火曜日, 12月 2, 2025
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ふたたびの徳一大師 土浦の古代仏教研究家が30年ぶり続編

【相澤冬樹】神の山、筑波山にお寺を開いた奈良・平安時代の僧侶、徳一(とくいつ)をご存じだろうか。土浦市在住の古代仏教研究家、内山純子さん(85)が「法相宗(ほっそうしゅう)徳一の教化を中心に」をサブタイトルとする著作『古代東国の仏教』(青史出版)をまとめた。内山さんは1990年にやはり徳一を取り上げた『東国における仏教諸宗派の展開』(そしえて)を上梓しており、ほぼ30年ぶりの続編となった。

筑波山を足場に東国教化

著作によれば、徳一は天平勝宝元年(749)生まれ、承和三年(836)- 九年(842)の間に没している。ほぼ最澄、空海と同時代の宗教家だが、平安密教の担い手としで華々しく活動した両大師に対し、徳一は奈良仏教の再生を願い東国に下向、筑波山に拠って論陣を張った。特に最澄と繰り広げた「三一権実論争」は、わが国における大乗・小乗仏教の宗教論争として知られ、徳一関連で今日に残された数少ない文献となっている。

その足跡は筑波山のほか、福島の会津、いわきに残されている。内山さんはそれらの地域を訪ね歩き、記録を再構成して、今回の著作にまとめあげた。

同書では、徳一を藤原仲麻呂(恵美押勝)の末子と特定した。仲麻呂の乱(764)は徳一16歳のときで、配流を経験したのが東国での布教のきっかけになったという見方を示した。当時の常陸は蝦夷(えぞ)征伐など度重なる出兵に疲弊し、さらには地震や水害に苦しめられていた。大同元年(806)には会津磐梯山が大噴火を起こしている。

徳一はぼろをまとい、粗食をいとわずこれらの地域に入り、救済のため仏法を説き、寺院を建立して回った。その足場としたのが筑波山。当時から神の山として知られていたが、藤原氏の氏神である鹿島神宮の許諾をとる形で筑波山に入ったと見られる。

「古代東国の仏教」表紙写真は徳一座像(月山寺所蔵)

筑波山寺(知足院中禅寺)を開基したのをはじめ、東西南北にそれぞれ菖蒲沢東光寺(石岡市)、椎尾山薬王院(桜川市)、東城寺(土浦市)、小幡薬王院(石岡市)を配した「筑波四面薬師」を教化の主な舞台とした。同書巻末には、徳一伝承寺社が一覧表にまとめられており、茨城県内には42寺社を数える。

さらに会津では恵日寺(磐梯町)、勝常寺(湯川村)、円蔵寺(柳津町)などが徳一の建立と伝わる。これらの寺院は徳一没後、早々に真言宗、天台宗に転じて存続を果たすことになるが、内山さんは「訪ねると、稲敷市の逢善寺など多くのお寺の過去帳に徳一の名が残っている。宗派に関係なく大事にされてきたことが分かる」という。

これらの寺の多くは明治の廃仏毀釈(きしゃく)による被害を免れず、特に徳川幕府の篤い庇護(ひご)を受けた筑波山の中禅寺は徹底的に破壊された。所在地だった筑波山神社周辺を訪ねても、寺跡すら見つけにくく徳一についての手掛かりは皆無に近い。

「そのせいか、筑波の徳一研究はあまり進まなかった」と内山さん。30年の間に、西谷隆義さん(故人)や保立道久さん(東大名誉教授)が論考を著すなどしているが、単発的で会津に比べると体系化されてこなかった。「自動車免許を返納し、歩き回るのが難しくなった機会に今一度資料をまとめ直したかった」という。

知足院中禅寺の流れを汲み、本堂・客殿の新築工事を行ってきた筑波山大御堂(おおみどう)が2020年春には完成の見通しになっている。これを機に徳一評価の機運がふたたび高まることを期待している。

◆内山純子『古代東国の仏教 – 法相宗徳一の教化を中心に』(青史出版刊、四六判、131ページ、本体価格3800円)

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)