土曜日, 4月 19, 2025
ホーム土浦【高校生インタビュー】土浦初の女性市長㊤ どんな経験をしてきたか

【高校生インタビュー】土浦初の女性市長㊤ どんな経験をしてきたか

土浦市に初の女性市長が昨年11月、誕生した。どのような経験をして市長になったのか、どのような思いを持って市政に取り組んでいるのか。土浦日本大学中等教育学校報道サークルの生徒が安藤真理子土浦市長を訪ね、高校生の視点でインタビューした。[聞き手はいずれも新6年(高校3年)生の坂本恵理さん、石田日菜子さん、笠倉斗真さんの3人、インタビューは3月に行われた]

ー安藤市長はどんな高校生でしたか。高校生の頃から政治のことに興味があったのですか。

特に興味があったということではないんですが、5歳の時から40年間、父(故・井坂信之氏)が市議会議員をやっていて、物心ついた時からそういう家族だったので、選挙が身近だったり、いろんな方が「こういうこと困っているんだよ」と家に来たので、そういうときにお茶出しをしたりしていました。そういう環境だったので、子供の時から意識しなくてもそれが普通という感じでいました。

愚痴ってもしょうがない、自分でもの申す

ー政治の仕事に就こうと決めたのはいつですか。

2007年です。13年くらい前ですね。市議会議員になろうと思いました。結婚して子供が生まれて、子育てをする専業主婦だったんです。当時は、子供が小学生くらいになったらパートでお仕事しようかと軽い気持ちで思っていたんですが、小さい子供がいるので就職もなかなかできなかった。

きちっと仕事をしたいと思ったんですが、なかなか就職できないので、これは私みたいな人もたくさんいるだろう、そういう人が働きやすい職場をつくろうと思って、自分で会社をつくったんですね。その時は私と社員2人の計3人。介護の小さい会社をつくりました。

当時は介護保険制度ができたばかりで、新しい制度だから、いろいろな問題がありました。小さい会社ですけど社員が集まると「この制度のここが良くないよね」とかいろいろ愚痴が出ました。そういう時に「ここでしゃべっていてもしょうがない。どうにかしなきゃいけない。これは国の制度なので国にもの申すしかない」と思いました。

私たちのような者がどうしたらいいんだろうと思った時に、市議会議員をやっていた父が高齢のため引退することになったんですね。介護保険とかそういう大きな問題をどうするか、政治の力を使うしかないと思って、ちょうど父が引退するタイミングと合ったんですけれど、私が市議会議員になって、いろいろなことを市、県、国にもの申していきたいと思ったのがきっかけです。

ー今までの政治家生活の中で苦労したこと、うれしかったことは何ですか。政治家のやりがいはどこにありますか。

ぱっと思いつくのはうれしかったことです。皆さんも町を歩いていたり、生活をしていて「もっとこうしたらいいのに」と思うこと、あるじゃないですか。政治をやっていると、いろいろな方から「これをこうしてほしい」「こうしたらどうか」という提案をもらったり、「困っている」という相談があります。私たちはそれを「なんとかしてくださいよ」「こうしましょうよ」とやっていくんですが、全部聞いてもらえるわけではない。でも、ほんとにそれは大事だねって市や県や国が思ってくれて、私が提案したことが実現して、そしてそれを喜んでくれるのは本当にうれしいことです。

苦労したこと、困ったことは、何度足を運んでも聞いてくれなかったり、いろいろな相談を受けて「私もそうだな、本当に変えてもらわなきゃ」って思うことが、何をしても変わらないとか、解決しないというのは、本当に苦労ですね。

でも政治家としてのやりがいは、自分の提案で街が変わっていく、本当に困っている人たちが「このことをお願いしたら変わった」と言ってくれる、そういうことがあるとやりがいを感じます。市民の声が届くことが、やはりよかったなあと思うことですね。

私しかいない、注目される

ー土浦市初の女性市長ということですが、女性と男性で違いがあると考えますか。男性市長ではできないことは具体的に何かありますか。

男性市長じゃなきゃできないこと、女性市長しかできないことっていうのは基本的にはないと思うんです。ただ、女性の目線じゃないと気付かないことがあると思うんです。私は女性で、母でもあり、子供もいて、女性として働いてきたという視点から、男の人が気が付かないことに気づきます。

具体的に言うと、災害の時、男性が長であると指示、命令は男性の目線ですよね。だけど、細かいことですけど、小さい子をお風呂に入れるにはどうしたらいいか、そのための設備が必要になりますよねとか、女性特有のニーズとかあるじゃないですか。男性はおそらく気が付かないですよね。そういうことも細かい視点でみてあげられます。

子育てに関しても、ただ制度をつくればよいのではなく、例えば、市役所1階に、お母さんが子供連れで来た時に使える遊びのスペースというのがあるんですよ。それを見て「これ?」と思っちゃったんですよね。多分男の人は気付かない。女性として母として「もうちょっと明るく、子どもたちが喜ぶようなものをここへ置かなきゃだめじゃない」って思いました。遊びのスペースもこれから変わります。

ー初の女性市長ということで、周りの印象的な反応はありましたか。

茨城県には44人の市町村長がいますけれども、今、女性市長は私しかいない。どういうことしてくれるんだろうっていう期待もあるし、単純に、何やるの?というような、興味もあると思います。多分、男性市長と同じことを女性市長がやったとしても注目はされると思います。結構取材もされます。土浦をPRしたいので、取材してもらえると土浦が広く発信できてありがたく思っています。(㊥に続く)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

6年間で280件、誤った発信者名で通知 つくば市

福祉事務所長と市長業務の区別誤る つくば市は17日、認可外保育施設に対する指導監査事務と生活保護に関する事務について、法令や市の規則に定められた福祉事務所長が行うべき業務と、市長が行うべき業務の区別を誤り、2019年度から24年度まで6年間で計280件について、誤った発信者名で通知を出していたと発表した。 市社会福祉課によると、認可外保育施設の指導監査については、毎年1回行っている指導監査などの立ち入り調査や調査結果の通知を、23年度は63カ所に対し128件、24年度は54カ所に対し108件、計236件の通知文の発信者名を、つくば市長名で出すべきところ、市福祉事務所長名で発送していた。 児童福祉法に関わる認可外保育施設の指導監査事務については、権限が知事から市に移譲され、さらに市長から市福祉事務所長に委任された。その後22年度末に市の規則が改正されて市福祉事務所長への委任が削除されたことから、つくば市長名で通知を出すべきところ、市福祉事務所長名のままで発送していた。 一方、生活保護行政に関わる事務については、2019年度から24年度までの6年間で計44件の通知文について誤った発信者名で通知していた。具体的には①遺留金品の処分について、金融機関に対し23年度と24年度に計3件、市福祉事務所長名で通知すべきところ市長名で通知を出していた ②医療扶助や介護扶助の損害賠償請求に関しては、保険会社に対し20年度から24年度までの5年間で計5件、市長名で通知を出すべきところ福祉事務所長名で出していた ➂生活保護受給者らへの費用の徴収に関しては、受給者に対し19年度から23年度まで5年間で計36件、市長名で通知文を出すべきところ、市福祉事務所名で出していたという。 生活保護法に関わる生活保護の行政事務については、市の規則により、市長から福祉事務所長に委任されている事務と委任されていない事務があるにもかかわらず、一部の通知文で誤った発信者名で通知していた。 今年4月、社会福祉課内の職員から指摘があり、過去にさかのぼって調査したところ、誤りが分かった。市の規則について、当時の管理職を含む職員の認識不足が原因という。 今後の対応として市は、市ホームページに関係機関に対するお詫びと、通知文の内容は無効でない旨を掲載すると共に、関係機関と関係者に順次、説明と謝罪を行うとしている。 再発防止策として、根拠法令と市の規則を再度確認し、管理職を含む課内職員全員で適切な運用を徹底していくとしている。 福祉事務所は、社会福祉法に規定された福祉に関する事務所で、福祉6法に定められた事務を行う社会福祉行政機関。市役所とは別の行政機関になるが、市役所内にあり、市社会福祉課など市の関係部署の職員で構成されている。福祉事務所長は市福祉部長が務めている。 【14時15分 訂正】認可外保育施設について「指導監督」を「指導監査」に、生活保護について「扶養義務者」を「生活保護受給者ら」に訂正しました。

「砂の器」の父と子の旅《映画探偵団》87

【コラム・冠木新市】脚本家、橋本忍が橋本プロダクションをつくり、その第1回作品に選んだのが「砂の器」(1974年)だった。すでに脚本は十数年前にできていた。 当初、ハンセン病の父と子を描いた松本清張の原作は非常に入り組んでおり、橋本忍は頭を抱えたそうだ。だが原作にある「その道中どんなことがあったか、それは親子のこじきにしかわからない」との「父と子の旅」の1節に注目し、そこから脚本を構成、共同脚本の山田洋次と仕上げた。松竹で製作予定だったが、内容が暗いためか中止となってしまう。 橋本忍の父親が病の床につき故郷に戻った時、父親の床に2冊の台本が置かれていた。「お前の書いたホンの中でまァまァなのはこの二つや」と「切腹」と「砂の器」をあげ「けど、わしはこの砂のなんとかのほうが好きや」と言い、さらに興行師の経験もあった父親は「この外題(砂の器)は、やりさえすりゃ当たる」との遺言を残している。 その後、橋本忍は各映画会社に企画を持ち込むが、様々な理由を付け皆断ってきた。遂には他の仕事の依頼を受けても、「砂の器」をつくらなければ仕事はやらないとまでに。とうとう独立プロダクションを設立し「砂の器」を自主制作することにした。 すると橋本忍は、映画監督の黒澤明から電話で呼び出された。脚本を読み、冒頭の容疑者捜索シ一ンは意味がなく無駄だし、犯人の愛人が血痕の付着した服を切り刻んで電車からまく証拠隠滅シ一ンがおかしいと指摘を受けた。橋本忍もその欠点には気づいてはいたが、しかし最後まで削除改訂することはしなかった。橋本忍はクライマックスの父と子の旅にすべてをかけていた。 「砂の器」の後半がすごい。①警察庁での捜査会議の席上、今西刑事(丹波哲郎)が殺人事件の背景を語るシ一ン②犯人の作曲家、和賀英良(加藤剛)のピアノコンサートのシ一ン③お遍路姿の病人(加藤嘉)と7、8歳の男の子(春田和秀)の旅路のシ一ン。この3つのシ一ンが同時並行で描かれるからだ。 橋本忍の父親は、捜査会議(義太夫語り)とコンサート(三味線弾き)とお遍路親子(人形)が、人形浄瑠璃の仕掛けだと見抜いていた。 丹波哲郎、加藤剛、加藤嘉、春田少年の演技と全編に流れるピアノとオ一ケストラの音楽には誰もが泣かされるはずである。 父と子の旅のシ一ンは、今西刑事の想像であり、作曲家でピアニスト和賀英良の回想でもある。だから主軸は、父と子の旅の場面だ。セリフはなく、音楽のみで表現される。 私がいつも泣かされるのは、少年が山道から小学校の校庭で体育の授業風景をじっと見つめる場面だ。父親は旅をせかすが、少年は動かない。少年の授業を受けたい思いが痛いほど伝わってくる。『砂の器』の父と子の旅の場面は、戦後の貧しかった日本の社会を象徴するものといえる。 私の父は「砂の器」が公開された年に亡くなった。久し振りに「砂の器」を見直した。サイコドン  ハ  トコヤンサノセ。(脚本家)

筑波大と日本国際学園大の学生3人がデザイン スイーツ店がプリン販売

筑波大学(つくば市天王台)と日本国際学園大学(同市吾妻)の学生3人がデザインした商品パッケージラベルが、つくば市桜と守谷市けやき台に計2店舗あるチーズケーキ工房&(アンジー)のプリン3種類のパッケージデザインに採用され、販売されている。 プリンは、茨城県を代表する新たなご当地グルメを決める「シン・いばらきメシ総選挙2024」のスイーツ部門で守谷市代表として出場し、上位10位のファイナリストに選ばれた「ご褒美 いばとろリッチプリン」(税込み626円)と、同店がつくばの学生など向けにお手頃価格帯のスイーツとして新たに開発した姉妹品の「ブルーベリーとろ生チーズぷりん」(同302円)と「濃厚お芋のブリュレプリン」(410円)の3種類。 筑波大芸術学群2年の吉田有希さん(19)と、同大同学群3年の吉野侑良さん(20)、日本国際学園大経営情報学部3年の田麦梨々花さん(20)がそれぞれパッケージラベルをデザインした。吉田さんのデザインは「いばとろ」の文字を、ひらがなを使わず、アルファベットや数字、句読点を用いてユニークに表現している。吉野さんは「ブルーベリープリン」の文字を、実家の祖父が庭先で栽培しているブルーベリーの木をイメージしてデザインした。田麦さんは素材が一目で分かるよう、お芋のイラストを入れ、さらに濃厚さが伝わるようにソースのデザインにもこだわった。 パッケージラベルにはデザインした学生の名前がそれぞれ記載されている。3人には、賞金と副賞のプリンが贈られた。3人は「大変光栄で、うれしい」などと話す。 同店オーナーで県南、県西を中心に飲食店を展開する「いのいち」(本社つくば市天久保)の市村剛社長(49)と、筑波大出身で同市天久保で筑波大生向けにリサイクル品を販売したり家電のリースサービスなどを提供する店「つくばローカルコミュニティ」を経営する山根和仁代表(49)が、デザインコンペを企画し実施した。 両大学の学生約50人から応募があり、同店のスタッフらが審査し選考した。日本国際学園大はデザインの授業の一環で取り組んだ。同大からはほかに、商品化はされなかったが、経営情報学部4年の笹尾栄太さんのデザインが社長賞に選ばれた。 いのいちは22年前につくば市内で居酒屋を創業した。飲食店事業を拡大する中、市村社長によると、たくさんの筑波大生がグループ店でアルバイトをしてくれたことから、恩返しできないかとつくばの大学生を対象にデザインコンペを開催した。今回新たに販売するブルーベリーとお芋の2種類のプリンは、大学生が帰省する際などに、ちょっとした手土産になるつくばのスイーツにしたいと開発したという。 山根代表は「地域の企業とつくばの学生が協力して新しい商品やサービスをつくり、地域を盛り上げることができれば」とし「今後も地域の企業のニーズに応えてコンペを開催していきたい」と話す。(鈴木宏子)

豊里ゆかりの森のスペースキャビン《ご近所スケッチ》16

【コラム・川浪せつ子】つくば市の「豊里ゆかりの森」(同市遠東)の中にある「スペースキャビン」。つくば科学万国博覧会のとき、宿泊施設として造られました。1985年オープンなので、建ったのは40年前です。今でも宿泊に使われています。年数が経ったため、現在11棟あるものを修理し、数棟に減らす予定だそうです。自然の中のこの場所の風景にマッチしています。 園内には、キャンプ場、バーベキュー場、アスレティック施設、テニスコート、宿泊施設「あかまつ」、昆虫館、工芸館などがあります。スケッチに行ったとき、平日にもかかわらず、年配の方から子供まで、たくさんの方が来訪されていました。 昨年からは美術館も開館。日本のトップクラスの画家さんの展覧会が、今までに3回も開催されました。それも無料で! 4回目の展覧会も期待しています。 ゆかりの森の入り口手前に、私の30数年来の友人が「野市場」という農産物販売所と自然体験活動のクラブハウスを造りました。農作物などの販売のほか、ネイチャークラブ20数年のキャリアが詰め込まれた店主さんの野外活動の拠点にもなっています。 お店の本格的な始動は4月25日から。「野市場」の建物も描かせて頂きました。つくばに新しい風を吹き込んで、地域と自然を大切にして、楽しく暮らせる場所になっていくことでしょう。(イラストレーター) ◆「野市場」はこちら。「つくばネイチャークラブ」はこちら。