【コラム・平野国美】大震災で崩壊した図書館で「いつも通り」に行動し、パニックに陥った周囲を動かしたKさん(7月4日掲載)。彼の不可解にも見えた行動は、実は人類がその内に秘めた「多様性」という希望の光だったのかもしれません。
その行動を理解する鍵は「神経多様性(ニューロダイバーシティ)」という考え方にあります。脳や神経の働き方は人それぞれに異なり、それを優劣や正常・異常で分けるのではなく、一つの「個性」として捉える視点です。私たちが「発達障害」と呼ぶものも、その多様性の一つの現れとされています。
Kさんの行動は、自閉症スペクトラム(ASD)の特性と重ねてみると、深く理解できます。一つは「ルーティンへの強いこだわり」です。ASDの特性を持つ人の中には、決まった手順や日課を厳密に守ることで心の安定を保つ人が多くいます。震災という非日常において、彼が「定時出勤・定時退勤」というルーティンを崩さなかったのは、それが彼の世界を支える柱だったからです。
そして、その「変わらない姿」が、結果的に日常を失った人々の心の拠(よ)り所となりました。
もう一つは「シングルフォーカス(一点集中)」という才能です。周りの混乱した「空気」や人々の感情といった、曖昧で複雑な情報を処理するのは苦手かもしれません。しかし、その分、目の前の「本を分類し棚に戻す」という明確なタスクに対しては、驚異的な集中力を発揮します。誰もが途方に暮れる中で、この才能が復旧への一歩を踏み出す力になったのです。
平時であれば、彼の「空気が読めない」「融通が利かない」といった特性は、社会生活を送る上での「弱み」や「困難さ」として映ったかもしれません。しかし、震災という危機的状況において、それらは「パニックに動じない冷静さ」や「秩序を回復させる実行力」という「強み」へと劇的に反転したのです。
「みんなと違う」ことが存在意義
これは、人類の生存戦略そのものとも言えます。考えてみれば、私たちの祖先が厳しい自然界を生き抜いてこられたのは、集団の中に多様な個性が存在したからではないでしょうか。
危険をいち早く察知し、衝動的に行動する多動(ADHD)的な人がいたから、捕食者から逃げ延びることができたのではないでしょうか。Kさんのように、どんな時も変わらぬ手順を貫き、集団の知恵や技術を安定して維持する自閉(ASD)的な人がいたから、コミュニティは崩壊を免れ、文化を次世代へとつなぐことができたのかもしれません。
「普通」という型に全員を押し込める社会は、想定外の出来事に対して非常にもろい可能性があります。Kさんの物語は、神経の多様性は決して欠点ではなく、予測不能な世界を生き抜くために人類が進化の過程で手に入れた「才能の宝庫」ということを教えてくれます。こう考えると、Kさんの存在意義は、彼が「みんなと違う」ことにあったと考えられないでしょうか。(訪問診療医師)