【コラム・斉藤裕之】「たなごころ」という優しい言葉があって、元は「手の心」から来た掌(てのひら)を指す言葉。この「こころ」を英語に訳そうとすると、spirit? Soul? mind? どれもちょっと違うような気がする。漢字よりもひらがなの「こころ」が似つかわしいと思う。
似た言葉に「絵ごころ」という言葉がある。日本語にはこの「こころ」が付いた言葉がたくさんあることに改めて気づく。母心、真心、幼心、気心、出来心…。
思い起こせば私自身、現代絵画に背伸びしながら首を突っ込もうとしていたころは、「こころ」なんていうおセンチな要素はあまり出番がなくて、それは当時「ナラティブ」とか「リリカル」などといわれて敬遠されたり、「メタファー」なんて曖昧な言葉でくくられたり、用語として使われる言葉はほとんどがカタカナや難しい漢字ばかり。
では、この「絵ごころ」というのは何かというと、それは俳句などの「詩ごころ」にも通じる「こころ」なんだと思う。普段何気なく見ている風景や季節、人の営みなどの中に何か見つけ、言葉にしていくような…。例えば、印象派の絵画が日本人にウケる理由のひとつは、この「絵ごころ」を感じ取れるからじゃないか。
「ええころじすと」
転じて、私が日々ダラダラと描いている「平熱日記」も、実は「絵ごころ」が描かせているのではないかと思えてきた。
そこで、「絵ごころ」というやや抽象的でモヤっとしたものと「ロジック」を合わせて、「えごころじー」というのを思いついた。ちょっと安っぽい造語だけど、我ながら気に入った。ついでに、「いいかげん」のことを私の故郷では「ええころかげん」と言うのだが、これをいい意味で「ええころじー」と名付けた。
自称「えごころじすと」とは恥ずかしくて言えないが、「ええころじすと」の資格は十分にある。
さて、国内屈指の現代絵画のコレクションで知られる川村記念美術館(千葉県佐倉市、半夏生の季節に妻とよく訪れた思い出深い場所)。折しも縮小移転が物議を醸している最中、友人に誘われるも体調不良でキャンセル。我々世代にとってのスーパースター達の絵画を「えごころじすと」の眼で改めて鑑賞したかったのだが…。
三寒四温。なじみのカフェで、温かいコーヒーの入った器に両手を添える。すると、それを作った人の「たなごころ」を感じる。「ピカソよりラッセンが好き…」というお笑い芸人のネタが頭に浮かんだ。(画家)