【コラム・斉藤裕之】冷蔵庫にはキャベツの残りがあって、この前安いニンニクもどっさり買ったので、今日の夕食は餃子にしよう。冷凍庫にあったニラも入れて餡(アン)を練って娘に声をかけた。「餃子包むの手伝って」。台所のテーブルに座って2人で餃子を包み始めた。
特に改まった話でもないんだけれど、娘にちょっと聞いておきたいことがあったので、手を動かしながら「あのねえ…」と切り出す。そのとき、よみがえった昔の記憶…。
ある台湾人の彫刻家。パリ郊外に家を買ってリフォームして住んでいるというので訪ねた。昼食は餃子を作って食べるのだという。「台湾のギョーザパーティーは餃子をみんなで包むところから始まるのよ。みんなでワイワイとおしゃべりしながら」と、奥さん。
彼は日本に留学していたことがあり、流暢(りゅうちょう)に日本語を話す。どこにでもあるガラスのコップをコロコロと転がして、手際よく皮を作って見せた。はっきりと覚えていないが、コップをうまく利用してできた皮は、少しお椀(わん)状になっていたように思う。見よう見まねの私は、おそらく不格好な皮を作ってしまったに違いない。
出来上がった小さめの餃子は、水餃子となってテーブルに運ばれた。特製のたれとの相性は抜群。「いくらでも食べられますね」というのは、こういうことなんだと実感した。
餃子首脳会談もお勧め
大学時代、彼とはラグビーでよく対戦したことがあって(美大リーグという底辺の対抗戦)、「あれがオール台湾、つまりナショナルチームのフルバックだったヤツだよ」と、先輩に教えられた。私はある試合で彼にタックルして、当たり所が悪かったのか、彼が救急車で運ばれることがあった。
パリでその話をしたら、彼はその時初めて、倒された相手が私だったことを知った様子だった。
パリを離れる日、彼が車で私たち一家をオルリー空港まで運んでくれた。そのとき次女はカミさんのお腹の中で8カ月目を迎えていた。彼はその後台湾に帰って、日本でも彫刻家として活躍しているようだ。それが分かったのは、ある年に配られた中学校の美術教科書に彼の作品が掲載されていたから。多分、彼は私のことをもう覚えていないと思うけどカ
「あのねえ…」。餃子を包みながらの次女との会話はごく自然にスムーズに進んだ。これからも、ちょっと面倒臭い話があるときは餃子を包もう。首脳会談とかも餃子を包みながらっていうのはどうか。みんな不器用そうだけど。(画家)