【コラム・オダギ秀】ボクが通っていた小学校は、木造2階建てではあったが、現代のあちこちの校舎からは想像がつかぬほど子供心にもオンボロで、風が強い日などは、走ってユサユサさせると校舎が倒れるから走ってはいけない、と真面目にきつく命じられていたほどであった。校舎には斜めに支え棒がついていた。
そんな校舎で何時間目かの授業の開始を待っていたある雪の日、教室に担任のS田先生が入ってきた。当時、S田先生は30過ぎだったろうか。ハンサムではなかったが、いわゆる熱血教師だったと思う。生徒みんなが嫌がった汲み取りトイレの便器を素手で洗った。
S田先生が宿直のときは(昔、先生は宿直という泊まりがけの日があった)、ボクらは大喜びで泊まりに行った。
さて、雪の日のことだ。S田先生は教室に入ってくると教室を見渡し、それから机の上のものをみんなしまえと言った。そして、雪の音を聞け、とボクらに命じた。「雪の音ぉ〜?」。そんなの聞こえないじゃないか、雪に音なんかあるのかよ、とみんな思った。
雪はしんしんと、オンボロの校舎を包んでいた。でも先生の命令だから、みんな黙って座り続けた。長い時間に感じた。
見えないものを撮れ
そのS田先生は、ボクらが卒業してからしばらくして、若くして亡くなられたと聞いた。校舎も、いつの間にか、立派な校舎に建て替えられた。ボクは大人になり、写真家として仕事をしていた。だが、自分の写真に、その背景がなかなか写らないな、と悩んでいた。目に見えぬ部分、写した外の部分を表現したいものだと思っていた。
たとえば、何か楽しいものや悲しい瞬間を撮る、美しいものを撮る、そんなときに、なぜなのかその外に何があるのかをより深く表現できれば、より楽しい、より悲しい、より美しい表現になるということなのだ。
そして、あるとき、ある瞬間、気がついた。S田先生が雪の音を聞けと言ったのは、このことだったのだと。聞こえないものを聞け、見えないものを撮れ、その外にある大切なものを表現しろということだったのだと。テクニックではない。こうすれば雪の音が聞こえるというノウハウではない。雪の音の外にある聞こえない音、見えるものの外の見えない大切なものを撮れということなのだ。
いまもボクは、雪の音が聞こえる写真を撮りたいと苦労している。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)