【コラム・先﨑千尋】一昨年10月に亡くなった記録写真家・柳下征史さんの写真展が、笠間市の日動美術館で開かれている。会場には、柳下さんが残した県内各地に残る茅葺(かやぶ)き屋根の家や、今では見られなくなった農村風景、日常の行事、茅葺き屋根を題材にしたこれまでのカレンダーなど84点が展示されている。
柳下さんの業績については、このコラム148「茨城の原風景を撮り続けた柳下さん」(2023年11月27日掲載)でも報じた。1月11日には会場でギャラリートークが行われ、三男の知彦さんが征史さんの歩んできた道や作品の解説を行い、約30人が写真を見ながら熱心に説明を聞いた。
柳下さんは1940年、東京都渋谷区で生まれ、疎開により和紙で有名な久慈郡諸富野村(現常陸大宮市)西野内に移った。日立製作所時代から写真に興味を持ち、県北地方を中心に写真を撮り続けてきた。世界的な写真家、ユージン・スミスとの出会いもあった。
1975年に会社を辞め、ひたちなか市に写真工房を開き、写真家として独立した。独立後、柳下さんは「何か形のあるものを残したい」と考え、日本人の生活の源といえる草屋根の家が近代化の影響を受け、ものすごい速さで消えていることに着目。記録は生活の基盤である「家」を中心にすべきだと、ひたすら県内のワラ葺き、茅葺き民家を撮り続けた。
その成果が結実し、1994年に『ひだまりのワラ葺き民家』(八溝文化社)を発刊。東京・銀座の「富士フォトサロン」で企画展を開くことができた。あとがきに「初めての土地で気に入ったワラ葺き民家に出会ったとき、私の心を打ったのは、周辺の風景とともに永い日々の風雪に耐え続けてきたその存在感である」と書いている。
2007年には、同書のタイトルと構成を変え、『ひだまりの茅葺き民家-茨城に見る日本の原風景』(八溝文化社)を発刊した。笠間日動美術館では、全国の民家を描いてきた洋画家の向井潤吉作品展との共催も実現している。
2003年、常陸太田市の西金砂神社、東金砂神社が72年に一度という磯出大祭礼を実施したが、柳下さんはその公式記録の撮影を依頼されている。
茨城県北地域の原風景を写す
「茅葺き屋根のある風景を撮り続けてきた私は、ある日、写真を核として『人間の生から死までの所業』をあらわしたいと思った」。
その思いは、柳下さんの写真を見た俳人の今瀬剛一さんが俳句を作り、その俳句を書家の川又南岳さんが書にし、『おまえ百まで、わしゃ九十九まで』(八溝文化社)として結実した。最も古い写真は1965年、新しいものは2013年と、50年にわたって農山村の生から死までの日常の暮らしを写し取った。本書に収められた写真の多くは現在では見られない光景で、単なる写真集ではなく、「茨城県北地域の原風景」として後世に残る作品となっている。同書は、県内の図書館や小中学校の図書室に備えられており、ひたちなか市のヤギ写真工房や笠間日動美術館で購入できる。
柳下さんの写真展は3月9日まで開かれており、2月8日午後2時から、再度、知彦さんのギャラリートーク(作品解説)がある。(元瓜連町長)