火曜日, 6月 10, 2025
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スタバの協力で「ふらっとカフェ」《けんがくひろば》14

【コラム・椎名清代】私たちは2023年秋から「けんがく ふらっと カフェ」を始めました。商業施設イーアスつくば(つくば市研究学園)内のスターバックスコーヒー店で、月1回開いています。だれもがフラットな立場、進行役もいない、テーマもない、決まりもない―そんな集まりです。毎回、20人近くの人が集まり、おしゃべり、笑顔があふれる空間になっています。

最初はイーアス内

研究学園エリアは2万余の人が暮らす大きな街になりました。でも、自由に利用できる交流センターのような公的な集会施設がありません。どこか借りられるところはないかと、3人の民生委員で考え、チェックアウトからチェックインまでの時間、ホテルの一角を貸してもらえないか聞いたこともありました。

そんなとき、テレビで見た町田市のスターバックスで開かれている認知症カフェのことを思い出し、町田市役所に問い合わせました。市から当時の店長さんを紹介してもらい、スターバックスは社会貢献を社の方針としており、つくばでもサロン活動を実現できることを知りました。

しかし私たちは、お店の方に「利用させてください」と話すことができませんでした。そんな状況を社会福祉協議会の生活支援コーディネーターに話したところ、市の地域包括支援センターにつないでもらい、サロンを実現することができました。スターバックスは従業員と地域とのつながりを大切にしており、席の設定や他のお客への配慮など、とても感謝しています。

ふらっと カフェの表示

学園の森や大学内にも誕生

参加者は研究学園エリアのシニアの女性が中心で、その多くが県外や他市町村から移って来た人たちです。ここでは、新たなつながりが生まれたり、意外な発見があったりします。多世代にも広がったらと思いながら活動しているうち、「がくもり ふらっと カフェ」(スターバックス学園の森の店、つくば市学園の森3丁目)も誕生しました。

子育て現役世代の情報交換の場になればと思っており、小さなお子様連れも大歓迎です。小さな子を連れてカフェに行くのは気が引けてしまうママたちの憩いの場になったらと思っています。もちろん年齢層は幅広く、70代の先輩ママもご参加しています。男性も数名いらしています。

私たちの活動は、「つくばセンター ふらっと カフェ」(つくば市吾妻、トナリエキュート内)、「キャンパス ふらっと カフェ」(つくば市天王台、筑波大学中央図書館内)へと、市内にある他のスターバックスにも広がっています。

民間会社の方たちに集会の場を提供してもらい、これからも「ふらっと カフェ」活動を広げられると希望を感じています。でも、そもそもの始まりは「研究学園には公的な集会施設がない。交流センターが欲しい」でした。こういった市の施設の実現はこれからの課題です。(ふらっとカフェ実行委員)

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裏方で国際貢献 土浦市消防本部が資機材洗浄など支援

ミャンマー中部地震の救援活動で使用 土浦市消防本部(土浦市田中町)で5日、6日の2日間、ミャンマー中部地震の被災地で救援活動を終えた国際緊急援助隊(=JDR)の資機材の洗浄などメンテナンス作業が行われている。JDRの職員約20人と消防本部の職員10人が参加。自治体と連携してJDRの資機材メンテナンス作業が実施されるのは国内で初めて。 JDRは海外で発生した災害にいち早く支援を届ける日本政府による支援チームで、国際協力機構(JICA)が事務局を担う。捜索救助を担う救助チーム、被災者の医療ケアを担う医療チーム、被災者の医療ケアを担う医療チームなどがある。2023年のトルコ南東部地震にも派遣された実績がある。消防、海上保安庁、警察の混成隊員で構成される。消防では全国77の隊員らが派遣に備え、県内では水戸市と南西広域の2消防が待機状態となっている。 被災地の救援活動で使用した資機材は、JDRの現地での活動終了後、日本に返送し、次の派遣に備え、いち早くメンテナンスを行う。資機材の点検、故障した機材の修理、洗浄、補給、梱包などで、こうした作業をどこで行うかが大きな課題となっていた。 土浦市消防本部では森田大地救命救急士(31)が4月、ミャンマー大地震の被災地にJDRの一員として現地に派遣された。こうした縁から、地域の消防機関として市消防本部が支援することになった。成田空港から比較的近く、作業のための広い場所が確保できる、消防本部の施設であることから水が使えるなどの利点もあった。資機材の洗浄、点検などの作業は救援活動の重要なプロセスで、今後の迅速な国際支援活動の継続、発展を下支えする意義ある協力と位置づけられることから、市は今回、作業場所を無償提供した。 市消防本部で洗浄などが実施されているJDRの資機材は、大きな被害があったミャンマー中部にあるマンダレー市で4月2日から16日にかけて1次隊32人、同12日から26日にかけて2次隊37人の総勢69人の医師や看護師、医療関係技師が使用したもの。地震でけがをした人やがれきから救い出された人の手当てなどに使われ、5月23日にJDRの保管庫がある成田に到着した。 資機材の種類は全体で10万種以上あり、専門スタッフが感染対策にも十分配慮し、丁寧に洗浄・点検・保管する。汚れた机、椅子、ケース、テントなどは水洗いし天日で乾かす、コンテナの中のきちんと整理された資材をすべて取り出しチェックし再梱包するなどの作業が必要になる。被災地では仮設の総合病院を作るため、X線撮影機、超音波測定器、ヘモグロビン測定器など精密機器や検査用品などもあり、稼働状態を確かめたり、関連部品の整理など細かい作業を実施する。 今回、洗浄などのため成田から土浦市消防本部に運ばれた資機材は約3トンで、ミャンマーから返送された全体の3分の1という。市消防隊員らも水洗いに協力、メンテナンスを終えた資機材は、再び成田に運ばれる。 JDRの飯村学事務局長(56)は「ミャンマーはクーデーターによる軍事政権の下での活動で、難しいところもあったが、現地は比較的協力的だったので助かった。土浦は成田から比較的近く、水がふんだんに使える環境で仕事ができるので大変ありがたい」と述べた。 JICA国際緊急救助隊事務局から放射線技師として参加した土浦市在住の菊田智子さんは「当初事務員ということで現地入りしたが、放射線技師の資格があったので、現地では技師としての仕事をした。テントの中は温度が47度にもなり暑くて機材が使えず。カルテなどは手書きだった」と苦労を語った。 ミャンマーで救援作業を経験し帰国した市消防本部の森田さんは「普段の仕事でも準備80%と言われるが、リカバリー作業がとても大事、活動を支えているのは縁の下の力持ちがいるからだと思う。今後も機会があれば(救援活動に)参加していきたい」と語った。(榎田智司)