月曜日, 12月 29, 2025
ホームスポーツ【高校野球茨城’18】常総コールド発進 霞ケ浦は鬼怒商と競り合う

【高校野球茨城’18】常総コールド発進 霞ケ浦は鬼怒商と競り合う

【池田充雄】第100回全国高校野球選手権茨城大会は12日、大会5日目に入り2回戦に突入した。土浦市川口のJ:COMスタジアム土浦ではシード校の常総学院と霞ケ浦が、共に初戦を勝ち上がった。

常総、つなぐバッティングで4回13安打

【常総学院-佐竹】常総の持ち味の足をからめた攻撃も。この日5盗塁のうち手塚(16番)は2盗塁を挙げた

春季大会優勝の第1シード、常総学院は、佐竹に10-0と5回コールド勝ち。初回、先頭の二瓶那弥主将が四球で出るとすかさず二盗を決め、二番・水野勢十郎の左前二塁打で先制。2回には七番・手塚悠と九番・菊地竜雅の2安打で1点追加。3回は6安打と1死球で6点を挙げ、4回にも2安打とボークで2点を加えた。

特に水野は、3回の2点三塁打を含む3安打3打点の活躍。「まずは塁に出ることを意識している。今日は(四回の死球も含め)4打席とも出塁できた。次もチャレンジ精神で自分が出てかき回し、周りにつなげていきたい」

二瓶主将は「チームでつなぐバッティングができ、目標の5回コールドを達成させ、いい入りをした。今年は打ち勝つチームと言われているが、それだけで上がれるほど甘くはない。大型打線でもここぞというときは細工を決めて1点を確実に取る」と、常総らしさは今年も健在だ。

先発の菊地竜雅投手は4回を投げて1安打5三振。佐々木力監督も「100点満点。一つ一つのボールにキレがあり、コンパクトに打ってくる相手打線を封じ込めた」と高評価だ。菊地は登録選手中唯一の1年生であり、公式戦では初登板。「スタンドに人が大勢いるのを見て緊張したが、自分は1年なので、気にせず楽しく投げようと、目の前の試合に集中した。1つ1つアウトにすれば結果がついてくる」と、最高141㎞のストレートを軸に役目を全うした。常総学院は次戦、16日に総和工と対戦する。球場未定。

【常総学院-佐竹】この日が公式戦初先発となった1年生投手・菊地竜

 

霞ケ浦、我慢比べ制し終盤に突き放す

春季大会4強の霞ケ浦は鬼怒商に6-2の勝利。春の主戦を務めた福浦太陽が先発し、5回までヒットを許さず三振と内野ゴロの山を築いた。

【霞ケ浦-鬼怒商】7回を2失点に抑えた霞ケ浦の先発・福浦投手

攻撃では初回に1番・天野海斗、2番・森田智貴、3番・小儀純也の3連打で2点を奪うが、その後は鬼怒商先発・廣瀬昂大投手の術中にはまり、5回終了まで1安打に抑え込まれる。

高橋祐二監督は「相手投手は、カウントを稼ぎに来る、右打者の中へ入ってくる緩いボール。これをどう打つんだと。本人たちの奮起が必要。この試合がお灸(きゅう)になればいい」と、試合後も苦い表情。

鈴木和樹主将は「体が開いてレフトフライやショートゴロが増えてしまい、それを試合中に修正できなかった。初戦を終えたので気を取り直し、個人としてもチームとしても調子を上げて、自分たちの野球をしていきたい」と反省する。

【霞ケ浦-鬼怒商】4回表、鬼怒商・木村の二盗を霞ケ浦が阻止。遊撃手・森田

霞ケ浦は6回に横田の左前二塁打で1点を加え、手詰まりを抜けたかに見えたが、7回表にピンチを迎える。1死満塁から中犠飛と左前打で1点差。だが福浦は「同点まではOK。気楽に行けよ」との鈴木主将のアドバイスに支えられ、後続を絶って反撃を待つ。

そして7回裏、森田の殊勲の一打が飛び出す。大会16号となる2点ランニング本塁打。「つなぐイメージで長打になった。ライトがクッションの処理を誤ったのを見て、三塁まで行けると思ったら、三塁コーチが大きく手を回していた」

8回からは鈴木寛人投手がマウンドへ。けがで2カ月半戦列を離れていた期待の長身右腕の復帰は、チームにも良い刺激になりそうだ。霞ケ浦の次戦は16日、多賀と対戦する。

【霞ケ浦-鬼怒商】7回裏1死二塁、森田のライトへの打球が2点ランニング本塁打になる

 

第100回全国高校野球選手権茨城大会 2回戦(7月12日、J:COMスタジアム土浦)

佐竹 0 0 0 0 0 0
常総学院 1 1 6 2 × 10

※5回コールド

バッテリー
佐竹:鈴木飛、藤田-海老原、中村
常総学院:菊地竜、岡田、塙-草部

長打(すべて常総学院)
三塁打:水野
二塁打:水野2、斉藤、野澤

 

鬼怒商 0 0 0 0 0 0 2 0 0 2
霞ケ浦 2 0 0 0 0 1 2 1 × 6

バッテリー
鬼怒商:廣瀬-古谷
霞ケ浦:福浦、鈴木寛-鈴木和

長打
本塁打:森田(霞ケ浦)
三塁打:森田(霞ケ浦)
二塁打:菅野、横田、天野、黒田(霞ケ浦)、萩原(鬼怒商)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

認知症の理解《メディカル知恵袋》13

【コラム・廣木昌彦】認知症は誰もが発症する可能性のある大変身近な脳の病気です。「考える」「認識する」「記憶する」などの脳の機能が、病気やけがなどで悪化して、日常のさまざまなことに助けが必要な状態をいいます。認知症の最大のリスクは加齢で、超高齢化が進んでいる日本では、2025年には認知症の患者は最大で730万人で、65歳以上の高齢者の5人に1人に達すると厚生労働省の調査で推計されています。症状が進むと家族や社会の問題へとつながるため、一人ひとりが認知症を自分自身の問題として正しく理解しておくことが大切です。 加齢と認知症:物忘れの違い うつ病などの精神科の疾患や多くの高齢者に見られる加齢による物忘れは認知症ではありません。加齢による物忘れと認知症による物忘れは以下のように違います(表1)。 認知症の原因 認知症の原因となる疾患は、アルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)、レビー小体病(レビー小体型認知症)、脳梗塞や脳出血などの脳血管障害の3つが大半を占めます(図1)。アルツハイマー病とレビー小体病は脳の神経細胞が緩徐(かんじょ)に変性し脱落していく病態です。アルツハイマー病は認知症の最も頻度の高い原因で、脳にアミロイドβという特殊なたんぱく質がたまり、それが神経細胞を破壊して、認知症の症状を出現させる病気です。 レビー小体病は脳の神経細胞にレビー小体という異常なタンパク質がたまることで、認知機能が低下する病気です。レビー小体型認知症は運動機能が低下するパーキンソン病と病態が共通することが分かっています。脳梗塞や脳出血に関連した認知症は血管性認知症と言われ、血管の閉塞(脳梗塞)や破綻(脳出血)により脳組織が破壊されることにより生じます。脳のさまざまな場所に起こり得る病態ですので、脳の機能障害もさまざまで、「まだら認知症」といわれています。 認知症の診断 認知症の診断は、日常生活や職場の様子などの問診が重要なため、診察時にはご家族に同席していただきます。認知機能低下の評価として、質問に答えていく形式の検査を行います。さらに血液検査と頭部CTまたはMRI検査を行うことで、根本的治療が可能であるビタミンB欠乏症、甲状腺機能低下症、正常圧水頭症、慢性硬膜下血腫などが診断され、血管性認知症は通常、頭部MRIで診断されます。 これらの疾患が該当しない場合は、頭部CTまたはMRIで脳の萎縮(やせ)や脳梗塞、脳出血などについてさらに詳しく評価し、その結果アルツハイマー型認知症またはレビー小体型認知症が疑われる場合は、最終診断のために脳血流スペクト検査に進みます(図2)。この検査は脳の機能を画像化および定量化するものです。レビー小体型認知症の診断のためには、必要に応じて「MIBG心筋シンチ検査」「DATスペクト検査」という検査を追加します。 認知症の治療 現在のところ認知症を治癒させるものはありません。アルツハイマー型およびレビー小体型認知症に対しては進行を止めることは困難ですが、薬物治療で進行を遅らせることは可能です。現在日本では、アルツハイマー型およびレビー小体型認知症に対して、進行の抑制を目的としたいくつかの内服薬と貼付薬および注射薬が保険適応となっています。また近年、アルツハイマー型認知症に対し、「レケンビ」「ケンサラ」という2つの点滴製剤が保険収載されました。 どちらの薬剤も進行を遅らせる効能ですが、アルツハイマー病の原因とされる脳内にたまったアミロイドβを除去する作用があり、大変注目されています。この治療を実施するためには、施設と医師の要件が定められており、茨城県でもいくつかの限られた病院のみ治療実施が可能です。 さらに薬価が高く、患者さんの自己負担費用が、年間10数万円から100万円程度となることが問題ですが、「レケンビ」は今後薬価が引き下がる予定であり、自己負担が軽減されることが見込まれています。血管性認知症も根本的な治療はありませんが、進行予防は可能です。高血圧や糖尿病などの血管危険因子のコントロールや抗血栓薬の内服などで脳梗塞や脳出血の再発を予防することが重要です。 認知症疾患医療センター 認知症は経過とともに、せん妄、抑うつ、興奮、焦燥などの精神症状(心理行動症状)が伴い、介護者または家族に大きな負担となります。しかし、このような症状は適切な内服薬で安定させることが十分可能ですので、担当医師に適切にその状態を伝えることが重要です。 そして認知症の患者さんは、自動車の運転、徘徊(はいかい)や行方不明、虐待、詐欺などの被害、自宅のゴミ屋敷化など、さまざまな問題があり、これらの対策として介護保険サービスが活用されています。介護保険サービスは、主治医、社会福祉士、ケアマネジャー、保健師を含め包括的に支援に取り組む地域包括支援センターで相談することができます。また、認知症の医療相談や診察に応じる認知症疾患医療センターが各地域に設置されています。 当院はこのような介護と医療のシステムを十分利用し、患者さんを取り巻く問題を解決してまいります。(筑波メディカルセンター病院 脳神経内科 専門部長)

山本五十六元帥と土浦 いくつかの符合(2)《文京町便り》47

【コラム・原田博夫】前回コラム(11月23日掲載)では、慶應義塾塾長・小泉信三(1888~1966年)の一人息子・信吉(海軍主計中尉、1942年10月22日の戦没後大尉進級)に関連して、信三博士の交友・人脈のうち、旧制土浦中学(現土浦一高)卒の武井大助氏(1887~1972年、海軍主計中将などを歴任)との交誼(こうぎ)に焦点を当てた。今回は、信吉中尉への各般の弔問・弔意の中から、土浦に関連がある2人に目を向けてみたい。 1人は、信吉氏が乗船していて轟沈(ごうちん)した戦艦・八海山丸の艦長・中島喜代宣大佐(戦没後少将)である。北品川の小泉邸へ弔問に数回訪れた武井氏が小泉博士に語ったところによれば、中島艦長は武井氏と中学時代の同級生(土浦中学第3回生、1904年3月卒)だったとのこと。 小泉信三「海軍主計大尉 小泉信吉」(私家版1946年刊、文藝春秋版1966年刊、文春文庫版1975年刊)によれば、八海山丸艦長の夫人・中島まつ子は、夫とともに戦死した信吉・海軍主計中尉の報に接し、1943年1月、次男の宣二(海軍少尉)とともに小泉邸を弔問に訪れ、夫君の出発日朝の様子などを語っている。 数日後、信三博士自身も上落合の中島邸を訪れている。帰宅後に受け取った海軍省人事局長からの速達便には、子息・信吉の海軍主計大尉進級が官記されていた。 この交流には、中島大佐と土浦中学で同窓だった武井氏が介在していたことが推測できる。中島大佐と土浦中学同窓だった武井海軍主計中将は、東京高商(現一橋大学)在学時、福田徳三博士宅で開かれていたアダム・スミス輪読会で信三博士と懇意となり、これが二人をつなぐことになった。 対米開戦直前、霞月楼に礼状 2人目は山本五十六元帥(1884~1943年、戦没後授与)である。山本元帥は1924年、霞ケ浦航空隊(いわゆる予科練)副長として赴任し、航空部門を中心とした海軍力の強化を図った。酒はダメだが酒宴は嫌いでなかったようで、しばしば、土浦市内の料亭「霞月楼」を訪れていた。 当時の若い海軍兵たちの酒宴はかなり乱暴だったようで、霞月楼に今でも保管されている山本元帥の礼状(真珠湾攻撃直前の1941年12月5日付、連合艦隊旗艦長門から)には、無礼講(ぶれいこう)へのお詫びとともに、自分にとっては「最後の御奉公」と記されている。この間の事情は、故堀越恒二(霞月楼元社長)著「記念誌:霞月楼100年」(非売品)に記されている。 山本元帥は信三博士とも交誼があり、元帥からの手紙(1942年11月尽日付、開封は12月21日)には、謹呈された信三博士著「師・友・書籍 第二輯」への礼のあとに、令息(信吉主計中尉)戦死への悔やみが述べられ、自分も「最後の御奉公」に取り組んでいる旨が記されている。元帥も、和歌では武井主計中将(1965年、歌会始の召人)を先達としていたようで、そのことも「海軍主計大尉 小泉信吉」で言及されている。 信三博士は、山本元帥が知友・武井氏と趣向が同じ点でも、元帥に親近感を抱いていたようである。1943年5月21日、慶應義塾教職員俱楽部で山本連合艦隊司令長官戦死のラジオ放送を聞いた時には(実際の死没は4月18日)、満腔(まんこう)の敬意をもって、塾生に知らせるよう指示した。ちなみに、第一艦隊司令長官は、1941年8月、山本海軍大将から、武井大助氏や中島喜代宣氏と同級の高須四郎海軍大将(1884~1944年)に替わっている。これも符合の一つである。 私の(母方)祖父から伝承された「手本とすべき先輩たち」の話に導かれ、小泉信三「海軍主計大尉 小泉信吉」は、私にとっては無視できない符合がいくつか重なった。それらを個人的な記憶として風化させるべきではないと考え、2回にわたり記した次第。(専修大学名誉教授)

里山収穫祭 大人も子供もダンス《宍塚の里山》131

【コラム・古川結子】11月23日、土浦市の宍塚の里山で行われた「秋の収穫祭」で、ダンス企画が行われました。私は、法政大学公認の環境系ボランティアサークル「キャンパス・エコロジー・フォーラム」(略称 キャンエコ)の活動として、収穫祭の運営補助をする中で、サークルのオリジナル曲に合わせて踊る機会をいただきました。 「宍塚の里山」はキャンエコのメーン活動の一つであり、普段は毎月第4日曜日に宍塚を訪れ、環境保全活動を行っています。 このダンス企画が始まったのは、昨年4月に行われた「春の収穫祭」からです。バレエやダンスに親しんできた私に対し、里山でキャンエコの活動をサポートしている「宍塚の自然と歴史の会」の齋藤桂子さんが提案してくださったことがきっかけでした。そこから、収穫祭では、はやりの曲に合わせて地域の子供も大人も一緒になって踊ってきました。 そして今回、秋の収穫祭に向けた準備の中で、齋藤さんから「ぜひキャンエコでオリジナルのダンスを作ってほしい」と言っていただきました。卒業を控えた自分にとって、この言葉はとても大きく、思い切ってオリジナル曲の制作と振り付けに挑戦することにしました。 歌詞は、サークルの仲間と協力して書き上げ、AIを使って曲を完成させました。振り付けは子供から大人まで踊れるように意識しました。 里山で生まれた一体感 「踊る」という行為は、慣れない人には少し恥ずかしく感じるかもしれません。それでも、音楽に合わせて身体を動かす楽しさを、少しでも感じてもらえたらという思いがありました。 当日、最初は遠慮がちに周りで見ていた大人の皆さんも、学生や子どもたちにつられるように輪に入り、楽しそうに踊っている様子を見て、とてもうれしかったです。踊り終わったころには、初めて会う人同士でも距離が縮まっているのが、ダンスのすごいところであると感じました。 宍塚の里山は、多くの人の手によって守られています。今回の収穫祭でのダンスが、里山の存在やキャンエコの活動を知るきっかけになっていたら幸いです。みんなで踊った様子は動画として記録し、YouTubeにも公開しています。これをご覧になり、里山で生まれた一体感を、多くの方に感じていただけたらと思います。(法政大学キャンパス・エコロジー・フォーラム 4年) https://youtu.be/lr5EXHD-NLc?si=29c9cISMDT8rN0Tq

個人情報記載の住宅地図を誤配布 つくば市

つくば市は26日、同市谷田部、陣場ふれあい公園周辺の352世帯に、公園近隣の86世帯の名字など個人情報が入った住宅地図を誤って配布してしまったと発表した。うち2世帯は名字と名前が入っていた。 市公園・施設課によると、同公園でのボール遊びについて注意喚起する文書を、公園の位置を示す拡大した住宅地図を付けて周辺世帯に配布した際、本来、地図の個人情報を削除すべきところ、削除せず配布した。 23日午前10時~正午ごろ、市職員が公園周辺の352世帯に配布、2日後の25日、通知文書を受け取った市民から市に、住宅地図に個人情報が記載されている旨の電話があった。 市は26日、地図に個人情報が掲載された公園近隣の86世帯に対し謝罪の文書を配布。さらに周辺の352世帯に対し、23日配布した住宅地図の破棄を依頼する文書を配布したほか、個人情報を削除した住宅地図を改めて配布した。 再発防止策として同課は、個人情報の取り扱いや外部への情報提供の方法について見直しを行い、再発防止に努めますとしている。