【コラム・斉藤裕之】薪(まき)ストーブは柔らかく家全体を暖めてくれる。また、コトコトと煮物をするのも得意だし、焼き芋も焼ける。意外なところでは、部屋に干した洗濯物もよく乾く。そして、私の朝の楽しみはストーブの天板で餅を焼いて食べること。市販の切り餅をふたつ。
餅は乞食(こじき)に焼かせろというが、火鉢と違って直接火にさらされてないストーブの上では、それほど頻繁にひっくり返さなくても大丈夫。そろそろいい感じになってきたころに、もうひと手間。火ばさみでちょいとつまんで、ストーブの中のおき(炭の様な状態)になったところに数秒かざす。
すると、いい焦げ目がついて餅はプーと一気に膨らむ。砂糖にちょっと醤油を垂らした砂糖醤油(じょうゆ)でいただく。すると、この焦げ目が何ともいえない風味を醸し出してうまい。
例えばあれだな。森進一さん。よく物まねされる、歌声とも吐息ともつかぬ、歌い切った後の声もなくなって残る嗚咽(おえつ)のような、あれ。あれと餅の焦げ目は似ている。声とも味とも言えない、でもないと物足りない秘密の成分。うなぎ屋の秘伝という継ぎ足しのたれも。
今年から餅つきを再開
昨年は餅をつかなかった。今年はどうしたものかと…。そこに、「お餅つきはいつ?」と長女からのメール。こちらから誘うことはあっても、催促されたのは初めてだ。コロナ禍が開けた一昨年、孫のためにと餅つきを再開したのが布石となったようだ。恐らく、物心のつき始めた子供らに餅つきをさせたいということではないだろうか。ということで、今年から餅つきを再開することにした。
このご時世だからこそ、住宅街で餅をつく光景が年末年始の当たり前の風景になっていいと思う。餅つきはみんなを笑顔にする。老若男女、知らぬ同士も杵(きね)を持って餅をつけば、自然と息を合わせて言葉を交わす。みんなでワイワイ。クリスマスもハロウィンもいいけど、餅つきいいよ! そして、そろそろ次世代にバトンタッチ。今年は段取りを子供たちにしかと伝授しよう。
「きたのまちではもう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい…」。しかし、今年もいろんなことがあった。でもほとんど忘れている。忘れられるということは幸せなことである。燃やすほどの悲しみもなかったが、この節は請求書や領収書も電子化されて手紙の類がとんと来ないので、燃やせるものも少なくなった。
そんなことを思いながら餅を食べていたら、口の中になにやら違和感。やれやれ、餅に銀歯を持っていかれちまった。醤油と砂糖と焦げ目の味に混ざって感じる齢(よわい)。そろそろ焦げ目のついた絵が描ける齢となることを願う。(画家)