【伊達康】中学では学校の軟式野球部ではなく硬式クラブチームを選択。茎崎ファイターズでバッテリーを組んだ石川竜聖(竜ケ崎一)と一緒にまだ創設されたばかりの取手リトルシニアに3期生として入団した。ただ、自宅から練習場までは車で抜け道を通っても30分以上かかった。「駅まで遠くて自力で通うことができないので、毎日の送迎では親に大変な苦労をかけた。石川の親と交代で送迎してもらってお互いの負担を減らして。そうでもしなかったらとても続けられなかった」
取手リトルシニアに入ってからも叱られながら野球に取り組む日々だった。「小学生の時も毎日叱られたが、シニアではその比にならないくらい叱られた。もう何をやっても叱られる感じ。言われ続けてようやく気付いてできるようになることってありますよね」
「よく『叱られて伸びるタイプはタフなだけ。褒められればもっと伸びていた』という人がいますが、僕の場合は叱られなければ伸びなかった。叱られて自分ができないことが身に染みて分かる。だから悔しくてさらに自ら練習するから伸びるのではないか。もし褒められていたとしたら調子に乗って自分から練習していない。言い続ける指導者も大変だったと思いますよ。本当に毎日罵声ですもん(笑)。でもそのおかげで人間的にも野球に取り組む姿勢も成長できた。シニアで僕の人間としての礎を作ってもらった」
同期は30人。仲間と切磋琢磨(せっさたくま)しながら、指導者に励まされながらの取り組みは大いに結実した。のちに高校3年夏の決勝で甲子園をかけて対決することになる根本文弥(藤代―東洋大4年)が4番打者。その後高校まで同じ釜の飯を食べた菅原直輝(霞ケ浦―白鴎大4年)がショート。今や東京6大学のスター選手で今年のドラフト候補でもある柳町達(慶應義塾高―慶應義塾大3年)が1学年下ながらもレギュラーと、そうそうたるメンバーを擁して3年の全国選抜大会で初優勝を果たした。もちろんエースは上野である。「その年のジャイアンツカップ(中学硬式クラブナンバーワンを決める大会)にも出場できたんですよ。取手リトルシニアの11年の歴史において、ジャイアンツカップに出場できたのは唯一、僕らの代だけなのでちょっとした自慢です」と表情を緩ませる。
=続く