金曜日, 11月 22, 2024
ホームつくば新たに3カ所が落下の危険 筑波大渡り廊下 通行禁止に

新たに3カ所が落下の危険 筑波大渡り廊下 通行禁止に

筑波大学(つくば市天王台)で連絡通路(渡り廊下)の屋根が崩落した問題で、同大は21日の定例記者会見で、落下の危険がある渡り廊下が新たに3カ所で見つかったと発表した。いずれも18日に通行禁止にしたという。

3カ所は▽平砂学生宿舎8号棟~9号棟間の渡り廊下(1975年施工)▽同宿舎10号棟~11号棟間の渡り廊下(同年施工)▽医学エリア4B棟~4C棟間の渡り廊下(2005年施工)。平砂宿舎の2カ所は、10日に崩落した人文社会学系棟などがある第1エリアの連絡通路屋根と同じ42年前に建築された。医学エリアは建築後12年しか経っていない。

いずれも建築基準法が定める3年に1回の定期点検が必要な施設の対象外とされ、これまで特に定期点検は行われなかったという。10日に起きた連絡通路屋根の崩落事故を受けて、構内の連絡通路全77カ所を12日から緊急点検したところ、問題の3カ所でボルトがさびていたり、接合部にすき間が見つかったため通行禁止にした。

一方、10日に屋根が崩落した通路については、屋根の解体・撤去工事や通路破損箇所の修理が終了し、20日から再び通行できるようになった。

同大では今後さらに、連絡通路全77カ所の調査を外部の専門業者に依頼することを検討している。(崎山勝功・ラヂオつくば特約記者)

 

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