【コラム・川端舞】地元の群馬に帰る決意をしたのはいいが、引っ越すために開拓せねばならない命綱が山のようにある。車椅子で入居できるアパートに、新しい土地で生活をサポートしてくれる介助者に、身体状態を診てくれる病院に…。そのたびに壁にぶつかり、改めて思う。この社会は、私のような重度身体障害者が1人暮らしをし、ましてや県境を越えて引っ越すことなど想定していないのだなと。
でも、生きていたら、どうにもうまくいかず、行き詰まることもあるだろう。そんなとき、生きていく場所を変え、やり直す権利は誰にでもある。障害者にだって同じ権利はあるはずだ。一度も失敗してはいけないのなら、新しい挑戦などできるわけがない。失敗を許容できない社会が、人間の無限の多様性を尊重できるとは思えない。
私の決断を「逃げ」だと言う人もいるだろうが、逃げることの何が悪いのだ。自分が大切にされない場所にとどまって、心を壊すよりは、自分が安心できる場所に逃げて、生き延びたほうがずっとよい。同じ場所に踏み止まって、そこから社会を変えようとするのも立派だが、まずは自分の安全基地を持たなければ、周囲の人に影響を与えることはできない。闘いに疲れて、息絶えてしまったら、それまでどれほど懸命に闘っていても、その勇姿はすべて水の泡となる。
「障害を乗り越えて」とよく言われるが、そもそも障害者が抱える問題も、他の「マイノリティ」とされる人たちが感じる不平等も、原因は多様な人々を想定せずに作られた社会にある。その問題を本人の力だけで乗り越える必要はない。障害者だって逃げていいのだ。いや、自分を傷つける場所からは、全力で逃げないといけない。
逃げられるのも特権
一方、今いる場所から逃げることができるのも、1つの特権だろう。実際に引っ越すまでには、まだ多くの課題がありながらも、私には「帰っておいで」と言ってくれる場所があり、私が引っ越すために具体的に支援してくれる人たちがいる。地元の人たちとのつながりが薄く、帰る場所がない障害者は、今いる環境でうまくいかなくなっても、他の地域に引っ越すという選択肢は浮かばないだろう。せっかく持った自分の特権性を活かし、障害があってもなくても、何度でもやり直せる社会を作っていきたい。
そう自分に言い聞かせて、このコラムを終えようと思う。5年もの間、私の言葉を受け取ってくれたあなたに感謝したい。100年先でまた会えたらいいですね。それでは、さようなら。(障害当事者)