火曜日, 10月 13, 2026
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もったいない(3)《デザインを考える》15

【コラム・三橋俊雄】今回は、台湾新竹県で客家(ハッカ)民族のお母さんから伺った「大鍋菜(ダーゴゥーサイ)」という、一つの火と一つの大鍋を用いて次々と調理をしていく「もったいない」につながるお話しです。

「大鍋菜」は、藁(わら)・籾殻(もみがら)・薪(まき)を燃料とし、その調理方法は、竈(かまど)に火をくべ、火力促進期に「煮飯」「撈飯(ラオパン)」「おもゆ」「粥(かゆ)」、火力旺盛期に「野菜炒め」「油汁」、少し下火になって「蒸し物」、弱火で「残り総菜」「茶湯」「猪菜・潘(バン、豚の餌)」を作り、火の消えたころ「洗浄湯」を沸かすという一連の作業です。

大鍋菜の調理プロセス

(1)まず、火がちょろちょろしている火力促進期に、鍋に水を入れて米を煮ます。

(2)7分くらいで、まだご飯に芯のある状態を笊(ざる)ですくい、「飯桶」に入れて蓋(ふた)をします。すると中で蒸されて撈飯になります。鍋に残った「おもゆ」は、豚のエサや衣類用の糊(のり)として利用し、さらに残った米粒は、干したサツマイモやカボチャなどと煮てお粥(かゆ)にします。

(3)火が強くなったところで、月に一度の豚肉購入時に、その脂身を切り取り、鍋の中で油脂を抽出します。鍋に付いた「油鐤(ユディアン、おこげ)」は、温かいご飯にのせて醤油(しょうゆ)をかけて食します。月に一度のことでもあり、一番幸せを感じるときだそうです。

(4)鴨(カモ)や鶏(ニワトリ)を茹(ゆ)で、油脂の味が付いたところに保存野菜の酸菜(シャンツァイ)や干しキャベツなどを入れてスープにします。

(5)火が下火になったところで、豚の角煮や白菜にキノコや桜エビ、魚や膨皮(ポンプエイ、豚の皮を揚げたもの)などを入れて雑炊を作ります。この大鍋で温め直して何日も食べます。蒸し物として粽(ちまき)や粄(パン、米粉の料理)を作ることもあります。

(6)弱火(炭は赤いが炎は見えない)で、前回の料理の煮直しや茶湯を作り、お風呂用の湯(そのままで足湯としてちょうど良い温度)としても使うそうです。また、(2)の「おもゆ」にサツマイモの葉や大根、キャベツの古い葉を混ぜた「猪菜」、残飯の「潘」を温めて、豚の餌をつくります。

(7)火は消えていますが、鍋に水を入れて温め、洗浄用の湯を沸かします。竈の熱い灰の中に、サツマイモやサトイモ、トウモロコシなどを入れておきます。灰の中から焼けたそれらを探すのが、子どもたちの楽しみでもあったようです。

燃料も食材も大切に

日本統治時代から1950年代まで、台湾農村における客家の家族人数は7〜10人ほどであり、「大鍋菜」は豚の飼育と切り離せないものでした。

当時の豚の飼育は、政府と軍隊の管理下にあり、飼育にはお金がかけられず、サツマイモの葉や山菜の葉、アワ・ヒエなど雑穀のクズを餌として利用し、調理(1)から(7)まで、燃料も食材も大切に合理的に使い尽くす、「もったいない」のデザインがなされていたということです。(ソーシャルデザイナー)

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駅名板やヘッドマークなどお宝40点 土浦まちかど蔵で「筑波鉄道展」

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