【コラム・片岡英明】9月12日、霞ケ浦高校でレスリング部の監督をしていた大沢友博さんが69歳で亡くなった。日本レスリング協会はすぐに「高校レスリング界に不滅の金字塔~大沢友博氏が死去」とHPに掲載。告別式には教え子の樋口黎さん(2014年卒)のパリでの金メダルを胸にかけた写真が飾られた。大沢さんの努力がパリまで届いたなと感じた。
世間では「高校レスリング界の名匠」(レスリング協会のHP)と称されていたが、今回コラムでは大沢友博さんを悼むとともに、彼のレスリング部での出発点を紹介し、若手教師を励ましたい。
体育館の片隅のマット2枚から
大沢さんは1977年、霞ケ浦高校の教諭となった。私も同期で、共に定年まで勤めた。1980年の最初の卒業生は、彼が3組、私は4組の担任。テストの採点をしながら、遅くまで職員室で語り合った。
最初は柔道部顧問だったが、彼はすぐにレスリング部づくりを始めた。八丈島出身で、東京の正則高校から日本体育大学に進んだ彼は、八丈島のレスリング道場で体験した厳しさの中にある楽しさを、部活を通して生徒に伝えようとしていた。
最初の年の夏前には、体育館の隅に体操用マット2枚を広げ、担任に「この生徒を私が面倒みます」と、3人ほど集めて練習を開始。すると部員たちが大きく成長し、大沢さんの指導力を皆が認めた。
部活の伝統校などでは、すでに道があるところを歩む教師が多い。また、部活の顧問から練習条件が悪いと「これでは練習できない」との愚痴も聞く。しかし、彼は部活がないところで、体育館のマット2枚からレスリング部を始め、部員も一人ひとりに声をかけ、自分で集めた。
「やってみなはれ!」の精神
現在、文科省は探求心や創造性を生徒・教師に求めている。創造性を求めるとは「やってみなはれ!」の精神で教師のチャレンジを学校が受けとめるということだ。それならば、愚痴のひとつも言いたい学校の中でも、今こそ教師自身の創造性を発揮するときではないか。
多忙な毎日と管理疲れを癒すには、問いかけに始まる対話を通して生徒の願いをつかむことにある。大沢さんのように、どこか一点からでもチャレンジし、目の前の授業や部活で個性的な実践に取り組んでほしい。生徒・保護者はそれを待っている。「やってみなはれ!」
2年目には、シューズやウエアも整え、レスリングのマットシートも用意された。その後、武道館ができて旧柔道場がレスリング道場となった。その古い木造の道場から大沢レスリング部は10年目の1986年インターハイで優勝した。
悪条件の中でも、いつも生徒と汗を流し、応援する教職員を増やした。そうして、レスリングの自分の原点を次の世代につなげようと、体育館の片隅のマット2枚からパリの金メダルまで突き抜けたのだ。
葬儀で息子さんが「レスリングの生徒はどこかいいところがあるんだよ」との言葉を紹介した。その言葉には、生徒へのぬくもりや可能性への深い信頼が現れているような気がした。大沢友博さん、ありがとう。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)