【コラム・高橋恵一】医療現場の医師、学校の教師、始業時間や終業時間のけじめもなく仕事の成果が量で測れない労働者、時間外労働が際限なく課される職場、休日も休暇も取れない人々のことが課題になり、過労死や家庭の崩壊などの具体的な犠牲者が出て、国として、働き方改革に取り組むことになった。

その中で、断片的だが、文部科学省が取り組む、学校の「先生」の働き方改革は、興味深い。1年前に文科省から示された「学校における働き方改革に関する緊急対策」によれば、これまで学校・教師が担ってきた代表的な業務について、その在り方を検討し、①基本的に学校以外が担うべき業務②学校の業務だが、教師が担う必要のない業務③教師の業務だが、負担軽減が可能な業務―に分けている。

①は、登下校の見守り、放課後・夜間の見回りや児童生徒が補導された時の対応、学校徴収金の徴収・管理、地域ボランティアとの連絡調整―などが例示される。②は、調査・統計等への回答(事務職員の仕事)、児童生徒の休み時間の対応(輪番、地域ボランティアの対応)、部活動(教師以外の指導員)を例示。③は、給食時の対応、授業準備(補助的業務のスタッフ)学校行事の準備・運営(事務職員、外部委託)、進路指導(事務職員、外部人材)、支援が必要な児童生徒・家庭への対応(専門スタッフとの連携・協力)が例示されている。

なるほど、学校の先生が多忙なことはよく分かる。特に、部活動への関わりは、教師の負担の極みであろうと思う。しかし、これらの例示の全体を見ると、教師の仕事は何なのだろう。休み時間も除いた、授業時間にだけ教科を教える。児童生徒の個性や、家庭環境や、地域社会での置かれ方も重要視しない、教科書内容の一方的伝達マシーンが、最も望ましい教師の働き方ということか。

教育にかける予算が決定的に足りない

以来、子どもたちは、学校・教師との出会いで、知識を身につけるとともに、人間的に成長して来た。授業時間以外に、児童生徒自身や家庭を含む周辺環境との関わりを持つことも、教師の役割の重要な要素であろう。そのために、教師の給与は、その名目分だけ上乗せされている。

学校教育の望ましい姿は、先進国に沢山ある。結論から言えば、先生の数が足りない、学校事務員も効率化のためとして減らされている。教育にかける予算が決定的に足りない。日本の教育にかける予算の国際レベルは、目を覆うばかりである。

学校教師の働き方改革の方向は、地域や外部ボランティアに負担を移転するのではなく、教師や学校職員を増やし、学校の体制を強化して、疲弊する教師の業務量を減らすことであろう。子どもとの接し方は、むしろ強く、深くなる方向にすべきだ。教師や医者の働き方改革の必要性も、外国人労働者の導入が必要な人材不足も、人件費、つまり給料の改善が必須だ。その、安い分野は、公的支出を増やすことしかなく、その改善は、労働者全体に拡大する。

日本の1人当たり年間総労働時間、1人当たりのGDP、1人当たりの労働生産性のいずれの国際比較も、全ての指標が、日本の個人所得の低さを示しており、労働環境の悪さを示し、格差社会の拡大を示している。この論点は、別の機会に述べたいが、日本の税財政体系を変えなければ、働き方改革も政府の他のスローガンのように、実現しないし、長期的な経済成長にならない。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)