【コラム・オダギ秀】敬愛する友人の写真家・味村敏(あじむら・びん)のことを話したい。ボクが彼から学んだことは少なくない。彼の奥さんは、200円しか持ってなくても、持たない人がいたら、その200円をあげてしまうような人だ。
味村が専門に撮っていたのは、最近はほとんど見られなくなった茅葺(かやぶ)き屋根の古い民家だ。全国を回り、茅葺き屋根の古民家を見つけると、その撮影に情熱を傾けていた。だが、茅葺き屋根の古民家の写真などでは、豊かな報酬を得られることはない。歴史資料としての価値や、古い情景を懐かしむ価値などしか認められないことが多い。だから、ある住宅メーカーが、毎年写真集を作ってくれたりするのが、報酬を得られる主な仕事であった。
それで彼は、ポンコツと呼ぶに相応(ふさわ)しいガタピシャ車に毛布など積み、車で寝泊まりしながら撮影を続けていた。ホテルや宿屋などに泊まるなど、とんでもない贅沢(ぜいたく)だった。
彼は、撮影に適した茅葺き古民家を見つけると、まずその家に、撮影許可を得る。その家では、訪ねられると、ホームレスのような人間を見て、何者が何をしに来たのかと訝(いぶか)る。彼は自分の素性やら実績を示し、何よりその熱意で撮影許可をもらう。それで「まあ、写真撮るくらいなら、いがっぺ」となる訳だ。
すると、撮影許可をもらった彼が、次にすることは、撮影ではない。まず彼が始めるのは、その家の周りの掃除だ。丁寧に庭を掃き、植木が傾いたり枯れていると手入れをする。黙々と作業をし、そして写真は撮らず、帰る。
「しゃあんめえ。気ぃつけてな」
翌日、あらわれた彼がすることは、縁側の雑巾(ぞうきん)かけ、破れた障子貼り、散らばった家財の整理。その他もろもろの家の手入れをして、また帰る。
次の日、味村は、この家を一番よく撮れるところは、庭の向こうの風呂場の屋根だから、あの屋根に上がらせてくれ、と言い出す。「ええっ、屋根なんかに昇られたら雨漏りしちゃうかも知んねえよ。とんでもねえ、ダメダメ」と言うのが当然の返事なのだが、これまでの、この家をいかにいいものに撮ろうかという味村の態度、行動を見ているから、当家は「しゃあんめえ。いいよ、いいよ。気ぃつけてな」となるのである。
茅葺きの古民家の撮影など、どの位置から撮ればいいか、少し写真に慣れた者ならすぐわかる。味村の写真はそんな写真なのだ。こんなの、その位置から撮れば誰だって撮れるぞ、と思わせる。オレだって、そこから撮れば、こんな写真撮れるさ、と、ちょっと写真を齧(かじ)っていると言うのである。だが、その位置に立てることが実力なのだ。その位置に立てれば誰でも撮れるが、ふつうはその位置に立てないのだ。
彼が撮影を終えて帰る時には、たとえばこんな言葉をかけられる。「この家が一番よく見えるのは、裏のコブシが咲いた時だよ。コブシが咲いたら知らせっから、また来な。そん時は、ウチに泊まるといいよ」(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)