木曜日, 6月 12, 2025
ホーム土浦【戦後73年の記憶】5 谷底に消えた戦友、凍死、餓死の光景まぶたから離れない 大澤彌太郎さん(99)

【戦後73年の記憶】5 谷底に消えた戦友、凍死、餓死の光景まぶたから離れない 大澤彌太郎さん(99)

【谷島英里子】「ジャワは極楽、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われた東部ニューギニア戦線。「あと1週間遅かったら、第2玉砕命令が出て生きては帰れなかっただろう」と遠くを見つめる。

1919(大正8)年、土浦に生まれた大澤弥太郎さん(99)。旧制県立水戸商業高校を卒業後、家業の文具店を継いだ。39年、徴兵検査に合格し宇都宮の師団に入営、下士官となる。やがて満州へ出征し、その後東部ニューギニアへ渡った。「軍からの命令だけで、この地では地図もない、大砲も弾薬もなく、食糧さえも敵地から調達しろというもので、どうやって戦ったらいいのかわからない状態だった」。

43年8月、第51師団長中野英光中将から玉砕命令が出た。全員自滅するということだ。もはや生きては帰れないと考えた。しかし、これが転進命令に変わった。周りを敵地に囲まれているため、敵のいない方へ退却する。この退却がまた試練の始まりだった。

それは現地の住民でも登らない標高4000㍍を超えるサラワケット山を越えるもの。ジャングルを越えると長野県の日本アルプスのように険しい山が立ちふさがる。濁流が流れる川では工兵が木を切り倒し川に橋をかけ、岩肌の道なき道では工兵が先に垂らしたロープを頼りに進んでゆく。一歩間違えば深い谷底に落ちてしまう。大澤さんは目頭を押さえながら「山頂寸前の絶壁で力尽き谷底へ消えていった戦友、凍死、餓死、その光景はまぶたから離れない。そこはまさに地獄でした」と声を震わせた。

野宿を繰り返すうちに悪性のマラリアを患い毎日40度を超える熱にうなされた。このままでは生きては帰れないと考えた。軍医に責任を取れないと断られたが、無理に頼み静脈注射をすることで幸運にも生き延びた。1カ月の山越えで1000人以上の兵隊が息途絶えたという。険しい山で、軍支給の地下足袋はたった2日で底が抜けた。亡くなった戦友に手を合わせ靴を履き替えたこともあった。生きていくために必死で、食べ物はサゴヤシの根本を鉄板で焼いたりして餓えをしのいだ。口に入るものなら何でも食べた。

45年8月15日、2回目の玉砕命令が出たこの日、米軍飛行機がまいたビラで終戦を知り、思わず「万歳」とかみしめたという。

大澤さんは靖国神社で毎年7月に開催される戦没者慰霊行事「みたままつり」に参加し、30年間お参りを続けている。戦後70年余りを過ぎて戦争を知らない子どもや、大人が増えてゆくなか、2017年に戦争体験やその後の人生を記した本『東部ニューギニア戦の我が半生』を自費出版した。「私は幸いにも日本に帰還できたのだから、戦争の過酷さと愚かさ、そして、戦友たちの無念さを後世に伝えていかなければ」と語気を強める。

幹部候補生のころの大澤さん

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

華やかに「花の産地つちうら」をPR 市役所など3カ所に展示

父の日に贈って 「花の産地つちうら」をPRし、15日の父の日には花を贈ってもらおうと、土浦市は11日から、市役所本庁舎1階エスカレーター付近と、江戸時代の蔵を改装した市の観光拠点まちかど蔵大徳(同市中央)、サイクリングの休憩所りんりんポート土浦(同市川口)の3カ所に、土浦産のグラジオラスやアルストロメリアなどの切り花を展示している。17日まで。 同市は北部の今泉地区などを中心に花き栽培が盛んだ。特にグラジオラスは全国有数の産地で、1990年に花きでは初めて県の銘柄産地に指定された。別名ユリズイセンと呼ばれユリを小さくしたような色鮮やかなアルストロメリアは銘柄推進産地に指定されている。ほかにヤナギ類や小菊、バラ、カーネーション、フリージアなどが生産されている。 2020年の市内の花き農家は54戸で、産出額は5億8000万円だった。2024年度にJA水郷つくばに出荷されたグラジオラスは約233万だったという。 市役所1階にはグラジオラス、アルメリア、ヤナギ類などが華やかに飾り付けられている。まちかど蔵大徳とりんりんポートはグラジオラスとアルストロメリアなどが展示されている。花はJA水郷つくばから購入した。飾り付けの委託費などを含め事業費は約30万。 12日、市役所を訪れた女性は「土浦でグラジオラスを作っているとは知らなかった」「華やかできれい」などと感想を話していた。 市農林水産課の岡野礼奈さんは「市役所ロビーは、華やかになるようにと依頼し業者に委託して飾り付けを行った。ほかの2カ所は職員が展示し、グラジオラスとアルストロメリアが市内で作っている花だと知っていただき、親しんでいただきたいという思いで飾った」と語った。同課の薬師寺尚哉さんは「土浦は花の栽培が盛ん。花の産地として認知度がもっと上がり、父の日に土浦市で生産された花を贈っていただけたら」と話す。(伊藤悦子)

「モーカフェ」を運営する光畑さん《日本一の湖のほとりにある街の話》33

【コラム・若田部哲】つくば市の、大通りから少し入った静かな住宅地の一角、屋上に柔らかな草が茂る印象的な建物が建っています。エントランスに一歩足を踏み入れると、間仕切りなくゆるやかに奥へと続く、中庭に開かれた開放的な空間。天井にはゆったりとドレープ(ひだ)を描いて張られた布、中庭にはたくさんの丸ガラスがはめられた大きな青色のドーム。不思議でありながら、じんわりと心地よさがこみあげてきます。 ここは、授乳服の製作・販売を行う「モーハウス」が運営する「モーカフェ」(つくば市山中480-38)。画期的な授乳服をはじめ、乳児同伴で働く「子連れ出勤」などの先進的な取り組みで、女性の生活をより快適にし続けてきた同社について、代表の光畑由佳さんにお話を伺いました。 モーハウスの授乳服は、巧みにスリットを入れた構造により、赤ちゃんが母乳を欲しがった1秒後には授乳できる優れもの。しかも、はた目には赤ちゃんを抱っこしているようにしか見えません。この素晴らしい衣服を生み出した光畑さんですが、そのキャリアのスタートはアパレルからではありませんでした。 大学卒業後、大企業で美術展企画などに携わる中、転機となったのが、生まれて間もない我が子と電車に乗っていた際、お腹が空いた赤ちゃんが泣き出してしまったこと。やむを得ず、電車の中で周りの視線を浴びながら授乳せざるを得なかった体験から、「着られる授乳室」があればと思いたち、どこでもすぐに授乳できる服を作り始めたのだそうです。 光畑さんご自身が使ってみて、あまりの使いやすさと快適さに驚いたという商品は、しかし、当初の売れ行きは芳しくなかったそうです。ですが、「赤ちゃんが欲しがったらすぐに授乳できる」「肌が露出せず、周りを気にせず授乳できる」といった独自のポイントを示すための「授乳ショー」の開催などにより、当時は存在しなかった「外出時に着られる授乳服」の認知も高まり、売れ行きも向上。 デリケートな妊産婦さんの肌に心地よいようつくられた製品は、高齢者や乳がんを患った方にも広く受け入れられるようになっていきます。また、乳児同伴で、抱っこしながらの勤務スタイル「子連れ出勤」が様々なメディアで紹介され、製品と共に、女性の新しいワークスタイルを示すフロントランナーとして脚光を浴びてきました。 お母さんが快適になれる授乳服 時は経ち、2025年の現在。モーハウスが創業した1997年から約30年間で、日本の育児環境は、少しずつではあれども変化してきました。そうした変化についてお考えを伺うと、「教育や医療の無償化など、制度的な部分の改善は進みました。ただ、それで子育てが楽しくなっているか、疑問に思う部分もあります」と光畑さん。 「今は、子育てがスマホのアプリで行われ、授乳時間まで『管理』されるものになってしまいました。ですが、子どもの不確実性は『管理』という考え方にはなじまないものです。数字、データをつければつけるほど、お母さんたちは『母親はこうあらねば』と苦しくなってしまいます」 光畑さんの「女性を快適に」という思いの先は、女性だけでなく男性にも向けられます。「女性がより快適に生活するために、女性自身の中の『こうしなければならない』という思いをなくしていきたい。そして、そこで重要な役割を担うのが男性です」 「日本のお母さんは、真面目でガマンしてしまいがち。自分が快適になれる授乳服を見ても、『もったいないからいらない』となってしまいます。そこで、『楽になるなら、ぜひ買えばよい』と背中を押せるのは、むしろ男性なのです」 そうして、妻が楽になり機嫌がよくなれば、夫もうれしく楽しい。「女性が、より自分らしくいられるように」。一貫した思いで貫かれている光畑さんの取り組みは、女性だけでなく男性も包み込み、皆が笑顔でいられる道を指し示しています。(土浦市職員) <注>本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。 ➡これまで紹介した場所はこちら

集中豪雨に台風並み強風加え 極端気象を再現 つくば防災科研

自然の降雨状態を再現する装置としては世界最大級という防災科学技術研究所(つくば市天王台、宝馨理事長)の大型降雨実験施設に、毎秒20メートルを上回る強風を人工的に発生させる機能が新たに追加され、台風レベルの暴風雨環境を体感できる実験が11日に報道陣に公開された。 大型降雨実験施設は、豪雨を原因とする自然災害の防止・軽減を目的に、1974年から運用している防災科研ご自慢の施設。局地的に大雨をもたらすゲリラ豪雨に対する社会的な関心の高まりに応じ、2013年度には降雨強度を1時間に300ミリまで再現できるように機能強化を図った。 バケツをひっくり返したような雨、叩きつけるような雨を再現して、わが国では他に類例のない実験施設となったが、線状降水帯など極端な気象現象がみられるようになった近年、「風」を加えた暴風雨環境の再現が求められていた。 今回大型降雨実験施設内に設置されたのは、最大風速毎秒20メートルを上回る強風を人工的に発生させる装置。大型送風機を4機内蔵し、幅3メートル、高さ3メートルの吹き出し口に集中させ、秒速1〜25メートルの風速で稼働する。さらに降雨装置を同時に稼働させることで、台風レベルの暴風雨環境の再現を可能にした。 11日の公開実験では、今までに日本で記録された10分間雨量の最大値相当である50ミリ(1時間当たり300ミリ相当)の雨と同時に、毎秒25メートルの風を吹かせた状況を再現した。横殴りの雨、強風装置の吹き出し口には容易に近づけない極端気象の環境となった。 防災科研の酒井直樹大型降雨実験施設研究推進室長は「線状降水帯の場合、積乱雲が急速に発達することで雨も大粒になり強くなる、さらにダウンバーストという風も起きるので、一緒の環境を再現してみないと防災研究の観点からは不十分といえる」という。 大型降雨実験施設ではこれまで、大型模型斜面を用いた土砂災害軽減研究、土砂浸食に関する研究、「耐水害住宅」の実物大建物浸水実験の研究など、基礎から応用まで幅広い研究が進められている。施設は5つの実験区画と移動降雨装置などから成り、散水面積は44×72メートルの広さ、天井部に総数2176個の降雨ノズルがあり、粒径0.1から6ミリで調整した雨滴を16メートルの高さから落下させている。 防災科研によれば、この機能強化により今後、民間企業等と協働して従来の豪雨災害のための実験に加え、暴風雨環境下でも稼働が可能なドローンや自律走行が可能な車の実現などに寄与することが期待されるとしている。(相澤冬樹)

左足の骨折から4カ月《ハチドリ暮らし》50

【コラム・山口京子】左足の骨折から4カ月が経ちました。治ってきたものの、体力、気力、筋肉の低下に驚いています。歩ける距離が短くなりました。歩き方はゆっくりというか、オタオタというか。以前は重たいと感じなかった掛け布団が重く感じられます。疲れやすくもなりました。これらはフレイル(虚弱)の症状ではないかと不安になっています。 だんだんと老いるのか、病気やケガをきっかけに急に老いが進むのか。年をとるほど健康状態の個人差が開くのが分かります。普段の暮らしを持続させるため、意識的に体のことを考えないといけないと…。体力や筋肉を取り戻すには、まずは歩くこと、食事をしっかりとることでしょうか。 昨年は65歳以上の高齢者が3625万人になったそうです。要介護認定を受けた人が約700万人。長生きすればするほど、介護が必要になる人が増えます。その原因は、認知症、脳血管疾患、骨折・転倒、高齢衰弱、関節疾患などです。 一番多い認知症ですが、昨年、「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が施行され、新しい認知症観が提起されました。「認知症になっても、一人ひとりが個人としてできることややりたいことがあり、住み慣れた地域で仲間などとつながりながら、希望を持って自分らしく暮らし続けることができる」ことを掲げています。 そして7つの基本理念のもとに、認知症本人の意思を尊重することを地域や家族に求めています。認知症と診断されても症状は多様ですし、軽度から重度まで幅広く、一人ひとりに寄り添った対応が大事になるでしょう。 親や連れ合いの認知機能が衰えた場合、間違ったことを言ったとしても否定しない、急かさない、話を合わせ、できるだけ落ち着いてもらう。そして、できることは続けてもらう。それが本人も家族も穏やかに暮らせるヒントかなと…。 平均寿命、平均余命、死亡ピーク 自分は何歳まで生きるのかしら?と思ったとき、厚生労働省が出している2023年簡易生命表の概況を見ました。 平均寿命(ゼロ歳の赤ちゃんがこれから生きるであろう寿命)は男性が81歳、女性が87歳です。平均余命は、例えば70歳の人なら、男性はあと15年、女性はあと19年生きるそうだと。80歳であれば、男性はあと8年、女性はあと11年生きるそうです。死亡ピーク年齢は男性が88歳、女性が92歳となっています。 まだまだ山あり谷ありのことでしょう。大事なのはこれからの人生をどうしていくかという心構えでしょうか。(消費生活アドバイザー)