【コラム・斉藤裕之】年末に首が痛くなって、大概「寝違えた?」と聞かれるのだけれども、症状は寝違えた時と同じでも起きている時に痛くなってきたので、「起き違えた」と言うべきか。「右投げのピッチャーが寝違えたら、1塁ランナーをけん制するの、大変だろうなあ」。首に良かれと湯船につかって、湯煙を眺めながらそんなことを思ってみた。
それより、さかのぼること1カ月。左手親指の先をケガしてしまって、たかが指先と思いきや、これが大層不便。シャツのボタンを留められないのに途方に暮れるし、卵の殻をむくのが左手の親指だったり、ラップを引き出すのに左手の親指を使っていることに気付いたり。
助手席に婚姻届
そんな年末のある日のこと。車がパンクしてしまって、はて困ったと思ったら目の前がガソリンスタンド。「こりゃ、交換だねえ。あいにく、うちはスタッドレスないんだけど…。そうだな、ちょっと待って」。店主と覚しきおじさんはどこかに電話をしてくれて、「10分ぐらいしたらタイヤ来るから」だって。
しばらくして、スタッドレス1本を持って現れたタイヤ屋さん。地獄に仏、いや神様か。イブの日の奇跡。そして、その車の助手席には「婚姻届け」の書類が。
実はギネスものの短い結婚生活を終えた次女が、新しい彼氏と我が家に住むことになって2カ月。「パパ、婚姻届けお願い」と言われ、市役所に行った帰りの出来事。例えるのはどうかと思うけど、パンクしたタイヤと運よくすぐに付け替えられた新しいタイヤに、何となく次女のことが重なった。
翌日、ジングルベルの流れる日にめでたく入籍。1年に2度結婚するという離れ業で、1年を締めくくったというわけだ。
鳥の足⇒おせち
令和7年巳年。はて、ヘビに首はあるんだろうか? カマクビなんて言うが、ヘビが寝違えることはないだろうから、まあいいとして…。首に若干の違和感はあるものの、親指の傷も癒えて、なんとか新しい年を迎えることができそうだ。
ということで、私は当然クリスマスツリーを片付けて正月を迎えると思っていたら、「海外じゃあ年明けまで飾っておくのよ」と次女。一瞬、「はあ? 正月にツリー?」と言いたくなったが(こんなささいな言い争いから宗教的な争いは始まるのかも)、ここは新年を迎えるに当たって波風を立てないように、次女に従うことにした。
1週間前には鳥の足にかぶりついていたこの国の人々は、正月を迎えるや、おせちのお重を開けて歓喜する。そう、時代は「メリクリ」から「アケオメ」なのだ。
厄よけの煮干し
元日夜明け前。恒例行事というほどのことでもないが、冷凍庫からいりこを一つ取り出して描く。いりこは私にとっては原点に立ち返ることのできる大切なモチーフ。さらにこじつけるなら、煮干しの類は厄よけに使われるので1年の始まりにはふさわしくもある。
何を信じ何に祈るのかは人それぞれ。でも願うことはみんな同じ。「家族が健康で無事に1年過ごせますように」(画家)