【コラム・オダギ 秀】集落を進むと、少し高地になったところに小さな墓地があった。辺りには彼岸花が咲いていて、とても安らぐような静かな土地だった。だが、話を聞いてみると、それなりに色々つらいことがあり、大変だなというのが、ボクの感想となった。
彼岸花を撮影していると、近所のお婆(ばあ)さんが声をかけてくれた。そして、見ず知らずのボクに「ナシ食べていきな」と言う。それじゃと思ってボクは、婆ちゃんの家へ行く。婆ちゃんはボクを上りかまちに掛けさせると、ナシをむきながら、色々と話してくれた。
「イノシシがひどくてね。作ったもの作るそばから、畑荒らされて、みんな食べられちゃうのよ。囲いをしても、その下掘って入ってくる。だから、教えてもらって、畑の周りに電気の囲いしたのよ。うちなんか、小さい畑だけど10万近くしたのよ、もう大変。最初はよかったけど、すぐ慣れて穴掘って入ってくる。お墓んとこにワナあったでしょ。仕掛けても入ってこないのよ、わかってて。困ったわねえ」などと。
途中の道路にウリボウ(イノシシの子。子イノシシはウリのような模様がある)が、車にはねられたのかなあ、死んでいましたよと言うと、「そう、車だって避けられないわよ。ちょいちょいいるんだから。気イつけてね」。
ぼっち珈琲を淹れながら…
この雪入(ゆきいり、かすみがうら市)という集落が、ボクは大好きだ。小さな部落だが、とても景色がよく、住む人がやさしい。ウロウロしていると、すぐ「どこに行くの?」と、誰かが声をかけて案内してくれる。子どもたちは、ニコニコしながら、あいさつしてくれる。そんな郷(さと)で聞く動物との闘いは、とても現実的だった。
集落の外れの小さな川辺で、ボクはぼっち珈琲を淹(い)れて飲みながら、撮影の反省をする。水源がどこかは知らないが、ちょっと跨(また)ぐには幅広すぎる小川が、そばの山地からきて集落の横を流れている。その水を、人々は田畑に引いているのだろうか。
清冽(せいれつ)な水で、流れを挟む草地に小さなキャンプ椅子を置き、その水の流れを眺めながら珈琲を飲んでいると、様々な思いが湧く。至福の時間だ。コンロにくべるわずかな火に癒やされたり、満たされたりする。カメラを磨いたりレンズを拭いたりする。色々な土地で、様々なものを撮り、たくさんの思いを抱く。だから、写真がだいすきだ。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)