霞ケ浦に船出していく土浦新港を活動拠点として、定期的な清掃活動に従事する人々がいる。活動団体の一つ「水辺基盤協会」(美浦村木原)は、バス釣りを楽しむ仲間達で1995年に始めたごみ拾いを継続させるため、2005年にNPOを立ち上げた。清掃活動スタートから29年、NPO設立から19年目の水辺の足跡をたどった。1995年は第6回世界湖沼会議がつくば、土浦などで開かれた年で、来年は30年になる。
参加費徴収しごみ拾い
協会理事長の吉田幸二さん(73)はもともと、東京に仕事と居を構え、週末や休日に霞ケ浦湖畔を訪れブラックバスを釣る暮らしを楽しんでいた。1990年代のことだ。
「当時、水質悪化や汚濁の話題をよく耳にした。それを裏付けるかのように、霞ケ浦のどこに行ってもごみが散乱していた。湖畔に来た人が捨てたものもあっただろうし、(流入河川の)桜川のずっと上流から流れ着いたものもあったでしょう。こういう場所で、しかも外来魚を釣っていると『あなたたちの仕業ではないのか』と言われた」
そこで、釣り仲間に声を掛け、理解を得られた人に集まってもらい、ごみ拾いを始めた。1995年2月に第1回目の清掃活動が行われ、土浦新港や行方市の霞ケ浦ふれあいランド周辺など場所を変えながら、霞ケ浦の何カ所かで継続的に、ごみの収集を展開した。
吉田代表は当時を振り返り「参加者を募って、彼らから参加費をとるという乱暴なことをした。もちろんバス釣りの人々すべての賛同を得られたわけではない。ただ、それを理解してくれる仲間とならば、持続した活動を続けられるという確信があった」
参加費の徴収は、裏話を聞くと乱暴でも何でもない。当時は民間人がごみ収集をしても、それを処理する予算がなかった。当時の建設省(国土交通省)にしても茨城県にしても、湖畔のごみ処理の事務分担に対するハードルが高く、沿岸自治体にしても予算を工面できるところはなかったという。活動仲間は参加費として自ら処理費を負担して産業廃棄物処理業者に引き取ってもらっていた。
本腰で取り組む覚悟
吉田さんらの清掃活動が始まった1995年という年は、霞ケ浦をテーマとした第6回世界湖沼会議が10月に招致され、筑波研究学園都市や土浦市、霞ケ浦湖畔の各地で様々な研究発表や議論が展開された。第6回湖沼会議を機に、市民による水質改善の取り組みやごみ拾いなどが地域に浸透し、研究発表の情報やデータが役立てられる機会も増えた。
一方、吉田さんは「『あんたたちは、どうせブラックバスがいなくなったら霞ケ浦には来なくなるんだろう』などと毒づく人もいた」と当時を振り返り、「ブラックバスは強い適応能力を持つ魚だが外来種ゆえに嫌われ者だった。しかし、それがいなくなるという言葉の裏側に、本気で外来種を駆除し湖の汚濁や水質改善をやろうと考えている気迫までは感じられなかった」と話す。
さらに10年後、吉田さんはバス釣り愛好家にも本腰で取り組むべき覚悟が必要だと感じ、NPOの立ち上げを決めた。(鴨志田隆之)
続く