光協会(029-824-2810)へ。

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【コラム・片岡英明】2023年に開校した「つくばサイエンス高校」の2年連続定員割れについて、問題点の指摘や批判、中には否定的な意見も聞こえてくる。しかし、県立高校不足に悩むつくばの小中学生のことを考えると、第三者的な冷たい評論では県立高問題を解決できない。 私は、県がサイエンス高の定員増(4学級→6学級)と学習指導の充実を図った点を評価している。今回は、この2つの芽と開校後2年の経験を生かし、サイエンス高がつくばの人気校になるような方策を考えたい。 受験生からのメッセージ サイエンス高は、東京都が2001年に2つの工業系都立高校を統合・新設した都立科学技術高校を参考にしている。都立科学技術高の当初定員は科学技術科35人✕6学級=210人だったが、24年度からそのうち1学級を創造理数科40人とし215人になった。このことから、学校の基本は少人数の進学型専門高といえる。江東区大島にあり、地下鉄住吉駅より徒歩8分と通学に便利だ。 つくばサイエンス高は、2020年8月の県高校改革実施プランⅠ期(第2部)に基づき、つくば工科の学科を改編して23年に開校した。その基本的な考え方の一つは「TX沿線地域の人口増加に伴う県立高等学校への大学進学ニーズの高まりに対応する」となっており、地域の声を取り入れた学習指導充実を加えた。 前身のつくば工科は、18年までは受験者が定員の160人を越え、19・20年は入学157人とほぼ定員を確保した。しかし、改革実施プラン発表後の21年は150人、サイエンス高設置前年の22年は134人と減少した。 つくば工科は資格を取り就職したいという地元の生徒には人気のある学校であった。それが、「研究者や高度技術者を育て、起業家精神を持つ生徒」の育成を目標とする理系の進学型専門高校となり、受験生に不安が生まれた。この結果、定員を240人にした23年度(1期生)は前年の134人から88人に減り、24年度(2期生)は77人に減少した(充足率32%)。 つくばサイエンス高は、つくば市で最も子どもが増えている谷田部地区にある唯一の県立高校であり、地域の期待も高い。それなのに、定員を増やした新設高校で大きな定員割れが起きている。ここから、軌道修正を求める受験生からのメッセージを読み取りたい。 理系進学科+普通科の2学科制 以下、現在のサイエンス高が持っている2つの芽を生かし、地元の人気校になる案を示したい。 (1)科学技術科を少人数学級にして、理系志向の生徒に充実した教育を行う。具体的には30人✕4学級=120人とし、学科定員を絞る。1年次は共通とし、2年次以降は理系進学探求コースと技術を磨くマイスターコースを設け、就職希望者には工業系の資格も取らせる。 (2)絞った定員の残り分を生かし、要望が強い普通科を併設する。そこで新体制の2年間で作り上げた学習指導体制を生かす。 (3)普通科定員を5学級200人、全体定員を80人増の320人とする。但し、25年度からの定員増が難しい場合は、既存の240人定員のうち3学級120人を普通科とし、26年度から5学級とする。また、2年進級時に学科変更を認めるなど柔軟な体制をとる。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

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追悼 戸田広さん 霞ケ浦帆引き網漁の保存活動に尽力

霞ケ浦の伝統的な漁法である帆引き網漁を観光資源として継承し、後世に残したいと保存活動を続けていた戸田広さんが、4月15日に亡くなった。89歳だった。2001年から操船技術の継承と観光帆引き船の運航、PRなどに尽力してきた。帆引き網漁の技術は18年、県内初の国選択無形民俗文化財に指定された。告別式は5月11日に行われる。 戸田さんは、つくだ煮を製造・販売する出羽屋(かすみがうら市)の社長で、「霞ケ浦帆引き船・帆引き網漁法保存会」の会長を務めた。出羽屋で霞ケ浦の漁業者と取引していたことから、帆引き船の操業技術を継承する人材を育成する活動を続けた。 同保存会は2014年に設立。前身は「霞ケ浦帆引き船まつり実行委員会」で、かすみがうら市を盛り上げようと01年に発足した。同年にPRのため「帆引き船フォトコンテスト」を企画して以来、毎年継続し、昨年も県内外から400点以上の応募がある人気コンテストとなっている。観光帆引き船は現在、土浦、かすみがうら、行方の3市により毎年夏から秋に運航されている。 戸田さんは観光としてだけではなく、100年後も生業となる帆引き網漁を残したいとし、亡くなる直前まで精力的に活動した。同保存会事務局長の武田芳樹さん(74)は「何を提案しても『いいよ』と言って受け止めてくれる人だった。いつも前向きで、いろいろなアイデアを持っていた」と、大らかな人柄をしのぶ。帆引き網漁で捕獲した魚のブランド化も発案。引く力が強く、魚を網に押し込んでしまうトロール漁とは異なり、帆引き網漁は風の力を使って柔らかく網を引くため、魚に傷が付かないことから、帆引き網漁で捕れた魚に新たな商品価値を見出していた。保存会では戸田さんの遺志を継ぎ、帆引き船漁法の操船継承を推進する活動を続けていくという。 白く大きな帆を張り、横滑りしながら漁をする帆引き船は、夏から秋にかけて霞ヶ浦の風物詩となっている。1880年(明治13年)、漁師の折本良平氏によってシラウオ漁を目的に考案されたと言われ、約90年間、霞ケ浦のシラウオやワカサギ漁の主役として操業した。帆の大きさは高さ9メートル、幅16メートルにもなる。霞ケ浦の周囲には遮る山などがなく、四季を通して風が吹くため、風の力を利用する大きな帆の船が考え出され、独特の操業法が継承されてきた。 1963年に常陸川水門(逆水門)が完成し、漁獲量減少を心配していた漁業者への補償として、67年にトロール漁が解禁されると、帆引き船はいったん姿を消した。しかし復活を願う人々の声を受け71年、出島村(現かすみがうら市)が観光帆引き船として復活させた。現在はかすみがうら、土浦、行方3市の各保存会により帆引き網漁の継承が図られ6隻が運航している。(田中めぐみ) ◆通夜は10日(金)午後6時から、告別式は11日(土)午後1時から、いずれもかすみがうら市加茂5319-6 トモエホールで行われる。