金曜日, 12月 5, 2025
ホームコラムお子様ランチ卒業式《短いおはなし》38

お子様ランチ卒業式《短いおはなし》38

【ノベル・伊東葎花】

パパと会うのは、いつも同じレストラン。
ピンクのテーブルクロスの真ん中に、可愛いキャンドル。
パパとママが仲良しだったころに、3人で行ったレストラン。
わたしはいつもお子様ランチを注文した。
小さなハンバーグとエビフライ。ニンジンは星の形で、ハートの容器に入ったコーンサラダとリンゴのゼリー。
プレートには夢がいっぱいで、パパとママも笑顔がいっぱいだった。

パパとママが離婚して、4年が過ぎた。
ママと暮らすことになったわたしは、月に一度パパと会う。
いつも同じレストランなのは、わたしがこの店のお子様ランチが好きだから。
……と、パパが思い込んでいるから。

正直もう、お子様ランチを食べるほど子供じゃない。
焼肉やお寿司の方がずっと好き。
だけどパパがうれしそうにお子様ランチを注文するから、言えずにいる。
「ユイ、学校はどうだ」
「ふつう」
「ふつうってなんだよ。いろいろ教えてくれよ」
パパの話はいつも同じ。ちょっとうんざりする。
「好きな男の子はいないのか」
うざい。いたとしても、言うわけないじゃん。
そろそろ月に一度じゃなくて、3カ月に一度、もしくは半年に一度くらいでいいかな……と思う。

食事のあと、パパが急に神妙な顔をした。
「ユイ、じつは今日、ちょっと話があってさ」
「なに?」
「うん、実はパパ、再婚することになって」
「えっ?」
「もちろん、再婚してもパパはユイのパパだ。何も変わらない。だけど、再婚相手の女性には、8歳の女の子がいてね」
「8歳…」
パパとママが離婚したときの、わたしの年齢。
「うん。だから、パパはその子の父親になる」
「ふうん」
「ちょっと体の弱い子でね、空気がきれいな田舎に引っ越して、一緒に暮らすことになったんだ」
「ふうん」
「だから、その…、今までのように、ユイに会えなくなる。もちろん、ユイが望むなら、パパはいつでもユイの力になるよ。でも、月に一度の面会は、ちょっと無理だな」
ふうん…。

「いいよ。わたしも中学受験で忙しくなるし、ちょうどよかった」
「中学受験するのか。大変だな」
「べつに、ふつうだし」
「またふつうか。今どきの子はふつうが好きだな」
パパが、拍子抜けしたような声で言った。わたしが泣くとでも思っていたのかな。

「デザート食べるか?」
「いらない。わたし、コーヒーがいい」
「コーヒーなんか飲むの?」
「うん。家でママと飲んでるよ。甘いジュースより、ずっと好き」
「そうか。もう、お子様ランチも卒業だな」
パパは、少し寂しそうに笑った。

強がって飲んだコーヒーは、やっぱり苦かった。
それでも精一杯大人のふりをした12歳のわたし。
何となく寂しくて、何となく悔しくて、「おいしかった」と言えなかった。
最後のお子様ランチだったのに。

街は鮮やかな緑であふれ、手作りのこいのぼりをかざした子供が通り過ぎた。
迎えに来たママに見られないように、帽子でそっと涙を隠した。
パパと過ごした最後の日、わたしはお子様ランチを卒業した。

(作家)

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