【コラム・奥井登美子】
「蓮根の花。霞ケ浦、すごい景色。これ日本一ですね」
「大げさだよ、日本一なんて…」
「とんでもない、世界一の風景ですよ」
「実さんは世界中飛び回って、オランダの田んぼもきれいでしょ」
「きれいですけれど、大きさと色が不ぞろいなんです。不ぞろいの美しさもあると言えば言えるけど…」
「大きさも色もきちんとそろって、しかもこれだけ広い面積は世界一なのね」
「そうです、そうです。1年1回、僕は見に来ないと、気が済まない」
1990年ごろ、1年に1回、7月の朝。福田実さんから電話がある。私たち夫婦は車を運転して、土浦駅で彼を拾って、霞ケ浦の畔の蓮根の花を観賞しながら、ゆっくりと歩いたり、車に乗ったり、歩﨑まで、おしゃべりに余念がなかった。
福田さん一家を偲びながら
北里柴三郎のもとで働いていた夫の祖父平沢有一郎が、自分の姪(めい)の琴子の夫に選んだのが中村万作氏だった。彼は牧師だったが、たくさんの社会的貢献を土浦の街に残している。万作氏の2人の姉妹は、偶然2人とも、かすみがうら市の福田家の兄弟と結婚している。
福田実さんと道子さんは2人とも医者で、道子さんは産婦人科医として、土浦新治病院(今の土浦協同病院)に勤務したこともある。実さんは麻酔医として米国のバーモントに住み、ものすごく忙しい日々を送っていたが、1年1回、7月に日本での学会や臨床報告会などにかこつけて、必ず日本にやってくる。
霞ケ浦の畔に咲く蓮根の花を見に来るのだ。花は昼にはしぼんでしまうので、朝早く行くしかない。
世界保健機関(WHO)にいて、世界的な感染症の防止に努めたケイジ・フクダ氏は、この2人の息子さんで、5年前、県の感染症講演会に講師として来てくれたが、声が父親とそっくりなので、私は聞きながら涙が出そうになってしまった。
夫も実夫妻も、あの世に行ってしまったが、今年も東京から娘が来てくれて、私は福田さん一家を偲(しの)びながら、霞ケ浦蓮根のお花見をすることができた。(随筆家、薬剤師)